第12回/会場5位/総合25位

1-1 面白い巨塔

【あらすじ】

『患者殺しを告発されたくなければ、教授選を辞退しろ』


 浪速なにわ大学第一外科、准教授の唐沢俊明からさわとしあきと新人医局員の江口陽輔えぐちようすけの元に送られてきた一通の脅迫状。

 それは白い巨塔と呼ばれる大学病院の中に未だ渦巻く、苛烈な権力争いが生み出した狂気の具現化だった。


 患者殺しなど、二人に心当たりは全くない。つまり証拠は捏造で、犯人はカルテに記された謎の研修医に違いなかった。


 しかし得られた情報はここまで。二人に求められるのは悪魔の証明、事態はどんどん泥沼になってゆく。

 はたして、ツンツン敏腕准教授と生意気わんこ新人医局員の歳の差バディは、自らにかかった患者殺しの疑惑を晴らし、陰謀渦巻く令和の大学病院に面白い巨塔を築けるか。


【本文】

「なんも面白くないわ」

 浪速なにわ大学医学部外科学第一講座准教授、唐沢からさわしゅうろうは書類をばさりと机に放った。


「逆に聞きますが、面白い書類って何です?」

 唐沢の横から、後期研修医のぐちあまねがぶちまけられた書類をかき集める。

「君も読んでみ」

「はぁ……」

 江口は束の一枚目をぺらりとめくる。一見論文のように見えるが、よく見ると違う。


「脅迫状や」

「へぇ。何かやらかしたんです?」

「ちゃうわ。俺に教授選を辞退しろっていう脅迫状や」

 上司をからかう江口に、唐沢はむくれた。

 今の教授が定年を迎える第一外科ではもうすぐ教授選が行われる。准教授である唐沢も候補者だ。


「カードじゃない脅迫状もあるんですね。論文みたいだ。……これ、なんて書いてあるんですか」

 紙の束をペラペラやっていた江口だったが、早々に読むのを諦め、唐沢に内容を尋ねた。

「『患者を安楽死させたことを告発されたくなければ教授選を辞退しろ』ってところやな」


「えっ! 先生、患者さんを安楽死させたんですか?」

「まさか。安楽死は殺人やぞ」

 唐沢は江口の頭を軽く叩く。

「イテテ……。じゃあ医療事故ですか」

「俺は自分の事故にも気づかんような間抜けちゃうわ」

 唐沢はまた拳を振り上げる。ニヤリとした江口は、唐沢の拳を素早く受け止めた。


「でも後半の資料、具体的なデータが載ってますね。まるで本当に先生が患者さんを安楽死させたみたいな」

「おい、面白くない言い方をすんな。俺が患者を殺したんやない、データを改竄かいざんしてるんや」

「改竄って……。コンプラ違反ですよ」

 バレれば一発でクビだ。


「脅迫の時点でコンプラ違反や。フン、教授選にはよくある小細工やな」

「教授選で小細工ですか? この令和の時代に?」

「何を言うてるんや、大学病院に白い巨塔は未だに健在するんやぞ」

 特に浪速大学での権力争いは苛烈だった。圧力や牽制は日常茶飯事、脅迫状も想定内である。


「送ってきたのは病院長派やろな。俺と教授は学長派やし」

「病院長派とか学長派って何ですか」

「はい出た、世間知らず」

「僕、教授には興味ないんで。どうせ実家の病院を継ぎますし」

 さらりと言う江口に、唐沢は大きなため息をつく。

 

「浪速大学には、主に二つの派閥がある。浪速大出身者から構成される学長派と、他大出身者から構成される病院長派や。自分の派閥の教授が増えると出世に有利やからな。みんな必死やで」

「じゃあ東京出身の僕は病院長派ということですか?」

「せやな」

「えっ、僕は先生と一緒がいいです!」

 目を輝かせる江口の尻で、見えない尻尾しっぽが大きく振られているのを唐沢は感じた。


「……江口君、君は犬みたいやと言われたりせんか?」

「よく言われますが、僕自身は猫派です!」

「俺も猫派や。……じゃなくて、君が派閥に入りたいんなら好きにしたらええ。ただ、君が学長派を公言すると、病院長派から恨み買うかもな」

「僕みたいな下っ端でも恨みを?」


 江口は派閥争いの面倒臭さを感じ、ため息をついた。

「教授選が激化するわけですね……」

 脅迫状が届くほどの激甚、それが教授選だ。


「……あの、これ本当に脅迫状ですかね?」

 気を取り直して脅迫状に目を通しはじめた江口が首を傾げる。

「どう見ても脅迫状やろ」

「三枚目までは確かに教授選を辞退しろって書いてますが、四枚目以降が不自然なんですよ」

「不自然? 俺の安楽死疑惑についての話やろ? 面白くない嘘やけどな」

「先生、見てください」

 江口は一枚目と四枚目を重ね、電灯に透かした。


「書式が重なりません。フォントも微妙に違いますし、紙質も少し異なります」

「どういうことや?」

「この脅迫状、三枚目までとそれ以降では、違う人間が作ってます」

 江口の手元を覗き込み、唐沢は目を見開く。


「江口君、この封筒はどこから取ってきた?」

「病院事務室前の、第一外科の書類棚です」

 病院宛の書類は、事務員が各診療科の書類棚に振り分ける。自分の科の書類棚を見れば、自分宛の書類がわかるシステムだ。

「それなら、白衣を着た人間なら誰でも可能やな」

 白衣さえ着ていれば、書類棚を漁っても怪しまれることはない。


「恐らく、元の脅迫状は何日も前に送られてきたはずです」

 だがその封筒を、誰かが抜き取って持ち帰った。その誰かさんは、元の脅迫状に似せた四枚目以降の脅迫状を作って封筒に足し、書類棚に入れた。

「で、僕が今朝これを書類棚から取って、唐沢先生に渡したんです」


 そうなると、脅迫状を送ってきた人間は、二人いたということになる。

「……唐沢先生、本当に恨まれる覚えはないんですよね?」

「たぶんな」

 さっきと違い、唐沢は随分歯切れが悪い。


「しかし、ほんまに面白いことになったな」

「……何がです?」

 真顔で逆境を面白がる男相手に常識など通じないのは明白で、江口は突っ込むのをやめた。

「江口君、犯人はどこからこんな詳細なデータを持ち出したんやと思う?」

「電子カルテですか?」


「半分正解、半分間違いや」

 唐沢は電子カルテの閲覧履歴を開く。

「見てみ、カルテを書き換えたのは俺ということになってる。つまり、犯人は俺のIDとパスワードを知ってるんや」

「……先生、パスワードを書いた紙、机の裏に貼ってますもんね」

 唐沢はばつが悪そうに頷く。


「半分間違いというのは?」

「犯人は遺族にカルテ開示をさせてるはずや。俺と江口君以外に誰も見てないはずのカルテをネタに俺を告発したら、自分が犯人やと言うてるようなもんやろ」

「あ、そうか……」

「犯人は遺族を焚きつけたんや。『あなたの家族は、違法に安楽死させられた可能性があります』ってな。そんで、遺族にもらったデータを利用して脅迫状を作ったと。となると、犯人の目的は教授選やないな」


「先生、なんで犯人の目的が分かるんですか?」

「遺族が絡むからや。犯人の目的が教授選の場合、もし俺が教授選を辞退したらどうする? 犯人は『唐沢が教授選を辞退したので、安楽死を告発しないでください』って遺族に説明するんか? 家族の死に不審な点があるのに、大人しく引き下がる遺族なんておらんよ」

「なるほど……」

「つまり、俺はほぼ確実に安楽死疑惑で告発されるってことや」

 明るく言う唐沢だが、絶望的状況である。


「もし唐沢先生が患者さんを安楽死させたことになったら、どうなるんですか?」

「まず間違いなく殺人になるやろな」

 改竄後のデータでは、唐沢が筋弛緩材を使用したことになっている。紛うことなき殺人だ。


「おい、他人事のように聞いてるけど、君も当事者やぞ」

「え?」

「データちゃんと見た? この患者の担当医、君やで」

「嘘でしょォ!?」

 本当だ。確かに見覚えのある患者の名が記されていた。指導医として治療を先導したのは唐沢だが、担当医は江口だ。


「死亡診断書、書いたの江口君やろ?」

「か、書きました……」

 鼻水を垂らした江口が泣きそうな顔で頷いた。


「俺が筋弛緩剤を使ったのを知ってて、君がそれを死亡診断書に書かんかったら、公文書偽造になる。立派な罪や」

「僕はどうなるんですか……?」

「少なくとも逮捕、医師免許は確実にやろな」

「嘘でしょォ!?」

 江口は叫ぶ。医局内の人間が一斉に振り向いた。


「まあ、君は反抗的やし、いっぺん医師免許剥奪された方がええかもなァ」

 唐沢は悪い笑みを浮かべる。

「先生、忠犬の僕を裏切るんですか!?」

「自分で忠犬って言うなや」

「だってそうでしょうが!」


「どうしました?」

 江口のあまりの大声に、一人の助教が心配してやってきた。

「いや、患者さんの検査の数値が凄くて……」

「そんなに凄いんですか? 昼休みに見せてください」

「了解です」

 江口は笑ってごまかす。人の良い助教は特に不審がることもなく去った。


「どうしましょ、そんな凄い検査データなんかありませんよ」

 助教を見送った江口は、唐沢に困り声で耳打ちする。

「俺の患者に面白い数値叩き出した人がおるから、それ印刷しとけ」

「すみません……」


「代わりに、俺と一緒に仲良く牢屋に入ってくれるよな?」

 医局の奥に場所を変え、早速データを出力する唐沢がニヤリと笑う。

「嫌ですよ! 僕が医師免許剥奪されたら、僕の実家の病院はどうなるんです!? 誰が継ぐんです!?」

「医師免許剥奪よりも先に、捕まることを嘆け!」

 暴れる江口を必死で押さえこみながら、唐沢はツッコミを入れずにはいられない。関西人のさがだ。


「しかし、なぜ犯人はわざわざ告発文を元の脅迫状に付け加えたんでしょうねぇ」

 組み伏せられた江口は、息を切らしながら唐沢に尋ねた。

「俺が病院長派の人間を疑うように仕向けたかったんちゃうか」

 体力ある若者を押さえこみ、こちらも息が切れている唐沢が答える。


「となると、学長派の人間が唐沢先生を病院から追い出そうとしてることになりますよ」

「……身内に斬られるのは面白くないな」

 だが、ありえない話ではない。派閥内にも醜い争いは数知れないのが大学病院だ。唐沢は眉間に皺を寄せる。


「なんにせよ、俺の医師生命の危機や」

「僕の医師生命の危機でもあります」

「容疑者は病院の職員、ざっと八〇〇人」

「うち容疑者から外れてるのは……」

「俺と江口君だけや」

 唐沢は自分と江口を交互に指さした。


「犯人探すのやめません?」

「探さんと、俺と君の免許は飛ぶぞ」


 とはいえ、唐沢も江口もとにかく仕事は山積みだ。犯人捜しの時間を捻出するのは至難の業である。

「週に二徹やな」

「先生、折角買った家に帰れませんね」

「俺は忙し過ぎて元から帰ってないわ」

「僕が過労で倒れたら、手術お願いします」

「ちゃんと入っときや、生命保険」

 唐沢が江口の肩をつついた時、首から下げていたPHSが鳴る。看護師からの呼び出しだ。


「急患のお出ましや。五十代男性、StanfordA型のA急性A大動脈D解離。こんな雑事に構わんと仕事しろ、っていうお告げやな」

 唐沢はPHSに耳をつけたまま江口にウインクしてみせる。

「雑事って……。医師免許がかかってるんですよ」

 江口の呟きは誰にも届かずに消えた。


「すぐ行きます」

 唐沢は電話を切った時には既に歩きだしていた。

「行くんですか」

「だって患者放ってたら死ぬやん」

 唐沢の声で頭を切り替えた江口は、慌てて彼の後を追う。



「……これが最後の手術かな」

 手術を前に手を洗っていた唐沢がぼそりと呟いた。普段、唐沢は負の感情を絶対に手術に持ち込まないが、今回ばかりは無理だったらしい。

「大学病院の安月給に文句も言わんと働くこと二十年、俺のキャリアは教授どころか殺人で医師免許を剥奪されて終わる。……これが俺のいる大学病院白い巨塔かッ!」


 唐沢がシンクに拳を叩きつけようとしたとき、横から伸びてきた手が拳を受け止めた。

「僕の師事する唐沢先生は、そんな弱気なことを言う人じゃない」

 真剣なまなざしの江口だ。


「僕は時代遅れの白い巨塔大学病院に興味はない。先生が作るを志してここに来たんだ。今諦めてどうするんです? メスなんて置かせませんよ、先生」

「……なんや、その面白い巨塔ってのは」

 部下の瞳に見据えられ、唐沢は拳を緩めた。


「先生、僕と一緒に頑張りましょ。手術も教授選も」

 江口は打って変わって微笑んだ。

「……反抗的な自称忠犬はクビにするからな」

「はぁい」

 双方とも照れ隠しである。唐沢の弱音、そして江口の本音。見せるつもりも知るつもりもなかった感情だ。素直でいられるはずはない。


「全く、俺らから医師免許を奪おうとは、面白い奴が現れたもんやな」

 マスクの下で微笑む唐沢は、手術室へと足を踏み入れる。

「でも、俺と江口君の方がもっと面白い人間や」

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