第16回/会場2位/総合12位

3-14 ネイビーカラード・モダンガール

【あらすじ】

 真の情報機関は、その存在すら表に知られてはならない。

 太平洋戦争が終わってなお、存在を永遠に秘匿された海軍情報機関「中谷商船工業」は、その真骨頂と言えるだろう。


 ビルマ(現ミャンマー)にひっそりと存在したその機関を引っ張ったのは、一人の女スパイと二人の海軍将校。

 広島の海軍兵学校で出会った三人が、まさか日本の命運を左右するなど、いったい誰が想像しただろうか。


 全ての人間を虜にする不思議な顔を持つ小娘・静子しずこ、その能力が唯一通用しない不思議な問題児・秋山郁生あきやまいくお、そしてなんの変哲もない冷静な秀才・尾瀬恭二郎おぜきょうじろう。


 歴史に名が残らなければ不名誉か?

 否。

 歴史に名さえ残さなければ、何をやってもいいということ!


 三人の自由人は暗躍する。燃え盛るビルマの戦火の中で。


【本文】

 稀代の問題児、秋山が、女を海軍兵学校に連れ込んだらしい。

 全裸で寮を駆け回る、校庭にスイカの種を植えて育てる、に続く、秋山の三大奇行が遂に完成した。


 噂を聞いた同室の尾瀬は、汁粉しるこを吹き出し、目を飛び出させ、日曜の優雅な外出を中断し、慌てて兵学校に駆け戻った。


「秋山ァ! 見目が良いからいつかやると思っていたが──」

「何だ尾瀬、今日は映画を見て汁粉を食うんじゃなかったのか」

 息を切らせて自室に帰った尾瀬に答えた秋山の声は、腹が立つほど暢気だった。

「貴様が馬鹿をやると俺が迷惑するから飛び帰ったんだ! で、女ってのは……」

「この子だ」

 秋山のあぐらの上に、尾瀬の末の妹に似た五歳ほどの幼女が座っている。


「待て待て待て待て」

 冷静沈着で鳴らす尾瀬も、流石に混乱を隠せない。

「この子は誰だ?」

「知らん。願掛けしに神社に行ったらついてきたので、背嚢に入れて連れ帰った」

「誘拐じゃないかッ!」

 尾瀬は頭を抱える。


「いいだろう、本人がいいと言うのだから。それより、この子の背中には痣がある。もしや親に捨てられたのでは――」

「だから連れ帰るなんて馬鹿な話があるか! 犬猫じゃあるまいし」

 秋山を無視し、少女を問い詰めて曰く、苗字も名前も不明、親はなく、神社に来た方法も不明だという。


「何を願掛けしたら子供なんて拾う羽目になるんだ」

「酒保デザートの羊羹が二本出ますように」

「出るわけないだろ馬鹿め」

 尾瀬のぼやきは秋山には届かない。


「なあ、物静かな子だから『静子』にしないか?」

「名を付けるな。情が移るぞ」

 尾瀬は厳しく言ったが既に手遅れ。妹に似た顔に見つめられては尾瀬は叱る事もままならない。


「静子、腸炎をこじらせて入院した同期のベッドが空いている。ここで寝なさい」

 優しく教える秋山に静子は頷き、ぼふんと音を立てて飛び込む。


「秋山よ、貴様は既に同期中の噂だ。明日には教官にも知れる。さァ何発殴られるか。覚悟しておけよ。俺は知らぬ存ぜぬで通すぞ」

 とは言うも、同室の尾瀬もただでは済まないだろう。尾瀬はため息をつき、言い訳を考えながら眠りに就いた。


 しかし言い訳が役立つ事はなかった。翌日、二人を教官室に呼び出した鬼教官が、思わぬ事を言い出した。

「話は聞いた。警察に迷子として届けるが、親が見つかるまでは預かっても構わん。世話は秋山生徒らがやるように」

 無罪放免どころか大勝利だ。

「冗談だろ?」

 自室に戻りながら、互いにげらげら笑った。教官の黙認を知った生徒らは大喜びで、静子は兵学校の隠れたスターとなった。日中の世話は食堂の姉さん方が手伝うという。


「なんでも、教官の亡くなった娘さんに静子が生き写しやげな。最初は怒り狂っとったが、静子の顔ば見た途端に威勢が失せた、と」

 夕食後のわずかな自由時間。酒保のミカンを差し入れに来た博多の情報通が秋山に耳打ちした。

「それで見て見ぬふりというわけか」

 秋山は静子に代わって皮を剥く。

「ちなみに静子にミカンを貢いだのは貴様で六人目だ」

「人気者やね」

 情報通は苦笑する。


「助かったなァ静子、教官の娘さんと顔が似ていて」

 秋山は笑顔でミカンをかじる静子の頭を撫でた。

「俺の妹にも似ているぞ」

「まあ子供なんて皆似たような顔だからな。俺は静子が誰かに似てると思ったことはないが」

「……にしても、全員顔が同じちゅう事はなかやろ」

 軽い口調の二人に対し、情報通は妙に深刻な声色だった。


「俺の幼馴染にも瓜二つばい。俺だけじゃなか。皆が皆、静子が知り合いに似とるて言う。やけん、こんなに可愛がられるんばい」

 不思議な事もあるものだ、と尾瀬は思った。

 

「そんで俺は、静子に似とるっちゅう人の顔写真ば集めて回った。互いの顔写真ば似てるはずやけんね。そしたら、えらい事が分かった」

「何だ、早く言え」

「その写真、全く似とらんやった。やのに皆口々に言うたい、『ほら生き写しじゃろ』って」

 尾瀬の背筋が逆立つ。思わず静子の方を振り返ると、静子は空きベッドですやすや寝ていた。


「馬鹿な。写る角度の問題だろう」

「そん域ば超えとうよ。とにかく、写真ば見せ合うた者同士が騒ぎになったんは確かばい」

「……静子は人によって顔が異なって見える。そう言いたいのか?」

「ああ」

 情報通は頷くが、にわかには信じがたい。


「そんなの妖怪じゃねぇか」

「非科学的な事は言いとうなかが、静子には何かある」

「何かあったら兵学校から追い出すのか?」

「そうやなかとやけど……」

 たとえ妖怪だろうが、愛しい妹に似た顔を無下にするなど不可能だ。奇妙な空気の中ではあったが静子は愛され続け、二人は静子を信じ続けた。


 そんな折だった。

「静子の親が見つかった」

 鬼教官のきまりが悪い表情からすると、嘘だ。何か事情がある。

「静子は連れていく。秋山生徒、静子の荷物をまとめるように」

 生徒たちに甘やかされていたため、身一つだった静子には大量の荷物ができていた。


 秋山は露骨に傷付いた顔をした。しかし教官には逆らえない。別れの時は来た。渋々自らの古い鞄に荷物を詰め、静子の肩から下げようとした時だった。

「嫌じゃ」

 珍しく静子が言葉を発し、秋山の足にしがみつく。

「アキヤマと一緒がええ。行きとうない」

「静子、それは無理だ」

 秋山は優しく諭し、静子を抱きかかえて部屋を出る。結局、静子に甘い鬼教官は広島駅まで秋山に静子の手を引かせたそうだ。


 帰ってきた秋山の顔は暗かった。その日の酒保は珍しく羊羹二本。静子の件の口止めに違いなかった。

「……良かったな秋山。願掛けが叶ったぞ」

「こんな叶い方はいらん」

 秋山は子供のように、ぷいと顔を背けた。


 しかし口止めは既に腹の中。静子の話題が出なくなると、たった数か月の思い出など、次第に忘れゆく。静子から尾瀬に手紙が届き、久しぶりに思い出に浸ったのはそれから十年弱経ってからだった。



「久しいな秋山。元気だったか」

「貴様の結婚式以来だな」

 秋山も同様に手紙が来たそうで、小料理屋で静子と会う事になった。


「お久しぶりです。秋山中尉殿、尾瀬中尉殿」

 仲居に連れられ、小娘が入ってきた。静子だ。


「……変わったな」

 尾瀬は息を呑んだ。静子は妹ではなく、妻の顔に酷似していた。

 どうやら静子の顔は、見た者がその時最も愛する人を映す鏡らしい。理由は分からず奇妙すぎる話だが、そう推察するしかなかった。


 そんな便利な顔を上層部が利用しないはずもない。だからあの日、静子は連れていかれたのだ。

「それでは乾杯致しましょう」

 静子が酒を二人のおちょこに注いだ。自然と尾瀬の顔が綻ぶ。


 しかし突然、秋山が立ち上がった。彼は尾瀬の分も酒を取り上げ、窓から外に捨てた。陶器の割れる音がする。

「おい秋山」

 困惑する尾瀬を無視し、秋山は席に戻った。


「こんな真似、どこで覚えた」

 秋山は優しい笑顔で、しかし声色低く尋ねた。温厚な秋山の、最大限の怒りだ。

「毒を盛ったな、静子。実は俺は祝いのつもりで、前もってこの店に酒を持ち込んでいた。しかしこれは俺の持ち込んだ酒とは違う。すり替えたな?」

 尾瀬は目を丸くして徳利を眺める。

「ビルマで覚えました」

 静子は粛然と述べた。秋山の目には、静子はどんな顔に写っているのだろう。


「あの後、私はビルマにできた海軍の情報機関で育ちました。そこで言語、技術、知識を仕込まれ、私は今ここにいます」

 海軍将校である二人には、情報機関が静子をどのように利用しようとしているか、刹那に察しがついた。


「もうすぐ戦争が始まります。私が本格的に動く時が来ました」

「それで静子の存在を知る俺たちの口を封じようと?」

「私の背中の痣。それが顔のない私を特定する唯一の手掛かりです。一緒に暮らしたお二人様だけが痣の存在を知っています。お二人様は私の仕事の邪魔なのです。私も残念ですが、命令ですので」

 あどけない子供が殺人をも厭わぬ小娘に成長した事実に、尾瀬の手が震える。


「一つだけお聞かせ下さい、秋山中尉殿。貴方だけは、私を誰にも似ていると言いませんでした。私の顔に絆ほだされず、毒にも気付いた。何故です?」

「俺に言えと?」

 秋山は静子から目を逸らして、困ったように微笑んだ。


「……俺と貴様と静子の仲だから言うんだぞ」

 秋山は笑顔のまま、ため息をつく。

「俺は男が好きだ。愛する女は家族にすらいない。それだけだ。だから俺には静子が静子にしか見えない」

 見目のいい秋山が未だ独身なわけだ。


「私が私にしか見えないなんて仰る方は初めてです。殺すには惜しい。私としても、拾って世話をして戴いた恩が、お二人様にはございます」

 静子は妖艶に微笑んだ。

「そりゃ有難いな」

「では、私の次の仕事にご協力戴く、というのはいかがでしょう。さすれば、上もお二人様を殺せとは言いますまい」


「……そうきたか」

 秋山が苦笑した。

「協力しないとここで殺すのだろう?」

「左様でございます」

 静子が丁寧に頭を下げる。


「どのような仕事なんだ」

「海軍の機密情報を盗み、英国に売ります。実際に売るのは偽の情報ですが、英国に本物と信じさせるため、海軍内で騒ぎを起こす必要があります」

「……」

「海軍を裏切る事になります。よろしいですか?」

 断れる状況ではない。しかし安易に頷けるものでもない。

 尾瀬の頬に汗が流れた。



 しかし尾瀬の隣で、二つ返事で頷いた男がいた。

「俺は問題児だ。騒ぎを起こすのは慣れている」

 秋山だった。

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