第12話

 昨日、誕生日を迎えた。


 実家で暮らしている間、この日だけは、両親の機嫌が良い日だった。


 だから私も、両親の機嫌取りに奔走した。


 私にとって誕生日とは、とても疲れる日であった。


 それは今でも変わらない。


 しばし巷間こうかんでは「家庭という枠から逃げれば、虐待を受けた影響も何もかも完全に消滅し、健全な人間になることができる」などと囁かれることが多いけれど、そんなことは無い。


 自分に過剰な負荷をかけて生きざるを得なかった私が、一人で暮らすことになったとて、そのかせが簡単に外れるわけがない。


 自分を、追い詰めてしまうのである。


 そうなると、どうしようもない。


 仕事も辞し、一人暮らしをしつつ、病状の恢復かいふくに努めるべきところを、「他の人はちゃんと働いているのに、自分はどうして皆と同じようになることができないのだ」「生きている価値がないのではないか」と、自らを責めてしまう。

 

 自責の念は、誕生日も変わらず私を襲った。


 もう二十も後半になるというのに、相変わらず病気の養生と服薬をずっと継続している。


 病状は良くなったり悪くなったり、日により天気により体調により散逸していて、一貫性がない。


 生きていて良いのだろうか。


 その念は、今も私をさいなむ。


 私も、言ってほしかった。


 生きていて良いよ、と、言ってほしかった。


 そうすれば何かが変わった――とはいうまい。

 

 ただ、それでも。


 劣悪な家庭環境の中で、私とは違って普通に「親から見て良い」大学に進学できた弟を、私は一度抱きしめたことがある。


 一浪して、大学進学が決まった時の話である。

 

 弟は、泣いていた。


 辛かった、苦しかった、と。


 私は弟を抱きしめて、「おつかれさま」と言った。


 しかし、よぎらなかったといえば嘘になる。

 

 私も。


 誰かに、抱きしめてほしかった。


 誰かに、頭を撫ででほしかった。


 頑張ったけれど、報われなかったけれど。


「おつかれさま」と、言ってくれる誰かが、いてほしかった。


 そんな小さな願いは、自責の念と共に、私の感情を良いようにかき乱した。


 取り敢えず。


 ハッピーバースデー、私。


 まだ、生きている。




(続)

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