人魚の引っ越し
知らぬ間に水道管が水漏れしていた。
シンク下の収納スペースの、配管を隠す薄い壁の向こうで流れ続けていた水が、階下の住居を浸水させたのだ。
気の毒に、真下の部屋は四方八方の壁からだらだらと水が垂れ続けている状態だという。事は突然現れた水道業者によって知らされた。
深夜のインターホンに飛び上がったとき、私はペットのキンちゃんを水槽越しにつついて遊んでいた。私のキンちゃんはかしこい。人の顔の見分けがつき、ごくまれに訪れる他人には警戒をして水草の影に隠れる。私を認めると、尾びれをふりふり、喜んで寄ってくるのだ。キンちゃんとは、もう九百年の付き合いになる。
「水道工事のあいだ、ホテル暮らしだってさ」
キンちゃんは砂利をくちに含んで遊んでいる。
「私たち、ここに来て、何年経つっけ。いい機会だし、そろそろ引っ越そうか」
エラからぷくっとこぼれる水泡が、ため息にしか見えない。
「そんな顔しないで。次はもっと南の方で暮らそうよ。少しずつ南下して、水温をならしながらさ。きっと気に入るよ」
水槽のフタをはずし、冷たい水に手をいれると、キンちゃんは素直にてのひらに乗った。
もののない部屋を見回す。何も持てないから、愛着は空間に付く。普段は気にもとめない壁の染みすら最後には胸を締め付ける。
キンちゃんが勢いよく跳ね上がり、私の胃に収まった。股関節の変化を感じ、床に倒れる前に水槽にダイブした。
水は見えないパイプで繋がっている。まずは海を目指して水道管を泳いだ。
引っ越しの道すがら、退去費がわりにパイプの穴を封じた。階下の水漏れはこれでおさまるはずだ。
<おわり>
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