希望について。

源なゆた

希望について。

 箱、らしい。

 KAC20243のお題のことだ。

 しかしながら正直、あまりにも衝撃的な知らせがあり、本日は何も考えられない。何も出来ない。そういう気分だ。おそらく同世代以上の者の大半はこうなっていると思う。本当に、辛い。

 だから、とりあえず、お題を用意してみた。機械的に出力されたお題を、機械的に処理する。簡単なお仕事、という奴だ。


 早速やっていこう。一つ目のお題は……たぬき

 おっと、『お題箱』とは言ったが、「それで何をするか」を言っていなかった。

 ま、率直に言って、雑談だ。雑談。何も考えられない。何も出来ない。そう言っただろう。だから、雑談。その言葉ないし事物から勝手に浮かんできたことを、適当に、ただ適当に話す。

 そういうリハビリ、と思って欲しい。必要なんだ、俺には。


 で、狸、だ。

 俺は田舎出身だから、狸自体はわりと近所に生息しているイメージがある。

 と言っても普段目にするというわけではなく、たまたま……嗚呼ああ、ダメだ。良くない。ごめん。すまない。このお題は終わりだ。


 二つ目のお題。……やしろ

 社と言えば、そのまま漢字が使われている『神社』が日本人としては一番身近だろう。『社』という字そのものが神、あるいはその祀られた施設のことを指す。

 アニメシリーズにもなった大ヒット同人どうじんゲーム、『ひぐらしのなく頃に』に出てきた『オヤシロサマ』というのも、おそらくは『お社様』だと思う。もし何か俺の知らない設定があったなら申し訳ないが、教えてくれれば嬉しい。

 ちなみに、ひぐらし、というのは初夏から夏の終わりにかけて鳴く蝉の一種で、カナカナカナカナ……という少し細い、物悲しい音を出す。寂寥感、と言った方が良いかもしれない。

 だからこそああいう……嗚呼、やはり良くないな。本当にただも無くお題を引いて、応じているだけなのに、こうなってしまう。すまない。次だ。


 三つ目のお題。……希望。

 元々のお題は箱、そして希望、とくれば『パンドラの箱』しかないだろう。締めくくりに相応しいお題になった。

 簡潔に説明するが、『パンドラの箱』はギリシア神話に出てくる。開けてしまうと、中に閉じ込められていたあらゆる災いが世に飛び出す。しかし希望だけが箱に残った……とか何とか。そんなところだ。だから概ね、開けてはいけないもの、災いを招くもののたとえとして用いられる。

 まぁこれ自体は誰も彼もが思い付きそうな言葉だ。『コトリバコ』のような一部世代に通じる都市伝説よりも余程大衆性がある。

 ん? コトリバコについて? それは……流石に検索して本家に当たった方が良いだろう。パンドラの箱はネタバレも何も無いような古典だが、コトリバコは近過ぎる。嗚呼、これだけは一応言っておくが、ホラーだ。苦手な人はやめておけ。あと心が弱っている人もやめておけ。


 さて、パンドラの箱だが……いや、希望、に戻っても良いか。いずれにせよ大差はない。

 パンドラがばらいたせいかどうかは別として、世の中、辛いことはある。たくさんある。それこそ東洋の神話とも言える、およそ二千五百年も前の人物、仏陀=釈迦が説いたくらいには、根源的で、普遍的なことだろう。人生は苦しみの連続だ。全く何にも苦しまず、ただただ楽に生きてきた、という人は……余程恵まれた子供でもなければ、そうは居ないだろう。

 だが、それでも。生きていれば少しくらいはマシなことがある。今現在あまりに酷く苦しんでいる人はそう思えないかもしれないが、ある。あるんだ。信じろ。あるんだ。

 いつも通っている道端の花が咲いた。病室から見えた鳥が美しかった。そんな程度のことが、人を救うことだってある。たった一つ、きっかけがあるだけで、人は、変われる。……少なくとも変わるための機会チャンスを得られる。

 たとえ明日息絶えるとしても、今日の自分を少しでも幸せにしてやる。それが人間の生き方だ。


 ついでだから言うが、まともな宗教は全て、生きている人間のためにある。

 天国に行くとか、仏様の下で修行だとか、あるいは神の戦士として最後の戦に挑むのだとか、色んな宗教が色んなことを言うが、これらに共通している『死後の世界』という発想は、結局のところ生者の気を楽にするためのものだ。

 自分自身が、そういうものがあると信じることによって死の恐怖から逃れる……という意味も勿論もちろんあるだろうが、大切な人が亡くなった時、その人がどこかで幸せに暮らしていると、死んで本望だったのだと、そう信じることで、その人の死を受け止めやすくする。そういう意味が大きいと、祖母を亡くした時、俺は思った。

 俺が思っただけだから、100%の事実ではないかもしれない。でも、多分。大切な誰かを、喪っている人は、同意してくれると思う。


 人生は気の持ちよう、だなんて軽々には言えない。俺も、人に語りたくないような絶望を抱きながら生きている。死ぬまで解決し得ない絶望をだ。

 それでも――既に書いたように――自分のことを少しでも幸せにしてやる。あるいは、大切な誰かの幸せを願う。そういう気持ちが、『希望』と名付けられたのだと思う。

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希望について。 源なゆた @minamotonayuta

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