春を告げる

haru.

第1話

「こんばんわ、佐保様」


 まだ薄氷張る空気が覆う夜、玄関の扉をコツコツと叩く音で瞼を開く。

 もうちょっと寝かせてよ… そんな気分だけれど、しょうがない。

 ぬくぬくと炬燵こたつに入ってくるまっていた私は、しぶしぶ歩いて鍵を開けに向かう。


 北から風に乗ってやってきたツグミから、青い箱を受け取った。

 彼はまた北へ颯爽と帰っていく。宵闇に紛れて見えなくなるまで手を振って見送った。


 箱の中身は存外軽いもの。

 かさかさと振ってみると、心地良い鈴の音が響く。

 静かに箱を開くとモンシロチョウが飛び出してきて、ゆったりと宙を舞った。

 中に入っている色々なものを、ひとつづつ、壊れないよう丁寧に取り出して机に並べていく。


 小袋を開けると、東風を起こすための扇子や暖かい雨粒の元、霹靂の欠片が入っていた。ひとまずポケットに忍ばせておこう。


 瑠璃紺色の絹布で包まれた中には、星彩を閉じ込めたキラキラと光る粒。

 私は部屋に掛かる分厚い闇のカーテンを開け、ふわり揺蕩う月にかかる朧を優しく吹き飛ばす。アークトゥルス、デネボラ、スピカを取り出して、北極星に向かって天高く放り投げた。


 硝子の小瓶には、それぞれの香りが詰まっている。

 沈丁花の甘いものや、若葉の青い香り、目の覚めるような甘夏の香り。さてどれから使おうかと少し開けて匂いを確かめる。そうね、今は香雪蘭フリージアの気分。


 木の小箱には、無数の別れと新しい出会いや恋の種。

 どんな人に渡そうかしら、と思いを巡らせるのは楽しい。


「さて、そろそろ動くかな」


 炬燵の中に潜る猫を、よいしょと抱えてぬくもりの海から出した。

 今度は私が色々なものを朱色の箱に詰めながら、南へと旅に出る。

 早くと待ちわびる筒姫の君に、送る準備を進めよう。

 桜色の服に着替え、白く柔らかな霞の衣を纏って外に出た。

 夜のほどろ、地を覆う白銀を薙ぎ払い、新しい土の匂いで満たす。

 春隣、柳の糸を染め上げ、数多の花を咲かせに。

 さて、世界に春を告げに出発しましょうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春を告げる haru. @matchan0307

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ