優秀な受付嬢はその人の本質を見抜く
俺はこの件を上に報告し、抗議してもらうことに決めた。
何、簡単だ。総務部長を通じて営業部長に抗議してもらうだけだ。
それだけで勝負がつく。いや、勝負にすらならない。
そもそも営業が庶務課の力を借りないなど愚の骨頂。非効率この上なく、今以上の成績を上げることなど不可能である。
立石のいる前で良い格好を見せようと焦ったか。しかもできる男アピールは逆効果でしかない。彼女の気持ちは徳永からどんどん離れていくだろう。
そして俺はこの件を利用し、立石にできる男であることを証明する。つまりこの件を解決するだけで、俺への興味は一瞬で消え失せるだろう。
故に、スピード決着が肝だ。なにより明日の木曜日に、またKACの新たなお題が発表される。これ以上、何かしらの案件を抱え込むわけにはいかない。
「みんな、聞いてくれ」
昼休みが終わって一番、俺は庶務課のみんなに声をかけた。
営業一課の徳永一輝との先ほどのやりとりを報告する。だが同僚たちは不快だという気持ちは表明したものの、納得はしていた。
「まぁ、営業一課と庶務課の差は、会社の貢献具合で言えば、下に見られても仕方がないというか」
「そうそう、頑張っている営業には頭が上がらんのも事実だろ」
同僚たちは、俺と徳永の問題と捉えているようだ。
ならばもう一枚のカードを切ろう。
「ちなみにこの件が解決すれば、立石美桜さんの問題も同時に解決することになるんだが、そのお礼に受付一課との合コンの約束を——」
「営業一課絶対に許さねぇ!」
「我々庶務課は営業一課の仕事を断固拒否する!」
「異議無し!」
「部長即刻抗議してください!」
良し、これで徳永の考えを正すことができるはずだ。あとは個人的な関係を改善するだけで済むだろう。そもそも向こう側が勘違いしている点が多々あるため、誤解を解けば俺たちは分かり合えるはずだ。
だが今のままでは相手にされず終わってしまうだろう。最低でも彼のような、できる男を演出せねばならない。
俺の身近にいるできる男といえば、直属の上司にあたる寺崎常務だ。
気が進まないが仕方ない。俺は寺崎常務に電話をすることにした。
「はい寺崎。どうした?」
「平林です。お忙しいところ申し訳ありません、寺崎常務。お願いがあります」
「100万あればいけるか?」
「いやいや、お金じゃありませんって!」
「なら良かった。しかし君は本当に賑やかだな。あぁすまない。それで、お願いとは何かな?」
「車を一台貸してもらえないでしょうか」
「ほら見ろ。それなりの車を一台持っておけと言っただろう」
「いや、まさか庶務課にいる俺が、営業一課の徳永と揉めるとは思ってなくてですね?」
「ほぅ、徳永一輝君絡みかね? 面白い。平林君が迷惑をかけたみたいだからね、私も行こう」
「……えっ、マジっすか? 常務出てくるんっすか?」
「鍵を私の執務室まで取りに来て準備しておくように」
速攻で通話を切られた。大変なことになった。時間給を取得して急いで準備しなければ!
家に帰りスーツを着替え直す。寺崎常務はTPOにうるさい。さきほどの車の件もそうだ。我が社の役員ならば、その地位に見合った格好をしろという人物なのだ。
寺崎常務が贔屓にしている会員制高級クラブを3名で予約。
風呂に入り髪型をきっちりセットする。
そしてこの一張羅だ。お前はすぐに横着するからと寺崎常務付き添いで、行き付けのテーラーで採寸し仕上げた逸品だ。
あと絶対に忘れてはいけないのが、役員に支給される社章とネクタイピン。これは色で序列が分かるようになっており三役が金、専務と常務は銀、執行役員は銅となっている。
鏡の前に立てば違和感しかない。『誰だお前は』である。馬子にも衣装とはまさにこのこと。しゃきっとせねばと思い、どうにも力が入ってしまう。肩が凝って仕方がない。
ちなみにこの格好で会社に行っても誰も俺だと気づかない自信がある。
急いで会社へ蜻蛉返りする。いつもはスルーされる受付嬢にも、役員が来たと深々と頭を下げられた。あの人は誰だと話し合う声が後ろから聞こえる。
エレベーターを待っていると、偶然木下葵がやってきた。
目が合ったが彼女はその視線を手元にあるスマホへと落とした。
どうやら気づかれなかったようだ。だが受付嬢としての教育が行き届いていない。会社の役員がいれば挨拶くらいはするものだ。
エレベーターが到着したので乗り込むと、スマホが震え出した。
静かなエレベーターの中で早く出ろとスマホが震え続ける。画面には木下葵の文字があった。
エレベータ内でシャッター音が響く。後輩がこちらにスマホを向けていた。
「良い趣味をしてるな。消せ」
「……やっぱり先輩だ。す、凄いお洒落してますけど、どうしたんですか?」
おっかなびっくりな声だった。
「俺と徳永の仲裁に寺崎常務が入ってくれるらしい」
「……ひぇっ、
俺はスマホのLIMEで忘れろ忘れろビームを打っておいた。
〔初見です。格好良いですね〕
お約束が返ってきた。だから忘れろください。
ふと良いことを思いついた。
>〔お前に紹介したい人がいるから週末顔貸せ〕
〔誰ですか?〕
>〔損はしない。楽しみにしておけ〕
寺崎常務の執務室で鍵を受け取り地下駐車場へと向かった。社用車がいくつも並ぶ中に、高級車ばかりが並ぶ一画がある。車で通勤をしている偉い人たちはそこに止めることになっている。
当然、その中に常務の車がある。白いセダンの高級車が違和感なく、そこに溶け込んでいる。
ドアを開ければそこは別世界だ。高級サルーンの内装も溜め息が出るほどにお洒落で、素材の1つ1つにこだわりが見え隠れしている。
イグニッションを入れ、PINコードを入力すると、車内全体が近未来を思わせる空間へと変化した。皮のハンドルを握り慎重にアクセルを踏む。
動き出すこの瞬間が一番緊張する。
何度かハンドルを切りスロープを上っていく。オフィスビルの入り口で停車すると道行く人々の視線が集まる。
時刻を確認するためにキラキラと輝く腕時計を見る。時刻は10時を指していた。
「あー、ずっと置いたままだったから……」
自動巻なので普段から着けていないと止まってしまうのだ。高い物なので傷がついたらと思ってしまい、普段では身に着けることができないでいる。
時刻を調整しながら、徳永と寺崎常務を待つ。
退社時間となりオフィスビルから続々と人が出てくる中、周囲を見渡しながら徳永一輝が出てきた。
「徳永、こっちだ」
「えっ、その声——もしかして平林か?」
「そうだ。今日は急な予定を入れてもらってすまない。寺崎常務がお前と話がしたいそうだ」
「いや、問題は無いんだが、何故平林がいる?」
「一応、寺崎常務が俺の直属の上司に当たる人だ。まさか俺たち二人の仲裁に出てこられるとは思わなくてな」
徳永はぽかーんと口を開けて驚いていた。
「お前、庶務課じゃなかったのか?」
「まぁその話は今は置いておこう。まずは誤解を解いておくぞ」
「誤解?」
「立石美桜が何故俺に近づいたのか。彼女が求める男性のタイプは『ダメな男』だ」
「はっ?」
「仕事ができるお前とは、好みが全くの正反対というわけだ。で、同期の俺に助けを求めにきた。隠れ蓑になれと」
「……どうしてお前が立石の好みのタイプを知っているんだ」
「一緒にいれば嫌でも分かる。彼女の誘いで展望レストランに行ったんだ。普通なら半分でも会計を出そうとするだろう?」
「勿論だ」
「俺は、あえて奢ってもらった」
「お、お前っ、それはダメだろ。少しくらい彼女の気を引こうとは思わないのか?」
「俺は弁えているんだよ。そして今日、俺は彼女のお弁当を食べた。そのとき箸を一度も使わせてもらえなかった」
「意味がわからない。自慢か?」
「口まで拭かれたんだ。何もかも彼女が世話をしてくれる。間違いなくダメにされる」
徳永は俺の警告を呆れ顔で聞いていた。
「頑張るお前をダメ男にされるわけにはいかないということだ」
彼は笑った。
「何だそれは。だがまぁ、お前の言いたいことは分かった。何故この俺が立石に全く相手にされないのか。その可能性なら納得できる」
「あぁ、そして可能であるならば、立石にできる男の格好をした俺の姿を見て興醒めしてもらいたい」
「普通は逆じゃないのか? 変な奴——平林、噂をすれば立石美桜がいるぞ」
ほらと徳永が顎で差す。定時退社の立石が徳永に気づき、うん?っという顔をする。
しばらくして、彼女も俺に気づいたようだ。彼女は歩いてくると高級車に目を向ける。
「こんばんは、平林君。これはどういう組み合わせかな?」
「寺崎常務が日頃頑張っている徳永を飲みに連れて行くらしい」
「確かに、徳永君は受付一課でも凄い人気だからね。でも平林君は……」
どうやら襟元にある社章に気がついたようだ。彼女は目を細めた。
「私と同期ということは、旧世代。こんな単純なことを忘れていたなんて……そうなんだ。凄い人だったんだね、平林君」
彼女の表情から感情が消えた。庶務課にいる俺は仮の姿——今の姿が真の姿だということに気付いただろう。策はなった。これで彼女は俺への興味を一瞬で失うだろう。
だがここで予想外の出来事が起こった。彼女がふふっと笑ったのだ。
「平林君はやっぱり平林君だね。下……閉め忘れているよ」
「下?」
「平林、ズボンのファスナーが全開だ」
徳永に指摘され俺は初めて気付く。俺は黙って上にあげる。
「ほら、ネクタイが緩んでる。こっち向いて。……肩に糸埃もついてるよ。寺崎常務は服装に厳しいんだから、怒られちゃうよ?」
「お、おう……助かる」
「うんうん」
徳永も立石から服装をチェックされたがすぐにその視線から解放される。
「二人とも完璧だね。それじゃ、平林君、徳永君さようなら」
嬉しそうな彼女の背中を見送りながら徳永は言った。
「理解したよ、平林が言いたいこと。残念だったな……」
「……やっぱり、ダメか?」
「あれはもうロック・オンだな。どう考えても私がいないとこの人はダメだってなってるぞ、あれ」
「だよなぁ。気が進まないが仕方がない……」
「——そうか、平林は私との付き合いは気が進まないのか」
次の作戦をと思ったら背後から寺崎常務がにゅうっとでてきた。
「ち、違いますって」
「冗談だ。一部始終見させてもらった。立石君を平林の側におけば、お前は手を抜かずに真面目に仕事をするのかね? どう思う、徳永君?」
「間違いなくバリバリ働きますよ、寺崎常務」
「いや、ちょっと待ってくださいよ」
「それじゃぁ行こうか——」
その一言に、俺は寺崎常務のカバンを持ち後部座席を開けた。
カクヨムユーザー、悩む どこかのサトウ @sahiri
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