新たな仕事がこんにちは

「楽しかったです。先輩、また誘ってください」

「お、おう? 俺が誘ったんだっけ……?」

 後輩が帰って行った。賑やかだった部屋はいつも以上の静けさに包まれている。

 本当に末恐ろしい後輩だ。これは朝食を食べ終わったあとの話だ。


「お風呂、お借りしても良いですか?」

「お、おう……」

 自分の持っていた女性の貞操観念に疑問を抱きつつ、お客様用に置いてあるタオルとバスタオル、アメニティセットを手渡す。

「あとで洗濯するから、洗面所にある洗濯機の中に放り込んでおいてくれな」

「ありがとうございます。お借りします」

 洗面所に歩いていく。だが途中で彼女はこちらを振り向く。バスタオルを抱きしめながら小悪魔のように囁いた。

「——お風呂、一緒に入りますか?」

 言葉を失ってしまった。しばらく呆然と立ち尽くしていたら、彼女は逃げるように洗面所へと歩いていった。徐々に言葉の意味を理解した。お前にそんな度胸はないと挑発されたのだ。

 良いだろう。ならば教育せねばなるまい。男という生き物を——!

 シャワーの音が聞こえてきた。しばらくして俺はあえて洗面所に突入。服を脱いで洗濯機の中に放り込む。そして全裸になって声をかけてやった。

「湯加減はどうだ?」

「——は、はい! 丁度良いです!」

「そうか、それは良かった!」

 浴室を隔てた磨りガラス越しに、後輩が思いっきり身構えている。本当に入ってくるのではという緊張感がこちらに伝わってきた。

 新しい下着に着替えて浴室を後にする。実戦宛らの教育的指導は終わった。

 浴室はしばらく静けさに包まれていた。

 ちなみに、お風呂上がりの第一声は『やってくれましたね、先輩』だ。それほどでもない。


 彼女が帰ったあとは洗濯や掃除など、たまっていた家事を片付けることにした。

「……あいつが寝ていた寝具を洗うぞ! でないと執筆活動に支障が出る。間違いなく!」

 事実、シーツを洗うだけだというのにそれを拒まんと手が震えていた。

 俺を慕ってくれる会社の可愛い後輩だ。だが所詮、俺も男という生き物だと痛感させられてしまう。

 ——深呼吸だ。これ以上心を乱さずに、そう。

 心を無にして寝具を放り込む。そしてボタンを押せば、洗濯機は非情にも動き出した。これで良い。


 昼は外食をすることにした。問題の社内LIMEを確認すると、絶望した男性社員の絶望スタンプばかりが貼られていた。

 誰がお持ち帰りされたのかまでは書かれていないが、受付一課という情報が流れていた。

 受付一課は営業などの、外部との接触が比較的多い部署を担当している。

 後輩の木下はまだ一年目の新人という理由で二課に配属されているが、一課に移動するのも時間の問題だろう。

 ミス〇〇など、様々な肩書きを持つ女性が集められたうちの花形部署だ。彼女達のきめ細やかなサポートにより、我が社の営業統括本部は凄まじい成績を上げている。

 社内、社外ともに注目を集める受付嬢が、男性社員と夜の街に消えた。

 会社側としては互いが同意の下、節度を持ったお付き合いをしてくれれば何も問題はない。

「だが火のないところに煙は立たないと言うからな」

 何かしらのハラスメント行為が発生したと想定する。

 ここで問題となるのが被害者の立場だ。

 例外もあるが、立場の弱い者が被害者となるケースが多い。

 勇気を出して声を上げようにも、上司の後ろには組織が、会社が守っているように見えてしまうのだ。

 会社側はそんなつもりは全くなく、ハラスメント相談窓口は被害者を守ろうと万全の体制を整えている。

 だが被害者からすれば上司は会社側の人間。相談したことで会社側から何かしらの不利益を被るかもしれない。

 そう考えることが普通なのである。

 だから会社側は外部にも相談窓口を設けている。

 ただここも問題だったりする。法律相談でお世話になっている顧問弁護士さんが兼任しているからだ。

 被害者側からすれば、会社側と何かしらの関係があれば、上司の後ろにいるのと同義である。

 故に、何かあれば相談してくれと言っても、我々の声は被害者には届かないと考えるべきなのだ。

「うちの会社とは独立した、全く無関係な第三者の相談窓口も必要ってことだな」

 うん、やることが増えた。

 寺崎常務や他の取締役に納得してもらえるように色々と調べる必要がある。だがKACの締め切りも迫っている。

 悩んだ末、俺は仕事を優先することにした。

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