だから開けるなと言ったでしょう

平井敦史

第1話

 ひれをばたつかせて不器用に泳ぎながら、ハコフグがたずねます。


乙姫おとひめ様、やはり太郎殿には事情をご説明なさるべきだったのでは?」


 小さく溜息をついて、乙姫様は答えました。


「それでは意味がないでしょう。私は決して開けないでくださいと言いました。問題はあの人が私との約束を守ってくださるかどうか。それだけですよ」


「もしかして、お教えしてしまったら術の効果が無かったりするのですか?」


「そういうわけではありませんけど、ね」



 あれは三年前のこと。

 海の神わだつみの娘でありここ竜宮城りゅうぐうじょう女主おんなあるじである乙姫様は、亀の姿に変化して人界に遊びに行ったところ、意地悪な子供たちにつかまってしまい、さんざんにいじめられました。

 変化を解いて人の姿になったら、一糸いっしまとわぬあられもない姿をさらすことになってしまいますし、かといって真の姿を見せたりしたら、人間など一目ひとめ見た瞬間に死んでしまいます。さすがにそれはやり過ぎです。


 乙姫様(亀)が困りはてていた時、一人の男の人が通りかかりました。

 名を太郎たろうと言い、近くの浦島うらしま村という漁村に住んでいる漁師です。人からは「浦島太郎」と呼ばれています。


 浦島太郎は、子供たちに言いました。


「こらお前たち。生き物をいじめてはいけないよ。このサザエをあげるから、おうちに持って帰って焼いてもらいなさい」


 そうして、サザエと引き換えに亀をもらい受け、海に逃がしてやろうとしました。


 危ないところを助けられた乙姫様(亀)は、浦島太郎に言いました。


「ありがとうございます、親切なお方。お礼に竜宮城へお連れしましょう」


「か、亀がしゃべった!?」


 浦島太郎はびっくりして腰を抜かしました。当然の反応ですね。


「驚くことはありません。私はただの亀ではないのですから」


「そ、そうなのか。わかった」


 浦島太郎は単純な性格だったので、あっさり納得しました。


「で、竜宮城ってどんなところなんだ?」


「それはそれは素晴らしいところですよ。あるじの乙姫も、きっと歓待してくれることでしょう」


 本人が言うのですから間違いありません。


「乙姫? 竜宮城のあるじは女の人なのか。どんな人なんだい?」


「とても美しい人ですよ。この地上にも、乙姫より美しい女の人はそうはいないでしょう」


 乙姫様(亀)は自信家だったので、きっぱりと言い切りました。

 貧しさゆえにいいとしをしてひとの浦島太郎は、がぜん興味を持ち、乙姫様(亀)に言われるまま、熱いお茶を一杯飲んでから、亀の背に乗って海の底の竜宮城へ向かいました。


 なぜ熱いお茶を飲んだら水の中でも息が出来るのか、その原理はいまだ解明されていません。


 竜宮城に着くと、乙姫様(亀)は人間の姿に戻り、何食わぬ顔で浦島太郎の前に姿を見せて、亀を助けてくれたお礼を言い、彼を大歓迎しました。昼も夜も。


 そうして、またたく間に三年の月日が流れました。

 乙姫様と夫婦めおとになり、満ち足りた日々を送っていた浦島太郎でしたが、次第に地上が恋しくなってきました。

 地上には太郎の両親と幼い弟がいます。今頃どうしていることでしょうか。


 ため息をついてばかりいる浦島太郎に、乙姫様は言いました。


「そんなに地上に帰りたいのですか?」


「ええ。もちろん乙姫様と過ごしたここでの日々はとても楽しかったです。でも、やっぱり地上に帰りたいという気持ちはおさえられません」


 太郎がそう言うと、乙姫様もまた一つため息をつき、仕方ないなという表情を浮かべます。


「……では、地上に送り返して差し上げましょう」


「本当ですか!?」


 大喜びする太郎に、乙姫様は美しい螺鈿らでん細工ざいくの小箱を手渡しました。


「地上に戻ったら、この箱を大切に持っていてください。決して開けてはいけません。約束ですよ」


「わかりました。約束します」


 そうして浦島太郎は、乙姫様が呼んだサメの背に乗って、地上へと帰って行きました。

 乙姫様自らが亀になって送り届ける気にはなれなかったのです。



 かつて浦島太郎が乙姫様(亀)を助けた浜辺近くまで送り届けて、サメは海中へと帰って行きました。

 太郎が浜辺に上がると、そこには彼が知るものとは随分様変さまがわりした風景が広がっていました。

 幾人もの男女がそこにいましたが、男は腰に布を巻く、いやいただけの裸、女もまた胸と腰に布を当てただけの破廉恥はれんちきわまりない格好です。


「わ。何その恰好カッコー。コスプレ? マジウケる~!」


 花柄の布で胸と腰を覆っただけの破廉恥な女が、浦島太郎を指さして言いました。

 浦島太郎には彼女が何を言っているのかよく理解できませんでしたが、どうやら笑いものにされているようです。

 こんな破廉恥な格好をした女にだけは言われたくありません。


 しかし、何はともあれ地上の家族に早く会いたい浦島太郎は、気を取り直してその場にいた男女に尋ねました。


「このあたりに浦島という村があったはずだが、知らないか?」


 男女は皆首を傾げましたが、短い金色の髪をした男が言いました。


「そうや、市町村合併前の古い地名で『浦島』ってのがあったって聞いたなあ」


「シチョウソン……何だって?」


 やっぱりこの連中の言うことは浦島太郎にはよくわかりません。


「つーか、あたしの苗字『浦島』だし」


 最初に浦島太郎に声を掛けた女が言いました。


「あ、そうか。優子ゆうこって『浦島うらしま優子ゆうこ』だったっけ」


 そう言われて、太郎は女の顔をまじまじと見つめました。


次郎じろう……?」


 女には、どことなく彼の幼い弟の面影おもかげがありました。


「ねえ、さっきから思ってたんだけど。この人、もしかしてタイムトリッパ―なんじゃない?」


 やはり黒い布で胸と腰を覆っただけの、眼鏡を掛けた女が言いました。


「いやそんな、アニメじゃあるまいし」


 やっぱり浦島太郎には彼らが何を言っているのかわかりません。


「あの、あなたがいた頃の年号ってわかりますか?」


「ネンゴウ?」


「うーん、昔の一般庶民は年号とか意識しないのか。じゃあ、『徳川とくがわ家康いえやす』って知ってます?」


「トクガワ? いや、うちの村にはそんな名前の人はいなかったが」


「まあ村にはいないでしょうね。将軍様……公方くぼう様? うえ様? これでもわからないか。偉いお侍さんなんですけど……」


「お侍様? それは北朝方ほくちょうがたの? それとも南朝方なんちょうがたの?」


 うらぶれた漁村の住民に過ぎない浦島太郎でも、お侍さんたちが北朝方ほくちょうがた南朝方なんちょうがたに分かれて争っているという噂は聞いたことがありました。


「げっ! 南北朝時代? それって七百年近く前じゃないですか!」


眼鏡の女が驚きの声を上げます。


 浦島太郎にも、段々事情が飲み込めてきました。

 どうやら、彼が生きていた時代から、七百年近い歳月が流れてしまっていたようです。

 竜宮城と地上とでは、時の流れる速さが全く違っていたのです。

 当然、彼の両親も弟も、もうこの世にはいません。

 太郎は愕然として膝を落としました。

 しかし……。この優子という女がどうやら弟の血を引いているらしいというのは、せめてもの救いでしょうか。


「太郎ちゃんだっけ? 行くとこないんでしょ? じゃあうちにおいでよ」


「た、太郎ちゃん!?」


 妙に馴れ馴れしい呼び方に面食らいましたが、優子の申し出は、浦島太郎にとっては大変ありがたいものでした。


「ちょっと優子! こんなこと言ったら何だけど、この人戸籍とかどうするのよ。タイムトリッパ―です、っていう説明じゃ、役所は納得しないわよ」


「うーん、そっかー。ま、何とかなるっしょ」


 優子は浦島太郎をアパートに連れ帰り、二人は一緒に暮らすようになりました。

 身寄りを無くした太郎にとって、彼女の優しさは心に沁みるものでした。


 そんなある日、優子は玉手箱を手に取って言いました。


「ねえ太郎ちゃん。前々から気になってたんだけど。これ、元カノからのプレゼントだよね? そんなの棄てちゃってよ」


「いや、でもこれは乙姫様の……」


 優子の優しさにほだされて一緒に暮らし始めましたが、今でも浦島太郎は乙姫様のことが好きだったのです。

 調子のいいやつですね。


「何よ、こんなもの!」


 優子はかっとなって、玉手箱を床に叩きつけました。

 すると、蓋が開いた箱の中から煙があふれ出し、浦島太郎を包み込みます。

 煙が晴れると、太郎はしわくちゃのお爺さんの姿になっており、その体も、やがて塵になって消えてしまいました。


「太郎ちゃん!」


 優子は嘆き悲しみましたが、後の祭りというものです。



 浦島太郎が目覚めると、そこはかつて過ごした竜宮城の中でした。


「やはり玉手箱を空けてしまったのですね」


 怒った顔の乙姫様が、太郎に言いました。


「ご、ごめんなさい! 浮気するつもりはなかったんです!」


 乙姫様はふっとため息をつき、


「そのことはまあ仕方ないでしょう。あなたは本来地上の人間。地上に帰って向こうの女性と縁を結ぶことに対して、嫉妬するつもりはありませんでした。……あなたが私との約束を守り続けてくれる限りは」


 乙姫様は、浦島太郎が浮気をしたことよりも、約束を破ったことに対して怒っていたのです。

 浦島太郎は平謝りに謝りました。


「いいえ、許しません。あなたはこの先、地上で輪廻転生の輪に加わることなく、未来永劫ここで私と一緒にくらすのです。それがあなたへの罰」


「え? それはむしろご褒美なのでは?」


 思わず太郎が呟くと、乙姫様は顔を真っ赤にして横を向き、言いました。


「罰だったら罰です!」


 こうして、浦島太郎は今も竜宮城で乙姫様と暮らしています。

 竜宮城での暮らしは幸せそのものですが、時々優子のことを思い出し、彼女が良い男と巡り会えていることを願うのでした。



――Fin.

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だから開けるなと言ったでしょう 平井敦史 @Hirai_Atsushi

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