第32話   お姫様を作る

 ノワールだけ部屋を出た後に、俺は辺りを見回した。サフィールが着替えられるようなものは、ここにはない。だってここはノワールの部屋だから。


「なあ、こういう部屋の趣味って、この世界では普通なのか?」


「いいえ。しかしノワールにとっては、普通のことです。天井からぶら下がっている手足たちは、ノワールの着替えです」


「え?」


「あなたもここに住んでいれば、いずれノワールが着替える姿を見ることもあるでしょう。その時が来たら、彼に尋ねるといいですよ、そのほうがきっと、彼も説明に困りませんから」


 つまり、今聞いてもわかんない話だと……。え~~~? たしかに天井からぶら下がっている手足が着替えって、意味わからんけど……そんな言い方されたらめっちゃ気になる。


 窓から差し込む昼下がりの太陽光が、手足を照らしてて、壁に巨人のバラバラなパーツを影絵にして映し出してる。なんとも不気味な光景だ。


 ベッドに座っていたサフィールは、すべての料理をシーツの上に置き去りにして、立ち上がった。ニヤリと口角を上げながら、部屋の扉に手をかけてみせる。


「着替え、手伝ってくれるんですよね? 僕の部屋へ移りましょう」


「そのままの姿じゃ出かけられないなんて、お前も大変だな」


「あなたも着替えるんですよ」


「えー? 俺にも女装しろってか? ぜってーやだ、断る」


「心配しなくても、あなたの服装は庶民と同じにしておきますよ。さすがに二人もドレスを着付けたら、時間がかかりますからね」


 時間がかからなかったら、オモチャの俺にも着せかねんな、こいつら。あんまり考えないでおこう……。


「ノワールの返事を待たなくていいのか? あいつ、まだ戻ってきてないぞ」


「はい。お兄様ならきっと、快諾してくれると思いますから」


 廊下を歩きながら、前を行くサフィールが振り向いた。


「他ならぬあなたの、健康な体を取り戻すためのお手伝いですからね。おやつぐらい、容易に許可が取れましょう」



 俺は今まで、ドレスってヤツを一枚のワンピースのように思ってたけど、結構パーツがばらけてるんだな。オレには詳しいファッションの知識は無い。だから、ワイヤー入りのパニエがどうとか言われたって、コルセットやガーターがどうとか指示されたって、どれがどれやらわかんない。


 とりあえず、バラバラになってるドレスの一部一部を、指差してもらいながら、俺はその通り従順に運んでいき、不慣れながらに一つ一つのパーツを、サフィールに付けていった。それもさぁ四苦八苦で、後から部屋に入ってきたノワールに手伝ってもらったよ。サフィールがとにかく左右対象にこだわるからさぁ、そんなもん素人じゃ無理だって言ってやった。練習も予備知識もなしに、ぶっつけ本番でできるかよ。


 ノワールが慣れた手つきで、どんどんひっつけていくから、俺もそれを見習って、見よう見まねでやってた。おお、サフィールがどんどんお姫様になっていくぞ……。


 最初はガーターベルトや、パニエや、さらには偽物の胸の詰め物などなどを指示通りにサフィールに装着していきながら、正直「大丈夫なのか、これ。マジでお姫様って、こんなの身に付けてんの?」って不安だったけど、下着類はすべて「ドレス」を形良く、そして体型を女性らしい形に整えるために、必要なものだったんだ。


「なんだか、お風呂での積極的な姿とは打って変わって、おとなしいですね」


 鏡台の前に座って、その長い銀色の髪をノワールと俺に綺麗に編み込みさせているサフィール、いや、もうサファイア姫だな、サファイア姫が口角を釣り上げていた。


 鏡の中に、俺の露骨に嫌そうな顔が映った。慌てて目を伏せるも、自分史上とんでもない事をやらかしかけたのを思い出してしまい、顔が熱くなる。


「うぅ……風呂での事は忘れろ」


「無理です。お兄様と繋がろうとした人を、そんなにすぐ忘れるわけないじゃないですか」


「……。なんでだろ、ルナが目の前にいると、なんか、変になるんだよ……」


「ルナ呼び」


「へ……? ああ! ほんとだ! いつの間に。えっと、ル、ルナリア王子が変なことばっかりするから、俺が発情? とかになって、その……なんか、変になるんだと思う」


 編み込みも変な形になってるんだけど、遠目から見ればたぶん目立たないだろうから、いいか。誰かのために髪をいじるだなんて、やったことないから、すんなりできっこないよ。なんで俺にも頼むんだよ〜。


「ねえイオラ、あなたのお腹に未だ幅を利かせているその器官は、妖精の卵を産むためのものですけど、人間の赤ちゃんも作れるかもしれませんね」


「ええ? ぜってーに試さないぞ……。それに、生理とかにならないと、人間の赤ん坊はできないんだろ? そういうのはなったことないし、そもそも俺の胎の変なのは、順調に縮んでいってるらしいし、じゃあ、その、もしも、そんなことする日が来ても……」


「子供ができなくたって、ずっとお兄様のそばにいればいいじゃないですか」


「やだよ。永遠にあいつのおもちゃにされるだろ。しかもその都度、薬草風呂でゴシゴシ洗われるぬいぐるみみたいな生活、絶対ごめんだわ」


 弟たちが赤ちゃんだった頃に、よだれまみれになったクマを洗濯機で丸洗いする母ちゃんを思い出したぞ。


「イオラが寵姫になってしまえばいいのです。そうすればドロドロにされるのも、一緒に入浴する生活も、合法になります」


「それはお前にとって都合が良いだけで、俺にとっては生き地獄じゃねーか」


 ノワールが黒いリボンで編み込みヘアをきれいにまとめて結ぶのを、俺は傍に突っ立って眺めていた。


「……お前らはまだ知らないだろうけど、俺はもとの人間の体に戻ったら、きっと、お前らのことたくさんがっかりさせると思う」


「元の身体に戻るのが、嫌なのですか?」


「……今の俺は、かなり体が丈夫くなってるけど、本来の俺は突然眠気に襲われて抗えないし、何度も入退院だってしてるヤツなんだよ。お前らの過激なお医者さんごっこなんて、とてもじゃないけど、ついていけないよ。って言うか、ついていきたくねーよ」


 サファイア姫と、それから銀の髪をまとめ終えたノワールが、俺に振り向いた。


「イオラ」


「がっかりしただろ」


「いいえ、話してくれてありがとうございます。それと、あなたはお兄様を誤解していますよ。あの人はお医者さんごっこが趣味なのではなく、今後この国のために必要だと考えているから、あなたを調べているのです。あらかたあなたを調べ尽くしたら、もうお腹に器具を突っ込むこともしないでしょう」


 あー、なんでかなー、会話が噛み合わないんだよなー。俺のどこが誤解してるって言うんだよ、真の姿を見抜いているだろうがよ。


「イオラがもとの、健康に恵まれない体に戻ってしまっても、お兄様はあなたが泣いたり甘える姿が好きなんですから、ただ普通に暮らして、おそばに仕えてくれるだけでいいんですよ」


「温かみのある言葉ふうに言ってるけどさぁ、俺が泣いてるのは、泣くほどキツイ目にお前らが遭わせてるせいだからな!」


 おい、きょとんとするなよ! お前の中では全てが合意の上なのかよ、ほんとこいつサイコパスだな。


「イオラがお兄様の癒しにならなきゃ嫌です」


「嫌ですって、お前なぁ。ならないし、なれねえって」


「抱き枕になってるだけでいいのです」


「抱き枕じゃ満足しないだろ、あの変態王子は。俺に毎日泣いて暮らせって言うのかよ。鬱になるわ、そんな生活」


「でも、イオラはお兄様が好きですよね? 案外あなたは適応して、いつもお兄様のそばでその心身をお支えし、献身的な一生を送るかもしれませんよ」


「あのなぁ、俺の話聞いてたか? 俺の体じゃ誰かの支えになんて、なれねえよ、なりたくてもな……」


 胸元に懐中時計をしまっているのは、サフィールだけじゃなかった。ルナも、じゃなかったルナリア王子も、しょっちゅう時計を取り出して確認しては、慌ただしく部屋を出て行く。そんなに忙しい奴がさぁ、ただの抱き枕なんて欲しがるかよ。体力的にもタフで、阿吽の呼吸で仕事手伝ってくれて……ちょうどサフィールみたいなヤツを必要とするだろうよ。


「イオラ、暗い。イオラはイオラで、できることを精一杯やればいいの。王子のことを考えて、王子のために今の体でできることを精一杯やればいいの。ボクも、いろんなことできないし、理解できないこと多いけど、それでもボクの体で、できることいっぱいやってるの。イオラは何もできないことない。なんでも挑戦してる。だからいつか、できることいーっぱい増やせる。誰よりも」


 ……大真面目な顔のノワールの、あいつみたいな色した力強く輝く両眼に射抜かれて、俺は不覚にもすごくびっくりしてしまった。この世界でも、誰も俺の事なんて見てないんだって思ってたから、油断した。


 このウルトラマイペースなノワールが、ちゃんと俺のことを気にしてたっていうのが、一番びっくりしたかも。


 ……ちょっと嬉しかったのは、内緒だ。


「へーへー、ご忠告ありがとよ」


 さも迷惑そうに言ってやった。


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