第26話   風呂で少しだけ語らう

 お師匠様のたてがみ、ふわふわしてて、でも触らせてって言える勇気が出なくてさ。その髪が今、俺の目の前で揺れている。ああかっこいい。どうして俺は今、お師匠様の背中に乗せてもらってるんだろう。


 背中、暖かいな……木漏れ日が穏やかで、季節は夏かな、でも過ごしやすい涼しさで、とてもゆっくり時間が流れてる気がする。幸せで頭がいっぱいで、森の奥深くに連れていかれるってわかってても、もうどこだってこの人となら、幸せに過ごせるってわかる。


 俺が、初めて聞く響きの名前を呼んだ。


 それがお師匠様の、本当の名前なんだな。


「どうした? アルエット」


 振り向いたお師匠様の顔は、すごく優しくて、そして今よりもずっと穏やかで、幸せそうだった。


「なんでもない、ねえキスしよ!」


 びっくりするくらい無邪気な言葉が、俺の口から出てきた……え? これ俺の声か? やたら甲高くて、幼くて、幸せに浮かれきってる。


「ハハ、歩きながらじゃ危ないぞ」


「はーい。じゃあ、休憩するときしようね」



 俺はハッと喉を鳴らして目が覚めた。


 今のは、俺の夢……? そうなのか? なんか、別人の視点でお師匠様と接してたような、気がする……。


 んん……水音? あったかい……でも、くっせ! なんだこれ、薬草? すげー青臭い、目にも染みる〜。


「あれ? もう意識が戻ったのかい?」


 いきなり太陽の眼差しに覗き込まれて、


「うわあああ!!!」


 俺は絶叫あげてお湯掻き分けて、広い湯船の端っこに移動した。位置的に考えて、俺はずっとこいつの腕の中に包まれていたっぽい……。


「もう甘えん坊な君は、終わりかな?」


「あ、甘え? それより、ここどこ!?」


「お風呂だよ。昨日も入れてあげただろう?」


 爽やかに小首を傾げてみせる、その目はどこか煽っているように見えた。こいつ、俺が嫌がってるのわかっててやってるな。


「そうだった、俺はお前の不出来な助手どものせいで、意識がぶっ飛んだんだよ。もうあいつらに医者の真似事させるの辞めろ。医療事故多発で死人が出るわ」


「ふふ、誰だって初めてのことには、失敗が付き物さ。あの子たちは私と違って優しいから、君が吐くほど痛がることはしなかっただろう?」


「意識ぶっとんだぞ」


 するとルナリアは上品に「ふふふ」なんて微笑んだ。この見た目にだまされてるヤツ多いだろうな。


「あの二人、私が指示したのとは別のカルテを作っていた。隠してたみたいだったから、締め上げて白状させたよ」


「締め上げ、え? 別のカルテって? 情報が多いぞ」


「三人だけで、いったい何を調べてたのかな」


 げ! 来るな来るなこっち来るなよ! こんなに広い湯船なのに、なんでわざわざ俺のそばに来るんだよ。逃げなきゃ、うっ! 足腰がガクガクで立てねえ!


「私は君の容態だけを観察するよう指示したのに、別のカルテにはおもしろそうなデータがたくさん記録されていたね」


 壁ドンならぬ、湯船の縁ドンされた。にこにこ笑顔が迫りくる〜。って、この体勢はかなりヤバいんじゃ……俺の足の間に、ルナリアがいる!


「なんの数字だったのかな」


「お、俺が知るわけねえだろ! お前らは俺になんにも教えてくれねえんだもん」


「そっかそっかー、寂しいね、仲間外れ同士で仲良くしようねー」


「うぉわ離れろバーカ! うわ、力つよ!」


 薬臭いお湯は少しだけとろみがあって、抵抗する俺の指がぬるぬる滑った。強く抱きしめられて、密着した俺の胸から、心臓の早いのが伝わってしまわないかと、恥ずかしくなった。


 この角度だと、互いの顔が見えないな。い、いや、見たいとかじゃなくて、今どんな顔してるのかなとか、ちょっとだけ気になったって言うか!


「たくさんニーポンのこと話してくれて、ありがとう。まだどこの国のことかわかんないけど、君が大勢から愛されて育ったのがわかってよかった。体の中が元に戻ったら、早く帰してあげるからね」


 え? ……帰してくれるつもりなのか? 本当に? 俺のこと調べ尽くした後は、解剖して額縁に飾るんじゃないのかよ。


 まさか、あの助手二人が言ってたことは、本当なのか? ここから出られるって話、信じてもいいのか?


 ルナリアが俺の帰宅を、本当に応援してくれてるって、思っても、いいのかな。


「……あのさ、たぶんなんだけど、日本はここにはない気がする」


 体に力が入らないから、王子の肩に顎をのせてもたれた。


「帰れるかな、俺……」


「君だって秘密が多いじゃないか」


「話したって、信じてくれないだろ。俺は異世界からやってきた、ニーポン人なんだよ」


「君が甘えながら話してくれる世界は、どれもこれも、にわかには信じられない内容ばかりだった。けど、とても興味深いからね、ぜひもっと聞きたいよ。私が忙しくなかったらの話だけど」


「そう言えば王子様だったな、お前。働いてるとこ、あんま想像できないけど」


 ふと、ルナリアが俺の肩を掴んで引き剥がしてきた。うわ、俺の胸、真っ赤になってそそり勃ってる……。穴が開くほど凝視されて、恥ずい……顔を背けていたら、薬湯でぬるぬるの両手にすっぽり包まれて、ぐにぐにと揉まれた。う、手のひらに、勃ってるのが当たって擦れるっ


「あぁっ……もう、何も出ねえってば」


「心拍数が跳ね上がってる。もう出ようか」


「え? 心拍数?」


 紛らわしい真似すんじゃねえよ! 俺はてっきり、舐めたりされるのかと、思って、身構えちまったじゃねえか。


「だああ! 自分で歩けるから持ち上げなくていいって!」


 けっきょく抱え上げられて、脱衣室まで運ばれた……。俺まだ頭とか洗ってないよ、って言ったら、後で二人に入れ直してもらおうねって言われて、俺二回もこんな臭ぇ風呂に入れられるのかと思ったらテンション下がったぞ。


 椅子に座らされて、頭までタオルでごしごし拭きあげようとするから、自分でやらせてくれって頼んで、自分で拭いた……。まだ胸がドキドキしてる。俺の気持ちなんて全く気にしてないと思ってたから、いろいろ気遣ってくれてて、ちょっと意外って言うか、びっくりしたって言うか……。


「検査中、ずっと私の名前を呼んでたそうだね」


 頼んでもないのに、バスローブに包まれた。これサイズが合ってないぞ、王子様専用か? 生地はふわふわだけど、肩がずり落ちそうなくらい、ぶかぶか……。


「ごめんね、助けてあげられなくて」


「ほんとだよ」


「君すぐ泣いて駄々こねるから、可愛くて助けてあげたくなくなるんだ」


「いい笑顔できしょい性癖を暴露するな!」


 なんだその笑顔は。まるで猫カフェに癒されに来た人みたいになってるぞ。


「次回の健診には、ぜひ私も参加できるように予定を調整させよう」


「おまっ、もう病気だろ!」


「一時間くらい取れたらいいな。たくさん呼んでくれね」


「呼ぶか!」


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