第9話   お師匠様は睡魔王

 あんなに頭がカッカしてても、体に幾度となく快楽を刻みつけられても、俺は眠くなる定めのようだ。もう、へとへとだよ、休みてえ……。


「アルエット、おねむなの?」


「ボクらげんきだよ」


「そらお前たちは今起きたんだから、元気だろうよ」


 げ、ほんとに眠い……頭痛くなってきた……。


「俺もうここで横んなって寝るわ」


「ボクたちは森であそんでるねー」


「じゃあねアルエット〜」


 え? ここにいてくれるんじゃないんかい。


 今日は、その……怖い目に遭ったし、なんか変な夢見そうで、一人で寝るのヤだな……起きたら知らないヤツに手足を掴まれてたらどうしよう。


 そうだ、お師匠様の横で寝るか。


「やっぱ俺、お師匠様んとこで休んどくよ」


「おししょーさまにツノのこと、はなす?」


「あ! そうだった……アレは使い終わったら、お師匠様の頭に挿し戻さなきゃならないんだ」


 やっべ、どうしよう〜! 変に言い訳したって心配させるだけだしな、素直に盗まれたって言うか。そのあとで、絶対に取り返すって、約束するか!


 黙ってたって、体の一部がないままだとお師匠さんも不安がって、何があったか俺に聞いてくるからな。それでなくても、心配性だからなぁ、あのモフモフおじさんは。


「心配しなくても、ちゃんと伝えてくるよ」


 俺は重たい足取りで、大あくびしながら、森の奥へと歩いて行った。もっと近くにいて欲しいんだけど、なんでかお師匠様は、森の奥の、一際あったかくてふわふわした場所に独りでいる。


 ……蹄の音がした。


 お師匠様が小石を踏んで、その小石が重みに耐えかねて飛んでいく音も、聞こえた。


 上半身はムキムキのおじさんなんだけど、下半身は、ムキムキのシカ? シシ? 動物園で大型動物をしげしげと観察したことないから、うまく言えないんだけど、なんか、ごっつい四足歩行な下半身してるんだよな。両手も合わせたら、手足が六本もあることになる。


 まあ、お師匠さんも妖精だからな、腕の八本や十本くらい生えてようが、別におかしくないか。この森には、下半身がたくさんの犬とか、どう見ても木彫りの人形なのに、なめらかに動いてたりとか、いろいろ居るからな。初めて見た時は腰抜かしたし、チビリそうにもなったけど、今は自分もあいつらの仲間なんだなぁって感じてる。特に危害も加えられずに生きてるよ。


 あ、いたいた、お師匠様だ。


 足元の湧水を物憂げに見下ろしてて、木漏れ日の下でたたずんでいる。


 黒々としたタテガミみたいな髪の毛してて、それが夜風になびくとすごくかっこいいんだ。でも全体的に肌が水色で、しかも全身に水色っぽい短毛がふさふさ生えてて、元気がなくなると水肌の色が青になって、紫になって……なんか最終的に黒い化け物みたいになるんだよな。今はちょうど青くなってる。どうしたんだろ、おじさんだから胃もたれとかしてんのかな?


「ただいま、お師匠様」


 お師匠様は伏目がちに木漏れ日を浴びていたけれど、俺が声をかけると紫水晶みたいな両眼を開いて、俺を見下ろした。初めて会った時は、すごく寂しそうな顔してるおじさんだなぁと思ったけど、たまに笑うとき、かっこいい。


「アルエット……」


 歌手でもやっていそうな低いバリトンボイス。鼻歌だけ聞いてても、眠くなっちゃうくらい、歌も上手いんだ。


「お師匠様、俺ちょっと疲れちゃってさ、その辺でいいから横になっててもいいかな。なんか一人で寝れる気がしなくて」


 たまに妖精たちがうるさすぎて、眠れないときもある。寝る時間がずれるのは、俺が夜に眠らせた人間の様子を朝に見に行くせいなんだけど、こればっかりはどうしてもやめられなくて。


 どこで寝ようかな〜。そのへんの大樹のウロにでも入って、丸くなってようかな。前世の体だったら虫に食われてたんだろうけど、この体になってからは虫刺されが一度もなくて、この前なんか、大きなキノコにつまずいて胞子を浴びちゃったんだけど、全然肌荒れしなかった。


 俺この体、好き〜。めっちゃ好き! だからこそ、あのオレンジ野郎にめちゃくちゃにされたのが、すっげー腹立つ。


「アルエット、どうした、その身体からだ


「え? どうしたって、何のこと?」


 やべ、食い気味に反応しちゃった。不自然に思われたかな。


 お師匠様、すごく心配そうな顔してる。黒くてふさふさの眉毛が、へにゃって下がってる。俺が言い訳に困ってたら、どんな岸壁も登っていけそうな丈夫な前足を折り曲げて、目線を合わせてくれた。


 俺の頭を片手で鷲掴みしてもまだ余るような大きな手が、そっと耳に、それからほっぺに触れた。硬くて丈夫な樹木から分かれた枝のように、太くて節が目立つ大きな指が、俺の顔半分をふにふにと撫でる。


 親指の腹が、俺の片目まぶたをゆっくりと撫でだした。


 ……あ、そこ……あいつにキスされたとこだ。まぶたは皮膚が薄いせいか、唇のふわっとした感触も、熱い体温も、はっきりと伝わってきた。そんな薄いところ、他人に触れられたことなかったから、びっくりして目をギュッと閉じてた。


 あいつ、泣いてるヤツをさらに怯えさせるのが好きなのかな……タチが悪いにも程がある。


「……お前の肌から、多くの人間の臭いがする。何があった」


 う……。


「ごめん……心配かけたよ。でももう大丈夫だよ。今度はやり返してやる! 絶対に角も取り返すし、またちゃんと森に戻ってくるよ」


「つの……」


「あ、その……あいつらに奪われちゃったんだけど、ちゃんと取り返すから! だからそんな顔しないでよ、ね?」


 お師匠様の頭には、トナカイみたいに大きな角が生えてて、先端が枝分かれしている。俺が無くしちゃったのは、その枝のうちの一本。挿し木するようにして、いつも返却してたんだ。でも今日は、その箇所が欠けたままになっている。


 ……俺の顔を心配そうに撫でていた手が、そっと離れた。大事な体の一部である角を盗られて、さすがに、怒らせちゃったかな。お師匠様の怒ってるところ、見たことないけど。


 ふと、お師匠様の大きな腕が肩からまっすぐ伸びてきて、俺の背中を掴むと力強く抱き寄せてきた。足がズズズズ〜と引きずられた跡が、水分たっぷりの柔らかい腐葉土にくっきりと残る。


「あの、お師匠様?」


「よく……帰ってきてくれた。怖かったな」


 筋肉隆々の裸の胸は、思ったより硬くなくて、俺は片方のほっぺたが埋まっていた。胸板が厚いせいか、心臓が鳴るような音は聞こえなかったけど、すごくあったかくて、俺は不覚にも涙ぐんでしまった。


「うん……すんごく怖かった」


 ずっと強がって張ってた糸が、たった今、切れたような感じ。俺があいつらに捕まったとき、殺されてたかもしれなかったんだ……もうお師匠様のそばに、帰れなかったかもしれなかったんだ……。


 しばらく、お師匠様の胸の谷間に埋もれて泣いてた。



 柔らかな苔の上に、四つ脚を折って座り込むお師匠様の、水色の腹部に、俺は頭をつけて丸くなっていた。あったかくて、すぐに眠くなったよ。こんなに安心して眠れるなんて、なんかもうそれだけで幸せだ。


 お師匠様は、昔は睡魔王とか呼ばれてたんだって。妖精たちが教えてくれた。どんな相手もぐっすり寝かせちゃえるんだとさ。さすがはお師匠様だ。


 今日はいろんなことが遭ったから、ゆっくり深々と眠れるのは、ありがたい、かも……。


「でね、アルエット、いーっぱいおもらししてた。『きもちぃ』『もういくのこわいぃ』って言ってたんだよ」


「おもらし!? アルエット、ダメじゃん! かっこわるーい」


「もうクツやさんには、いきたくないのかなー」


 目が覚めると、お師匠様相手に余計なことを、こいつら〜! ……説明すんのもめんどいし、もっかい寝たふりしとくか。


「おもらししたから、ズボンないんだねー」


「ぜんぶトイレにわすれてきたのかなー」


「ちげーよ!! 着てるもん全部忘れて帰るほどアホじゃねーわ!」


 あ。



 その後、何があったのかを俺の口から直接詳しく聞きたがる妖精たちに、それはそれはしつこく追い回されて、俺はその辺を走りまわって逃げ周る羽目になった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る