第2話   睡魔のアルエット

「こっちだよ、このおうち」


「はやくはやくー、アルエットー」


 いろんな色の小さな三角帽子をかぶった、手のひらに乗せてもまだ余るほど小さな妖精たちに案内されて、俺は夜の街の屋根屋根を、風に乗って飛び跳ねながら移動していた。前世が病弱な人間だったような記憶は残ってるけど、今の俺は特にこれといった問題もなく、すこぶる元気だ。


 今なんて、妖精たちが見つけてきた「眠らない人」を探し出しては、ぐっすり眠れるように魔法をかけて周っている。深い眠りから目覚めて、大あくびしながら気持ちよさそうに背伸びをしている人を見ると、俺も胸がスカッとする。


 ……なんか、俺だけ他の妖精たちと違って体でかいし、妖精たちのサポートがないと体が浮かないし、人間を眠らせる以外に特別な魔法なんて、使えないし、かなり出来の悪い方だよなって悩んだりするけど、妖精たちはそんなの気にしなくていいって言うし、これからもいろんな寝不足を解決しろって言ってくれるし、俺も人間の役に立っていると、なんでか一人じゃないって思えるから、たまに心に走る寂しさも、すぐに消える。


「あそこだよ、アルエット、こんな夜更けに灯りがついてる!」


「たいへんだー! たすけてあげて、アルエット」


 ほんとだ、妖精たちの米粒みたいな小さい人差し指の先に、オレンジ色の明かりが揺れてる窓がある。賑やかな大通りでも夜が更けてくると明かりを消すのに、あの店の裏っ側にある一室だけ、まだ起きてる人の影が揺れている。


 妖精たちの、期待がこもった目で振り向かれるとさ、いつも応えたくなっちまうんだよな。


「よし、任せとけ!」


「わーい、かっこいいー!」


 手を叩いて喜ぶのはいいんだけど、けっきょくお前らが俺を魔法で浮かせてくれないと、俺はそこの店まで跳んでいけないから、ちょっと複雑だ。


 まあいいか。細かいこと気にして病んでたら、俺は本当になんにもできない、役立たずになっちゃうもんな。妖精たちも快諾してるし、今夜も仲間の力を借りて、あそこまで跳んでいこう。


 体を浮かせてもらってるから、立てる足音も小さくて済んでる。家の中で寝てる人を、ドタバタして起こしちゃう心配もない。俺もいつかこの魔法を会得したいな。



 窓からこっそりと、ほんの少しだけ顔をのぞかせて、中の様子を伺う。五十歳くらいかな、おじさんが一人、眠い目をこすりながら机に向かってる。お金の計算してるのかな、細かい数字がびっしり書かれたノートに羽ペンを走らせて、時どき算盤そろばんのような道具を指先で弾き、何度も書き間違えているのか訂正線がいっぱい……。


 俺は妖精と顔を見合わせ、うなずきあった。


「アルエット、100秒だよ。100秒だけ、キミの姿を魔法で消してあげるね。100秒過ぎたら、すぐに逃げるんだよ」


「わかってる、いつも頼りにしてるよ!」


 互いに顔を見合わせて、へへーと笑いあう。


「よし、行くぞ!」


 俺はかぶっていた黒いフードをしっかりとかぶり直して、よく目立つ黒髪を隠した。べつに格好なんか気にしても、妖精の魔法で誰にも見つからないんだけど、なんか俺の気分的にな。フードをしっかりかぶった方が、これから仕事をやりますよーって感じがするんだ。


 まず、おじさんを外におびき寄せるために、扉を叩いて音を鳴らす。


「ん? こんな時間に、いったい誰だ?」


 などと呟きながら、おじさんがイスから立ち上がって、扉に近づいてきた。


「どちら様ですか? 今日はもう営業時間外ですから、ご用件ならばまた明日にでも、お越しください」


 おじさんはそう言って、またイスに戻っていった。外には出てこなかったな。こういうときは、もう一度だけ扉を叩いてみると上手くいく。


「んん? まただ、何か急用かな?」


 今度こそ、扉を開けて外に出てきた。おじさんが辺りを見回してる間に、肩に妖精を数匹乗せた俺が、そそくさと侵入する。このとき、気をつけなきゃならないのは、絶対におじさんにぶつからないこと。今の俺は百秒間だけ影も形も人の目に映らなくなってるだけで、体そのものが消えてるわけじゃないんだ、だからぶつかったらびっくりされるってレベルじゃない。めちゃくちゃ警戒されるし怖がられるしで、もう絶対に外に出てきてくれなくなる。


 ……よし、上手く侵入できた……なにげにこの瞬間が一番どきどきするんだよな。


 まあ入っちまえば、こっちのもんだ。どこも初めて入る家屋だから、俺にはどこにどんな部屋があるのかわからない、だから、この狭い空間だけで終わらせなければならない。


「なんだなんだ、誰もいないじゃないか、気味の悪い……」


 そのために、ポケットに入れていた小石を壁に投げて音を鳴らし、住民の注意を移動させる必要も出てくる。今回は、どこにしようかな、この部屋には扉がいっぱいあるから、もう適当な扉に向けて投げちまおっと。


 なるべく俺から遠い位置の扉がいいな、せーの!


「ん? まだ倉庫に誰かいるのか?」


 歩きだしたおじさんが、俺からどんどん離れて行く。俺は革製の腰ポシェットから、青く光るめっちゃキレイな「幻獣の角」を一本取り出して、床に魔法陣をささっと描いた。なんか、青く光るクレヨンみたいでおもしろい。


 お師匠さんみたいに、上手く描けないんだけど、こんなぐちゃぐちゃで歪な陣でも、三つ踏んでもらえれば効果が出るんだから、やっぱお師匠さんってすげー妖精なんだなって思う。


「まだ帰ってなかったのか? 新婚さんなんだから、早く家に帰って旦那さんの…………なんだ、また誰もいないじゃないか。音がしたような気がしたんだが」


 ぶつぶつ言いながら、おじさんがイスへと戻ってくる。その際、靴の裏が魔法陣を踏んだ。


 よしよし、次だ。


 俺はもう一個、床に魔法陣を描くと、キィとバックヤードの扉を開けた。おじさんはぎょっとして、再びイスから立ち上がった。


「やっぱり誰かいるのか!?」


 いまーす。って心の中で返事した。肩の上の妖精たちが、「シシシ」と目を細めている。


 おじさんはおっかなびっくりした足取りで、おそるおそるバックヤードに入ってゆく。よーし、二個目踏んだ!


 おじさんが小首を傾げながら、この部屋に戻ってきた。


「風で開いたのかぁ? しっかり閉めたと思ったんだが、半開きだったか? 古い店だからなぁ、隙間風も吹くし、あちこち軋んでもきたか」


 こういう時、子供には大泣きされて怖がられるんだけど、大人だと勝手に脳内変換してくれて、都合よく「気のせいだ」って思い込んでくれるんだよな。


 さて、全てを確認し終えたおじさんが、絶対に戻ってくる場所って、どこだと思う? イスんとこ。どうしても仕事を終わらせたい人ってのは、何度だって元の位置に戻ってくるんだよな。


 はい、イスの下に描いておいた三つめの魔法陣を、無事に踏んでくれました〜。やったー!


「ふわあ〜あ……うぅ、頭が重い……。風邪か? なんだか体も、だるくなってきたなぁ……」


 がんばってノートに向き合うおじさん、しかし大きな頭がうつらうつらと、船を漕ぎ出す。目もしょぼしょぼと弱々しい瞬きを繰り返すようになり、あくびが増えてきた。


「うぅ、あくびが止まらん。残りは明日にして、今日はもう寝るか」


 ようやくイスから、ふらふらと立ち上がってくれた。おじさん、人間にしてはけっこう耐えたほうだったよ。あれ? 名残惜しそうにノートを見下ろしてるけど、まだ作業したい系?


「明日までに仕上げたいのに、こんなに仕事を残してしまって、大丈夫かな……」


 おじさんは眠い目をこすりながら、しばらく迷って立ちすくんでたけど、けっきょく最後は睡魔に負けて、大あくびしながら階段を上っていった。寝室、二階にあるんだな。


 俺は悠々と玄関から外へと脱出した。内鍵? 体のすっげえ小さい妖精が、内鍵をちゃーんと閉めた後で、扉の下のわずかな隙間からズリズリと外に這い出てきた。だから戸締まりの心配は不要だ。


 ……二階、まーだ明かりが揺れてら。もう寝ろよ、おっさん。


 大丈夫だよ。ぐっすり寝た後は、人間ってすごく頭が働いて、どんな仕事もバリバリこなしちゃうんだからさ! そういう人間、俺たっくさん見てきたから、おじさんもきっと大丈夫だよ。


「アルエット〜! お尻がつまっちゃった、ひっぱって~」


 ん? 扉の下で妖精が挟まってら。


 引っ張ってやると、ポンッと音がして妖精が転がり出てきた。


「へへ〜、アルエット、ありがと」


 俺は妖精を全部体に乗せて、颯爽と現場を後にした。


 明かりが、ふっと消えたのが、背中越しにわかった。


「へへ~」


「ヘヘ」


「へへ、明日すっきり起きられるといいな」


 今夜の仕事は、これでおしまいだ。うーし、拠点に帰還するぞー。


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