パンドラの解

いずも

未開封の儀

 姉から荷物が届いた。

 世界中を旅する破天荒で自由気ままな風来坊が送り付けてきた代物だ、絶対にろくなもんじゃない。度のキツいサイケデリックな眼鏡を寄越しては「アンタの色眼鏡を矯正する眼鏡」などと言ってくる姉だ。正直、開けたくない。

 しかし開けなかったらそれはそれで文句を言ってくる。どのみち拒否権など無い。姉の戯言に付き合うのはボクの役目なのだ。いつになったらお役御免になるのやら。


「これは……箱?」

 中には丁寧に包装された小さな箱と、ハガキサイズのメモ用紙が一枚。


『開けるなよ、絶対に開けるなよ!』


 わざわざ「!」まで手書きで書いてある。

 なんだこれ。

 いや、本当に……なんだこれ。


「お笑い芸人のネタじゃないんだからさ……」

 こういう時のパターンとしては二つある。一つは非常ベルのように本当に押してはいけないというモノ。そしてもう一つは『押すなは押せ』の合図というパターン。

 姉が仕掛けてくるなら十中八九で後者だ。つまり開けろ、と。


「…………」


「…………」


「…………」


「……………………」


 ボクに拒否権はないと言ったな。あれは嘘だ。

 後々に拒否権は取り消されてしまうだろうが今この僅かな間だけでも発動させること自体は可能だ。

 見て見ぬ振りをした。

 だって、これって玉手箱然り、鶴の恩返し然り、黄泉平坂のイザナミ然り。古今東西の昔話で散々言われてる『見るなのタブー』ってやつじゃん。やだよこれで封印されし魔王が解き放たれて世界が滅亡に追いやられるの。

 ボクは再び箱を送られてきたダンボールに仕舞った。

 これで世界は救われた。



 その夜、夢を見た。



「よぉ、俺だよ、オレオレ」

「え、どなたですか」

 目の前にいたのは全身黒ずくめの男、例えるなら推理モノの犯人みたいな出で立ちで、まったく正体が掴めない。

「お前さぁ、こないだ通販サイトで注文したフィギュアあるだろ、ミニチュア金剛力士像。そのフィギュアだよ」

「はぁ。その金剛力士像さんがどういったご用件で」


「お前さー、届いてから封も開けずに箱の外から眺めて満足してそのまま箱ごと棚に置いてるじゃん。俺だけじゃなくて他のフィギュアもそう。みんな箱に入ったまま放置されて。ショーケースでも買って飾ってくれたっていいじゃねぇか」

 部屋の隅に積まれたフィギュアの山をチラリと見て、その視線を再び金剛力士像に向けることなく逸らし続ける。


「フィギュアだけじゃないわ!」

「誰っ!?」

「あなた好きなアーティストのCDだって購入してから開けもせずにすぐ棚にしまってる。私のこと、一度も聴いてないじゃない」

「えー、だってネットで配信されてるし、サブスクで他の曲も含めて聴き放題だし」

「じゃあ何のために私を買ったのよ!」

「お布施的な意味で」


「おいおい、オイラだって長年待ちわびてたゲームの続編なんだろ。なんで封すら開けてないんだよ、もう飽きちゃったのか」

「いや、ゲームもダウンロード版があるし」


「じゃあ僕のビニールが破られていないのも」

「マンガも電子書籍があるからね。実物を購入するけど、結局見るのは電子書籍の方がいつでもどこでも読めてお手軽だし」



「百歩譲ってゲームや書籍は別の媒体で消費しているとしても、だ。お前は買ったフィギュアを開けもせず眺めて満足しているわけだ。それの何が楽しいんだ。なぜ満足できるんだ」

「何故って……買った時点で満足してるから、とか?」

「買って満足しているなら、は含まれていないんだよ」

「消費?」

「言い換えるなら『楽しんだ』と言ってもいい。開封されてないフィギュアは消費されていない、コンテンツとして楽しまれていないんだよ」

 その一言はボクの胸に深く突き刺さった。


「私だってそうよ。あなた曲も聴き放題って言ったけど、じゃあ私の収録曲を何回再生した? 歌詞カードを見ずに歌えるほど曲を覚えた? ジャケット写真は覚えているかしら」


「オイラを何時間プレイしてくれたんだい。クリアまでかかった日数は? 主人公の名前は? 最初の町の名前は? 封入されている初回コードは入力したのかな?」


「僕の単行本が何巻まで出てるか知ってるかい。帯は誰が推薦文を書いてくれたか、表紙カバーの裏に描かれてる一ページマンガや設定資料なんかにも目を通してくれたかな。――そもそも、その電子書籍だって本当に全部読んでるかい」


 次々と現れる黒ずくめの影に圧倒され、壁際に追いやられる。それでもにじり寄られてもはや逃げ場がない。

「買われただけで消費されていないコンテンツは真の意味で楽しまれていないんだよ。中身を確かめられてすらいないのに消費されたことになっているモノに価値なんてあるのかって話だよ」

「価値は、あ、あるよ」

「確かめてすらいないのに?」

「うっ……」


「さぁて本当に中身はちゃんと入っているかな。実は部品が足りていないかもしれないし、傷が入っていて再生できないかもしれない。その未開封の箱の中身を確かめもせずに満足されちゃ困るなぁ。消費してくれよ、さぁ、さぁ!」

「うわっ、えっ、ちょ、ちょっ……――」



 そこで目が覚めた。

 雪崩のように倒壊した様々な未開封品に埋もれていた。



 決して見てはいけないといわれたものを見てしまう行為は物語の始まりであり、それがなければ何も始まらず何も生まれない。買っただけで満足してしまうことは物語を始めない、もしくは始まってもいない物語を終わらせるに等しい。たとえ見ることが間違いだったとしても、見なければそれは存在していないのと同じだ。存在していない作品を喜ぶクリエイターなどどこに居ようか。



「パンドラの箱には希望が残されてるけど……」

 ゼウスから賜った箱を恐る恐る開けてみる。

 中にはさらに小さな包み紙が一つ。

「……これはチョコ、かな」

 フタの裏には姉の字で『ハッピーバレンタイン!』と書かれていた。

「いやもう三月なんだけど。時差ボケしてんの? 時差っていうか、時空ボケ?」

 姉ならタイムリープしていてもおかしくないとすら思える。


「ていうかこのチョコ、明らかに一度溶けた形跡があるな」

 すごく複雑な気分。

 中身を確かめなければこんな気持ちになることもなかったといえばそうなのだけど。

 こういう時、日本にはとても都合のいい言葉があるのだ。


「知らぬが仏、ってね」


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パンドラの解 いずも @tizumo

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