悪いが琵琶湖のカヤックは二人乗りなんだ

千多

悪いが琵琶湖のカヤックは二人乗りなんだ

 中学二年生の春の話である。

 琵琶湖でマリンスポーツをするのがその年の校外学習であった。琵琶湖。列車の窓から眺むれば、すわ海だ日本海だと紛うほどに見渡す限り水水水。近畿地方の水源。盆地住まいのあてらは送水止められようもんなら生きていかれやしません。琵琶湖様様、滋賀県様。

 そんな大・琵琶湖の水面を、カヤックに乗ってすいすいどんぶらこと漂うのである。牧歌的な光景ではないか。体操服姿の中学生が三クラス分、あひるのようにあっちへぷかぷか、こっちへぷかぷか。お調子者のマツヤマ君やヤマザキ君なら、つと立ち上がって水へ飛び込むなんてこともあるかもしれない。

 カヤックは二人乗りなので、任意の組み合わせをつくって担任の教員に報告しなくてはならない。六時間目の総合学習の時間は丸々、本校外学習のガイダンスと二人組つくりに費やされた。


「二人組つくって」


 担任の体育教師が号令をかけるやいなや入り乱れる子どもたち。号令は法螺貝、法螺貝を期として教室は戦場と化す。砂塵もうもうと立ち込めやあやあ我こそは、なあ一緒に乗ろぉ、ぐーぐーぐっぱぁで、なってない、なってない、なった(※左右いずれかの手を、掛け声に合わせて握るか開くかし、集団をふたつのグループに分ける動作。方法には地域差がある。)。白兵騎馬兵、続々と戦果を挙げて帰陣。黒板には教師がペアの名前を列挙する。武将の首がずらりと並んで壮観。

 一方わたしはどうだ。五歳の頃から同じバレエ教室に通っている幼馴染のマイちゃんに「もう決まっちゃってん」と斬られ、後ろの席のミホに「サヤカと乗るねん」と斬られ、昨日一緒におうちで遊んだシィちゃんに「マイと」と斬られる。黒板はどんどん埋まってゆく。頭を触れば夥しい血。気が遠くなる。

 四十人学級だが、わたしのクラスは女子が十九人の編成なので、必ず余るやつが出てくる。円満に晴れやかに、じゃんけんで負けるなど、やむをえない事情で余るならまだよい。問題なのは、自分が誰にも選ばれないまま、「余りました」と報告へゆくことなのである。しかしわたしは、その最も陥りたくない状況に陥った自分を受け容れざるを得ない。だんだん静かになってゆく教室を、ひとり教壇まで進んでゆく十四歳のわたしに幸あれ。天使とか飛べ。余りました、と泣き笑いの、必要以上にデカい声で報告し、誰に弄られるでもなく、ああ千多ちゃん余ったんだねの視線が背中にぐさぐさ矢のようにぶっささる十四歳のわたしに幸あれ。

 長じた今、たとえば大勢で講演会場の設営作業や会議場のセッティングをするような時、わたしはあっちへふらふらこっちへふらふら、何をしていいかは分からないなりに真剣に徘徊している。奇数人数の飲み会に参加する時は相槌を打ちまくり、不要となればひたすらビールを飲み油でがびがびのフレンチフライや唐揚げを食べて時間をやり過ごす。そんな時、あの琵琶湖の一件を思いだしたりして、ちょっと瞼の裏が痛い。

 筆算の隅っこにはみ出た余り1とか、ヨドバシカメラのシルバニアファミリーコーナーで一匹だけ売れ残っている赤ちゃんなんちゃかの人形とか、そういうものをぎゅっと抱きしめて愛してる人生。わたし結局あの校外学習行ったんだっけ?


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