弐の章 陰の行者、新天地へゆく
二十五の巻 新居へ
[二十五]
春日井が訪ねてきた翌日、足元の悪い中、引っ越し業者がやってきた。
業者達は幸太郎の荷物を丁寧にトラックへと積み込み、目的地である東京へと出発した。
そして幸太郎は、それを見送った後、同じく東京へと、新幹線で向かったのじゃった。
厄落としをした事もあり、理不尽な不幸が訪れなかったのが幸いであった。
とはいえ、なかなかに雨足の強い日になったのは不運じゃがな。
しかし、幾ら疫病神が付いてるとはいえ、天気までは流石に関係がないじゃろう。
元々、雨の降る予報だったそうじゃしな。
さて、それはともかく、その後、幸太郎は引っ越しトラックより先に、新天地である東京都のマンションへと到着した。
暫くすると、引っ越し業者のトラックも到着し、慣れた手つきで家財道具を運び入れたのである。
搬入先の部屋が最上階の5階なので、少々時間が掛かったが、それも滞りなく終わり、部屋には幸太郎だけとなったのじゃった。
これで一段落着いた感じじゃな。
幸太郎もホッとしたのか、肩の力を抜いておるわ。
「ふぅ……ようやく、ゆっくりできるな。冷蔵庫みたいな大きいのは、もう業者に置いてもらったから、次は小物系だが……それは後で考えよう。しっかし……このマンション、広いし、めっちゃ綺麗やんか。すごいやん、ココ。郊外とはいえ、本当に、こんな高そうなマンションに住んでも良いのかねぇ。新入社員の分際で……。というか、冷蔵庫が小さくて、このリビングに全然似合ってないわ。もっと大きいのじゃないと、様にならんぞ」
そう、貴堂沙耶香から当てがわれたのは、かなり立派なマンションだったのじゃ。
5階建てで、幸太郎曰く、4LDKの間取りとの事であった。
意味はようわからんが、口振りを聞く限り、広いという事なんじゃろう。
実際、部屋もかなり広く、美しい壁や床に天井であった。
照明器具なども立派である。
幸太郎が言うには、14畳ほどある大きなリビングと台所に、8畳の和室が1つと、6畳の洋室が3つ。そして、風呂場とトイレといった感じらしい。
その広さと質は、今までのアパートと比べると、雲泥の差なのは、我でもようわかった。
じゃが、ここまで待遇が良いと、逆に怖くなると、幸太郎は考えているようじゃ。
今まで不幸続きだったので、そう簡単に幸福には考えられんのじゃろう。
染みついた不幸生活からは、そう簡単に脱却は出来ぬようじゃな。
哀れなり、幸太郎。
「なんか、昨日まで住んでた所が、凄く貧相な所に思えてきたな。そこそこ快適だったと思ってたのに……。つか、これ、1人で住むには広すぎだろ。なんか、持て余しそうな気がすんだけど。本当にここに住むのか? もしかすると、他にも誰か住むんかもな。社宅みたいなもんだし……」
幸太郎はそう言って、リビングを見回した。
まぁ確かに、少々、広いかものう。
「そうじゃな……今まで住んでおった所とは全然違うの。じゃが、ここは東京とはいえ、以前の所よりも、少し田舎じゃぞ」
幸太郎はそこで窓を開け、外を眺めた。
曇り空の下、窓の向こうには、家屋が沢山軒を連ねていた。
じゃが、田畑や山も遠くに見えるくらいじゃ。
高層の建物もそこまでは見られない。
そんな長閑な所なのである。
都会の喧騒はないので、少し寂しいが、幸太郎には良い所じゃろう。
「ああ、確かに、東京にしてはまぁまぁ田舎の方だね。だが……それがいい! ちょっと行けば都会っていう環境が良いんだよ。特に俺の場合はな。ン?」
するとその時であった。
幸太郎のスマホが突如鳴り響いたのである。
「誰だ……って、沙耶香さんか」
幸太郎はそこで、スマホを耳に当てた。
「はい、もしもし、貴堂部長。お疲れ様でございます。ええ、さっき着きました。いやいや、こちらこそ、よろしくお願いします。……え? 和室に? はい……わかりました。今、確認します」
幸太郎はスマホを耳に当てがいながら、引き戸を開いた。
するとそこは畳の間であった。
ここがどうやら和室のようじゃ。
そして、その畳の上には、黒い筒のようなモノが幾つか立ち並んでいたのである。
数にして10本はあるじゃろうか。
黒い筒はそこそこ大きく、幸太郎の腰ぐらいの高さがあった。
太さは幸太郎の頭くらいありそうじゃ。
「はい、黒い筒が幾つかありますね。これがどうかしたんですか? はい、はい……え? これがそうなんですか? はい、はい……わかりました。ではちょっとやってみます。トラブルが起きたら、また連絡すればいいですかね? はい、はい……ええ、ではそのようにします。はい……では」
幸太郎はそこでスマホを耳から離した。
そして、筒の上に置いてある紙を手に取り、まじまじと見たのである。
「幸太郎よ、この黒い筒は何なのじゃ?」
「沙耶香さんの話だと、これが霊力を溜めておく蓄霊機でSPSと呼ばれるモノらしい。で、ここに説明書があるから、それに従って進めてくれって言われたよ。それと、仕事が終わったらコッチに来るとか言ってたけど、本当かな。沙耶香さん、管理職だから、かなり遅くなりそうだけど……。つか、貴堂不動産て本社、都心じゃなかったっけ? ここまで来るとなると、結構遠いと思うけどな。まぁいいか、気にしてもしょうがないし」
どうやらこの黒い筒に、陰の気を溜めるようじゃ。
今の世は色んなモノがあるのう。
さて、それはともかく、貴堂沙耶香は後でここに来るようじゃ。
恐らく、我にも用があるんじゃろうの。
「ふむ、これにどれだけの陰の気を溜められるのか知らぬが、早速始めてみたらどうじゃ?」
問題はそこじゃな。
我が引き寄せる陰の気は、なかなかのモノじゃからの。
幸太郎の不幸を少しでも軽減させられるとよいが、さて……。
「ああ、そうするよ。やり方は簡単そうだし。でも、なんか面白いこと書いてあるな。ええっと、ナニナニ……SPSの注入口に掌を当て、側面にあるSPSの霊圧計を確認し、100SPVを目安に籠め続けてください。満了時には100%と表示されます……だってさ。なんじゃそら」
初めて見るSPSとやらに、幸太郎は面食らっていた。
「まぁいい。とりあえず、やってみるか」
幸太郎はそう言うと、手前にある黒い筒を手にとり、筒の天辺に手を当てた。
そして陰の気を大きく練り、筒に籠めたのである。
するとその直後、筒の側面に、光る文字が浮かび上がってきたのじゃ。
それは今の世で言う、液晶パネルというモノであった。
幸太郎が陰の気を籠めるに伴い、そこに映る数字が目まぐるしく変わっていた。
「へぇ……なるほど、そういう事か。今がちょうど100SPVと表示されてるから、このぐらいの力で籠め続けりゃいいみたいだ。しかも、SPVって、
そして幸太郎は、暫しの間、陰の気を筒に籠める作業を続けたのであった。
*
今は夜の8時頃。
夕食も終わり、幸太郎は今、軽く筋力トレーニングやストレッチをしている最中であった。
毎日の日課というやつじゃ。
ちなみに幸太郎は、SPSとやらに陰の気を籠める作業を終えた後、晴れ晴れとした表情になっていた。
そう、厄落としが上手くいったのじゃ。
幸太郎は涙目であった。
そして、一言「ようやく、呪いから解放される」と呟き、荷物の片付けや朝食の食材の買い出し等をして過ごしたのじゃった。
今は新しい生活に向けて、幸太郎も嬉しそうに、色々と考えているんじゃろう。
陰の気を取り除く方法が見つかったのじゃからな。
「しかし、あのSPSというのは凄いのう。幸太郎に蓄積していた陰の気を、ほぼ取り除けたのじゃからな。今後はアレを用いて厄落としするのが一番よかろうて」
幸太郎は屈伸運動をしながら、ニコニコと笑顔で頷いた。
「ああ、俺もそう思うよ。お陰で、スゲー肩が軽くなったよ。もっと早くに、貴堂グループと知り合えてたら、良かったのかもしれんな。まぁタラレバ言っても仕方ないけど。ン?」
するとそこで、呼び鈴の音楽が鳴り響いたのじゃった。
幸太郎はそこでトレーニングを中断し、リビングの壁にある、液晶パネルがついた機械の前へと向かった。
するとソレには、スーツ姿の貴堂沙耶香が映り込んでいた。
貴堂沙耶香の傍らには、スーツケースと呼ばれる大きな赤い旅行鞄があった。
何やら色々と荷物を詰め込んできたようじゃ。
「貴堂です。三上君、いますか?」
「お疲れ様です、貴堂部長」
「三上君もお疲れ様。それはそうと、私、ICカードを持ってないから、開けてくれるかしら?」
「はい、今、開けます」
幸太郎はそう言って、機械を操作した。
「ありがとう。じゃあ、ちょっと待ってて」
その後、1階にある自動ドアが開き、貴堂沙耶香がマンションへと入ってきたのである。
程なくして、この部屋の呼び鈴が鳴り、幸太郎はドアを開けた。
そしてようやく、貴堂沙耶香とご対面となったのじゃった。
「お疲れさまでした、貴堂部長。どうぞ、中で休んでください」
「ええ、そうさせてもらうわ」
なんというか、面倒臭い建物であった。
幸太郎が言うには、防犯面でこうなっておるそうで、仕方ないそうじゃ。
貴堂沙耶香は靴を脱いで中に入ると、赤いスーツケースをリビングに置き、床に腰を下ろした。
疲れたのか、大きく息を吐いておるわ。
表情も緩んでおるので、ようやく落ち着けたといった感じなのかものう。
「引っ越しって言う割に、何も無いわね。三上君の荷物……」
貴堂沙耶香はそう言って、室内を見回した。
事実じゃから仕方がないの。
「はい、何も無いです。まぁ俺の場合は、不幸体質なので、あまり家財道具は持たないようにしてたんです。場合によっては、すぐに引っ越さないといけなくなるんで」
「そういえば、そう言ってたわね。ゴメンネ、変なこと言って」
「いや、いいですよ。ホントの事なんで。ところで貴堂部長、大きな荷物ですね。何か持ってきたんですか?」
幸太郎はそこでスーツケースに視線を向けた。
「ああ、これは私の着替えとかよ」
「え? 着替え?」
幸太郎はキョトンとしながら、首を傾げた。
すると貴堂沙耶香は、ニコッと微笑んだのである。
「そうそう、言ってなかったけど……私、今日からここに住むからね。では、これからよろしく、三上君」
ほう、そうきたか。
面白いのう。
じゃが、幸太郎はそれを聞き、大きく目を見開いていた。
寝耳に水だったのじゃろう。
「ええッ!? 住むんですか! ちょ、ちょっと不味くないですか? 若い男女が一緒に泊まるって! それって……ルームシェアって事でしょ?」
「そうよ、何か文句ある?」
貴堂沙耶香はそう言って、不敵に微笑んだ。
なるほどのう。広い部屋にしたのは、これが目的なんじゃろう。
どうりで部屋が多いはずじゃ。
「でも……良いんですか? 俺、男ですよ? 間違いが起こるかもしれませんよ?」
「ふふふ、貴方にその度胸があればね。というか、疫病神さんを入れて3人みたいなものだから、別に問題ないでしょ」
したたかな行動派じゃな、この女子は。
恐らく、この間の一件で、幸太郎の性格とかも、なんとなくわかったのじゃろう。
大胆な女子じゃわ。
「なんつう、超理論ですか。まぁ……貴堂部長みたいな可愛い女性と、一つ屋根の下で暮らせるのは、俺も嬉しいですけどね。でも、良いのかなぁ……絶対に誤解する人いますよ」
「か、可愛い……って、年上の女を
と言いつつ、貴堂沙耶香も満更でもないのか、少し照れた様子じゃった。
この女子は女子で、別の意味でも色々と面白いわ。
「まぁ貴方の言う通り、誤解されるでしょうけど、別にいいじゃない。ここに住んでる人達と接点なんてないんだから。どうせ、赤の他人よ。ところで、SPSはもうやってみた?」
ほう、言いよるな。
どうでもいい細かい事は、そこまで気にせぬのじゃろう。
流石は、人を使う側の女じゃ。
「ええ、やりましたよ。4本は満タンにできました」
するとそれを聞くや否や、貴堂沙耶香は大きく目を見開いたのじゃった。
「はぁ!? よよ、4本ですって!」
「え? なんか不味いんですか?」
ふむ、どうやら想定外の事が起きたようじゃ。
「言っとくけどね、あれだけのSPSを術者1人の霊力で満タンにしようとしたら、普通、半年は掛かるのよ。嘘ついてるんじゃないでしょうね……」
貴堂沙耶香は半眼で、幸太郎をジトッと見ていた。
完全に疑っておるのう。
「いや、本当ですって。こんな事で嘘ついても意味ないですし。じゃあ、確認してくださいよ、そこにあるんで」
「じゃあ、見せてもらうわよ」
貴堂沙耶香は立ち上がり、和室へと向かった。
そして、程なくそれを目の当たりにし、口元に手を当て、驚いたのである。
「う、うそ……本当に4本が満タンになってる……うそ、なんで?」
貴堂沙耶香は呆然とそれを見ていた。
「ね、なってるでしょ。でもそのお陰で、めっちゃ良い感じですよ。気分いいっすわ。疫病神も、10日分の陰の気が、この中に入ったって言ってましたし」
「と、10日分て……ちょっと待ってよ。貴方、一体、どれだけの霊力を練れるのよ」
信じられないモノを見るかのように、貴堂沙耶香は幸太郎を見ていた。
誤解しておるようなので、我からも言っておくとするかの。
「よう、貴堂沙耶香。久しぶりじゃな」
「あ、疫病神さん……ちょうどいいわ、どういう事なんですか、コレは? ちょっと有り得ないんですが」
貴堂沙耶香はそう言って、黒い筒を指さした。
「それはのう、幸太郎は己の陰の気だけじゃなく、自分に寄ってきた陰の気も、この中に詰め込んだからじゃよ」
「え? 彼に寄ってきた霊力を……そんな事ができるんですか?」
貴堂沙耶香はそこで幸太郎を見た。
すると、幸太郎は目尻を落とし、残念そうに頷いたのである。
「それが一応、この疫病神から習った『霞の周法』という方術で出来るんですよ。でも、誤解しないでくださいね。俺が集めてんじゃなく、コイツがそういう気を集めてしまうんですから」
幸太郎はそう言って、親指で我を指さした。
もう見るからに、どうにかして! と言わんばかりの仕草じゃ。
とはいえ、事実じゃから仕方がないがの。
「そう、幸太郎の言う通りじゃな。我に寄って来るんじゃよ。じゃから、憑りつき先の幸太郎も被害を受けるんじゃ。まぁ要するにじゃな、我が集めた陰の気が、この黒い筒の中に入ってるんじゃよ。どうじゃ、納得したかの?」
「へ、へぇ……そうなのね。こんなに集まるんだ。へぇ……」
そして貴堂沙耶香は、我と幸太郎に向かい、何とも言えぬ微妙な視線を向けたのであった。
実際に溜め込んだ陰の気を見て、少し困惑してるんじゃろう。
まぁこれから嫌というほど、目の当たりにするじゃろうがの。ほほほほ。
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