幽霊探し──‪☆

此糸桜樺

霊感

「四月から一人暮らしを始めるのですが……実は、訳あり物件を探しているんです」


 私が不動産屋に入社してまだ間もなくの頃。

 それは客の春野が、不動産屋に来て最初に提示した条件だった。


「……訳あり物件、ですか?」


 私は思わずオウム返しをした。


──はあ? 初っ端からそれなの? 私、めちゃめちゃの新入社員なんだけど。え、嘘でしょ? 本気で言ってる?


 しかし、そんな表情をお客様の前でするわけにも いかない。私は涼しい顔でさらさらと手もとの資料に書き付けると、静かにボールペンを置いた。


「はい……。えっと……訳あり、というか、事故物件でお願いしたいんですけど。できれば死亡者が出たアパートが良くて」

「なるほど。差し支えなければ、理由をお聞きしてもいいですか?」


 私は、精一杯の真面目な顔をして、神妙な面持ちで聞いた。

 すると春野は待ってましたとばかりに、自信満々な顔をしてうっすらと微笑した。


「私、霊感があるんです」


――ああ、面倒臭いやつだ。これ。



 いくつか事故物件をピックアップしたあと、数日後、私は春野とともに物件を見に来ていた。


 ここは、一人暮らしの女性に人気の、セキュリティがしっかりとしたアパートだ。

 そして、特にこの部屋は、乳幼児が風呂場の事故で亡くなるという悲しい事故が起こった場所でもある。


「いかがですか?」


 私が尋ねると、春野は困ったように顎へ手をやった。


「うーん、ごめんなさい。ここ幽霊いないので、幽霊のいるアパートにしてもらってもいいですか?」

「幽霊ですか……? 申し訳ありません。私は霊感がありませんので、そこまでは分かりかねますね」

「えー……そうですか」


 なんだその不服そうな顔は。

 当たり前だろ。幽霊なんて見えてたまるか。



「こちらはどうでしょう。幽霊はいらっしゃいますか?」


 私はそう言ってから、ちょっと待て、と己にブレーキをかけた。

 幽霊に尊敬語って必要なのだろうか。部屋に住み着いているのなら、もはや謙譲語を使うべきか?


――幽霊はおりますか?


 ……いや、やめよう。考え始めたらキリがない。


「いないです。本当に事故物件なんですか? さっき見た部屋もそうでしたが、何も不吉な雰囲気ありませんよ?」

「一応、事故物件ですが」


 ここは一人暮らしの老人が孤独死した部屋である。発見当時は腐卵臭がひどく、鼻を塞ぐほどの臭いだったという。


「じゃあ、何故、幽霊がいないんですか」

「さあ……。成仏してしまわれたのでは」


 とりあえず無難な回答をすると、春野は我慢できないといった感じでキッと睨んだ。


「なら、まだ成仏していないアパートにしてくださいよ!」

「いや、私、霊感ないので。んな無茶な」

「お祓いをしていない部屋はないんですか!」

「知りませんよ、そんなの」


 お客様相手だというのに、だんだんやり投げな対応になってきてしまっている。これじゃいけないと思いつつ、でも、仕方ないだろうと思う自分もいる。


 こんなにも狂った人を相手にするなんてやってられるか。こちとらまだ新入社員なんだぞ?


 そんな私の態度に、春野は「はあー」と軽くため息をつくと、さっと革製のバッグを持ち直した。


「次、行きましょう」



「こちらの部屋には幽霊はいらっしゃいますか?」

「いいえ、いないです」




「こちらの部屋に幽霊は」

「いないです」




「こちらの……」

「無し」

「左様ですか」




 片っ端から事故物件を歩き回っているのだが、なかなか幽霊のいる部屋にあたらない。お互いなんだか疲れてきて、最後のほうには会話もあまりなくなってきた。


――この人、本当に霊感あるのだろうか。まずそこからじゃないかな。ねえ?



「ここには……」


 私がうんざりしつつ毎度の言葉を言おうとすると、春野は静かに荷物を床に置いた。ただならぬ春野の様子に、私はかすかに身じろいだ。


「います」


 私は思わず息を飲んだ。

 やっと幽霊のいる部屋にたどり着いたのか。ついに!


 春野はゆっくりと室内に足を進めると、壁の一点を見つめながら部屋の中央で立ち止まった。


「……あなた、ここで死んだのね? アパートで自殺したと聞いていたけど、やっぱり他殺だったの」


 そのとき、壁に黒いシミのようなものができた。

 真っ白な壁に、不自然なほどまでの黒々しさ。それがただの汚れではないこと、そしてこの世のものでないことがひと目で分かる。


 春野はじわりじわりと広がってゆくシミを見つめながら、柔らかな表情のまま続けた。


「大丈夫よ。私があなたの無念を晴らすわ。絶対に復讐する。絶対に犯人を許さない。だから……安心して」


 春野は最後にふっと微笑むと、ぱっと振り返り満面の笑みで言った。


「ここ、元彼が殺された部屋なんです。自殺と言われていたけれど、私は『絶対に違う』と思っていて……だから、幽霊でもいいからもう一度直接本人に会ってみたかったんです。ずっと探してたんですよね。見つかって本当に良かった。ありがとうございます」

「そ、それは、良かったです……」


 私はやっとのことで言葉を絞り出した。あまりの急展開に頭が追いついてこない。

 自殺、他殺、復讐、幽霊……。どれも禍々しい語句である。

 こんなことって、本当にあるんだな……。


 と、とにかく春野の理想の部屋が見つかって良かった。これで事故物件巡りの旅は一件落着ということだ。


 私はこの部屋の契約書を鞄から出した。


「では……入居はこの部屋ということでよろしいでしょうか」


 そう言うと、春野はキョトンとした顔で首を傾げた。


「入居? なんでですか?」

「え、入居されないんですか? ずっとこの部屋を探してたんですよね?」

「まあ、探してたのは探してましたけど。でもそれとこれとは話が別です! 死んだ元彼と暮らすなんて、新しい彼氏が作れなくなっちゃうじゃないですか。私が一人暮らしをするにあたり理想なのは、女性の幽霊がいる部屋です!」


 私は「え」と声を漏らした。


 絶望だった。


 ここじゃ駄目なの……? 女性の幽霊がいる部屋をまた探さないといけないの……? やっとのことでありついたこの幽霊物件を捨てて……? 嘘でしょ……?


 私はしばし言葉を発することができなかった。

 春野はそんな私を知ってか知らずか、元気に肩を叩いて意気揚々と叫んだ。


「さあさ! また事故物件探し、よろしくお願いしますね!」


 うわああああっっ!! なんでええええ!!

 どうしてこうなったあああああっっ!!


「……は、はい」


 私は力なく頷きつつ、ため息が出そうになるのをなんとか堪える。

――ああ……面倒臭い…………


 しかし今度は、『女性の事故物件』というキーワードがあることで、比較的ピックアップしやすくはなるだろう。最初と比べたら、まだマシなのかもしれない。

 無理にでもポジティブに考えないと、私の心が闇堕ちしてしまいそうだ。


 私は軽くうなだれながら、パチッと電気を消した。玄関のドアを閉める際、何の気なしに部屋を振り返った。




 するとそこには、笑顔で手を振る男の姿があった。


 首には白いロープのようなものがぐるぐる巻きにされていて、その隙間からは青黒い痣が見える。


──他殺。




 一瞬にして鳥肌が立った。


「……お、お邪魔しました」


 急いでドアを閉めた。鍵をかけた。バクバクと心臓が波打っている。

 なんだか見てはいけないものを見てしまった気がした。


 あれは一体なんだ。なんだったんだ。

 幻覚? 見間違い? あるいは。


「うふふ、んですね」


 春野の声が後ろから聞こえた。


「え……?」


 私がおそるおそる振り向くと、春野はにっこりとした顔で微笑んでいる。


「霊感のある人と長い間一緒にいると、その人も霊感を持つようになるらしいですよ? ……ふふふ、女性の幽霊探し、やりやすくなりますね」


 私は天を仰いだ。

 春野が私に様々な物件を探させた理由。最初から『女性の事故物件』という条件を言わなかった理由──それは、私にことが目的だったのだ。

 したたかな女である。


 私は手元の資料に目をやると、今度は春野の前で、これみよがしに大袈裟にため息をついてみせたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幽霊探し──‪☆ 此糸桜樺 @Kabazakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ