家の声

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家の声

 案内された家は築五十年は経っていたけれど、柱の木目も美しくしっかりとした造りの家のようで安心感があった。宮大工が自分の家族のために作った家だから、頑丈に出来ているのだろう。過去に住んでいた人も大事にしながら住んでいたようで、多少の傷はあれど綺麗なものだった。むしろその傷がここに人がいたことを教えてくれているようで、暖かみを感じる。何よりどこか懐かしい匂いがした。

「こちらの物件は二階建ての古き良き日本家屋です。サザエさんの家に間取りは近いかもしれないですね。築年数が経っているとはいえ、この広さで三千万というのは破格ですよ。少々広すぎて部屋を持て余すかもしれませんが、これからお子さんが増えることを考えるとこのくらいの広さの方が丁度いいのかもしれません」

 不動産屋の木村さんが説明しながら扉を開けて、私達をリビングに誘った。

 夫の転勤で私の地元に戻ることになり、これからは転勤が無くなるということでついに念願の家を買うことに決めた。色々な間取りを見ているときに、私はこの家が気になった。駅から少し遠いこともあって夫は乗り気ではなかったが、内見くらいはと見に来ることにしたのだった。

 リビングは広く、ほぼ真四角で窓も大きい。外からの光が床に当たって、部屋全体が明るく照らされている。

「いらっしゃい、今度は若い夫婦なんだな。住んでくれるかな?」

「え?」

 頭の上から声が振ってきて、思わず天井を見上げた。しかしそこには木目の天井があるだけだった。

「どうかしましたか?」

 木村さんが首を傾げながら、倣うように上を見る。つられて夫も天井を見上げていた。

「何か声がしませんでしたか?」

「いえ、何も」

「空耳かな……」

 天井にはスピーカーがあるわけでももちろんない。しかし声は壁を隔てているような遠いものではなく、近くからはっきり聞こえた。それこそ、天井に口が付いているかのような距離から聞こえた気がする。

「今回もいっぱい覗いちゃうぞ」

「ひぇっ」

「どうかした?」

 前にいる夫が、首を傾げている。夫にも木村さんにも声は聞こえていないらしい。辺りを見回したけれど、壁から覗けるような穴もない。

 覗いちゃうぞ、とは穏やかではない。

「む、虫が……」

 私はそう誤魔化して木村さんの続きの説明を促した。なんだか気持ち悪い家だ。寒気がして両腕を自分で抱く。こうして怖がっている姿も、全て覗かれていると言うのだろうか。

「もしかして、僕の声が聞こえてる?」

 声を出したら、また夫と木村さんに変に思われるだろう。だから私は小さく頷く。

「やっぱり! ちょっと話そうよ。若い子と話せるなんて、嬉しいなあ」

 おばけか何かなのだろうか。覗きが趣味の変態おばけなのだろうか。気持ちが悪い。

 木村さんがリビングの窓を開けると、芝の生えた庭が現れた。今は雑草が生えていて荒れているが、雑草さえ抜けば広くていい庭になるだろう。

「この家、広いし明るいしいいでしょう? ただちょっと曰く付きで、この家を建てた夫婦が事故で亡くなってしまったんです。それからすぐに売りに出て、今まで他に二組の家族がここに住んでいました。お子さんが『おばけがいる』と言っていたという話も耳にしました。もしかしたら、あの事故に遭った夫婦がこの家に取りついているのではないか……。安いのはそういった理由もあります」

「聞いた手前申し訳ないですが、不動産屋からしたらそういう話はあまりしない方がいいのでは?」

 夫が言えば、木村さんは「いえいえ」と言いながら胸を張る。

「私達は誠実な経営を志しておりますので、きっちりと話し納得した上でお買い上げいただきたいと思っております。これから長きに亘って住む家ですからお互いにクリアな方がいいでしょう?」

「それもそうですね。おばけか……」

 夫はやはりこの家を選ぶのは避けたいようだった。

「二階を見てきてもいい?」

「ああ、いいよ。俺は庭の方が気になるからそちらを案内してもらうね」

 私は二人と分かれて二階への階段を上がる。二階には三部屋あり、それぞれが十畳以上ある。その内の一番手前の部屋に私は入った。丁度先ほどいたリビングの真上の部屋だ。

「誰かいるの?」

「僕の声が聞こえるんだね! おどかしてすまないね。この家はどうだい?」

 やっぱり声は上から聞こえる。どこか特定の場所にいるわけではなく、家自体から声がするようだった。

「悪くない……けど、あなたは何? 本当におばけなの?」

「僕は家だよ」

「家」

「おばけと言っても間違いでは無いんだろう。なんせ設計してこの家を建てた人でもある。人と話すのは久しぶりだな。たまに子どもには声は聞こえたようだけど、ちゃんとした会話までは出来なかったから嬉しくなっちゃうな。少し昔話をしてもいいかい?」

 家は生い立ちを語り始めた。

 声の主は、先ほど木村さんの話していた最初に住んでいた家族らしい。建築家であり大工でもある声の主は、新しく家族が増えることを機にこの家を建てたようだ。

 ある日妻が買い物をしたものの、買いすぎてしまったようで車を出してほしいという。娘は遊ぶのに夢中だったし、妻がいるのも車で数分の近くのスーパーだった。だから、娘を一人家に残して、家を出てしまった。そして夫婦は事故に遭ったのだ。

 死ぬ寸前に家族の行く末を見届けたかった、という思いを強く抱えていたことだけは覚えていた。

 次に気が付いたとき、自分の意識は家に乗り移っていた。願いが叶ったのだろう。このまま娘を見守っていける――と思ったが叶わない。小さな娘一人ではこの家に住み続けることは出来ず、親戚の元へと行ってしまったからだ。そのためこの家は売りに出ることになった。

「この家は良くできているよ。家族のために作った僕の最高傑作だ。南向きの窓で日当たりはいいし、庭も広い。晴れた日にはバーベキューをしたり、芝生に寝転がって過ごすのもいいだろう」

「住みやすそうな家ね」

「けど問題はこの僕だ。僕がずっと覗いている。僕は家そのものだから、寝ているときも、お風呂のときも、トイレのときも覗いている。申し訳ないが、この家に住むからには僕がつきものだ。泥棒が入ってきたときは、叫ぶくらいはしよう」

 不動産屋も誠実だが、この家も誠実らしく家に関する事情をしっかりと説明してくれる。確かに四六時中覗かれているというのは気持ちが悪い。けれど。

「……私、この家にする」

 夫を説得しないといけないだろうが、私はこの家がいい。それだけは譲れない。

「いいのかい? 広くて安いのは魅力的だが、気持ち悪くないかい?」

「うん、もちろん」

 懐かしいこの声を、私はよく覚えている。あの事故のとき、おもちゃに夢中で「いってらっしゃい」も言えずに二人がいなくなってしまったことを私はずっと後悔していた。だから、またしゃべれるなんて思ってもみなかった。

「ただいまお父さん、また一緒に住めて嬉しい」

 お父さんの願いは叶うよ。少し遅くなったけどこれからしっかりと見守ってね、あなたの娘と孫達の成長を。

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