第2話 アマノハナゑ

 ──天華アマナ

 それはある日、出雲郷あだかえ おうぎが父の手記と共に見つけた写真に映る女性の名。

 書店『機械人形Automaton』の店主兼看板娘であるリヴラ曰く、彼女は雪女ユキメと呼ばれる一族なのだという。純粋な人ではないらしく、その在り方は妖怪の類に近しいものであるとの事。また天華アマナについては、北陸地方のとある村落を一つ呑み込んだという記録以外残されていなかった。

 そんな存在である彼女と、扇の実父──出雲郷あだかえ 尊盈さだみつがどういった経緯で知り合ったのか。そして何故、彼女は村を一つ呑み込むに至ったのか。その謎を解き明かす為、二人は北陸地方にある名前すら喪われた村へと赴くのであった──




 長閑な風景──……そう言われれば聞こえは良いのだが、実際は退屈な時間のほうが長い。公共交通機関を利用する場合は特にそうだと思う。今回の様に観光地を通らず、主要都市を通る事もないとくれば尚の事。代わり映えしない風景の中、ただひたすら電車とバスに揺られるだけの鈍行旅行。

 唯一の救いがあるとすれば、これが一人旅行ではない事。加えてその相手が、かつての想い人であるリヴラである事くらいだろう。

 否。彼女と旅行出来るだけでもう満たされている節すらある。かつての想い人、だなんて考えていたがそんな事はなかった。彼女からこの旅行の誘いを受けてからずっと、気持ちは舞い上がったままだったのだから。

 ……当時抱いていた想いが褪せること無く胸のうちに遺っていた事を、こんな形で自覚する事になるとは。我ながら未練がましいというか、なんとも単純というか──


「──少年は今、大学ニ年生でしたか」

「今年の四月で二年になりますけど、それがなにか……?」

 くだらない事を逡巡しゅんじゅんしていると、対面に座る彼女が唐突に口を開いた。その視線は風景を見るでもなければ、私の方を向くでもなく、手元の手帳へと向けられている。考え込む様な表情を見せてはいるが、ボールペンが走るのを止める気配はない。

義母わたくしの元を離れての生活はどうですか?」

 どうもこうも普通です、と返せば、もう少し詳しく教えて欲しいのです、と悪戯っぽい笑顔で私を一瞥する。また酷く蠱惑的な表情を魅せるものだと思ったのも束の間、やんわりとした制動を感じ列車が停止。それからやや遅れて、停止信号を受けた事による停車の旨が知らされた。

「……雲行きが怪しくなってきましたね」

 車窓へと視線を移した彼女が、ぽつりと言葉を漏らす。その声はとても小さく、意識を向けていなければ聞き逃していたに違いない。そして──今頃気づく私も私なのだが。まさかこの短時間で天気が急変するとは想定外であった。乗り始めた頃に見た抜けるような青空は見る影もない。どこからか現れた雲により、空は昏く垂れ込み鉛のような色合いになっていた。


 そうして暫し停車した後、列車は再び走り始めたのだが──


「────次の駅で折り返す……?」

 老齢の車両職員は「大変申し訳ありません」という言葉とともに頭を下げると、他の乗客の元へと移動していく。そうして私達にしてくれたように、乗客一人一人へと丁寧な謝罪と説明を繰り返していた。

 なんでもこの先、異常気象としか言いようの無い天候になっているとの事。桜の開花宣言も出たばかりだというのに、当該地域一帯では気温が零度を下回る気配すらあるのだとか。またこれに合わせて降雪も確認されつつあるとのと事で、公共交通機関の殆どが停止する可能性が高いとも言われてしまった。

「少年はどうしますか? 私はこのまま行けるところまで行くつもりではありますが」

「えっ、本気なの?」

「勿論です。だからこそあれだけの準備をしました」

 チラリと見やったのは、隣の席に置かれた大容量の登山用リュック。富士登山にでも挑戦するのかと聞かれてもおかしくは無い程のソレには、各種防寒装備と野営用品も揃えられている。5日間程度であれば難なく過ごす事は出来るだろうが……正直、彼女がこの手の経験を積んでいるとは思えないのだ。

 僕の持つ彼女のイメージはインドアなミステリアスレディ。義母となった後もそれは変わらなかったし、運動をしているところなんか見た事もなかった。基本は余裕のある大人のお姉さんだけど、実際は抜けている所もある。天然という言葉でギリギリ収まるかどうか……──とにかく、不安感は拭いきれない。故にちょっぴり不安なのだ。

「……リヴラさんが行くなら行くよ」

 という私の言葉に対し、彼女はニッコリと微笑むばかりであった。


 それから数十分後、車両は雪深堂坂下駅へと停車。目的の駅までは残り四駅という微妙な距離にあり、駅舎は木造な上にそう大きくはない。老齢の駅員へ切符を渡し、駅舎を出ると──そこには季節外れも甚だしい光景が広がっていた。

 鉛色の天蓋により重苦しさを増した空気は、骨身に染みるような冷たさを孕んでおり体を末端から冷やしていく。

 ……風が穏やかなのは唯一の救いといったころか。

 手袋やマフラーといった防寒具を取り出し、駅舎を出た辺りで背後からクラクションを鳴らされた。道の端へ寄りつつ振り返ると、古い軽トラが私達の近くで停車する。そして出てきた壮年の運転手が、これまた訛りの強い言葉で「何処まで行くつもりなのか」と訪ねてきた。

 

阿萬野離アマノハナさ行ぐぬらめとけ。工場以外いげぇなんもねぇだ……そんに今日けぅみでぇな日さ雪女ユキメが出るだに」

 目的地──アマノハナの名を出した途端、彼は大きな身振りを混じえて向かうべきではないと言い始める。それにしても工場とは、一体何を作っているのだろうか?

「雪女に会うとどうなるのですか?」

 と、彼女が問うと彼は彼女を見上げ「のっぺぇ女子おなごじゃあ」なんて言葉を漏らし驚きを隠せないでいる様だった。

「まぁ……のっぱのねげさんは大丈夫だくんろ、そこのヒョッパは連れてかれっだ。ありゃ男さ酷く憎んどるでな、ガッチンコッツンに凍られっど」

「男を恨んでる? どういう事ですか」

「話すんは構わねぇど、ここざ寒うて敵わん。家さけぇや」

 

 ……正直、初対面の相手の家に行くのは気乗りしなかったが雪女の話には興味がある。それは彼女も同じらしく、私達は彼の提案に乗ることにした。

 車内ではお互いに軽い自己紹介をした後、この土地における雪女ユキメ伝承について軽いレクチャーを受けた。まず、今回私達に声をかけてくれた彼は穂村ほむら 辰吉タツキチと言い狩猟を生業としている。長年この地域に住んでおり、雪女についてはよく知っているのだとか。

 そんな彼の家は此処から少し離れた所にあるらしく、アマノハナにはそれなりに近い距離にあると言う。また彼は先代より雪女は恐ろしくあるが、忘れてはならないモノだと教え込まれているそうだ。


「──誘っとてなんだが、野郎の独居ざ堪忍してくんろ」

 そうして車に揺られること数十分。ようやく着いた彼の家はそれなりに大きな古民家であった。納屋を解体場にしているのか、入口や軒先には猪や鹿らしき獣の生革が干されている。

 物珍しさに見ていると、彼から早く母屋に入るよう注意されてしまった。急ぎ玄関へと向かい客間へと向かうと、そこにも鞣された革がいくつか積まれている。それ故か、室内は若干の獣臭と薬品臭が漂っていた。また幾つか動物の剥製も飾られており、その出来栄えは素人目にも判るほど良い仕上がりだ。

「……──そいでおまんら、なして雪女の事さ知りたがる?」

 いつの間に茶を淹れていたのか、湯気の立つ湯呑みを配りながら彼が訊ねてきた。これに対して「少々縁がありまして」と答えたのは彼女である。

「……エニシさあるんならけえった方がええど」

 彼女の答えに思うところがあったのか、彼の声には迷いの色が強く出ていた。

「縁があると不味いのですか」

「どげな縁かにもよるでな」

 そう答える彼の表情には複雑な色が見える。自らの淹れた茶を飲むでなく、揺らめき立つ湯気をじっと見つめたまま──誰一人として口を利くことはなかった。


「…………雪女ユキメっちゅうんは、阿萬野離アマノハナに古くから住んじょる奴らでな」

 湯呑みの湯気が消えた頃、彼が再び口を開く。彼が言うには阿萬野離アマノハナという地域は中々に独特な地形をしているらしく、との事。故に案内役は必須──となれば一つ、疑問が浮かぶというもの。平野でもなければ交通の便も悪いこんな土地に、何故工場が建てられているのだろうか?

阿萬野離アマノハナにゃあめずしい石脈セミャクがあるでな。透くような深い赫色の宝石……石榴華石ケッカっちゅう名前さ、お前まんらも聞いた事さねぇか」

 石脈とは鉱脈の事だろうか。しかしケッカなる宝石は聞いたこともない。ダイアモンドを金剛石と呼ぶように、ソレも何かの和名なのだろうか? などと思案していると、彼女は心当たりがあったのか幾つかの言葉を交わしていた。

「──……ソレは阿萬野離アマノハナで採掘、加工を行っていたのですね」

「んだ。けんろあの石は癖が強ぅてな、加工せしめる者が粒しか居らんで、石の機嫌は秋模様だなんだ言うてほかしてたわ」

 言い回しもさることながら、なんともまぁ独特な例えが多い人である。加えて訛も強く理解するまで結構な時間がかかってしまうので、聞いているだけで精一杯と言う感覚だ。


「ところで辰吉さん。石榴華石ケッカには願いを叶える力があるとお聞きしましたが──あれは本当の話なのでしょうか?」

「…………まぁ、半分はんずは嘘だんども半分はんずは真さな」

 彼女の質問に対し、たっぷりの間を挟んだ後に帰ってきたのは全く真剣みのないものだった。明らかに適当というか、きちんと応えようと言う気持ちが感じられない。些か失礼な気もしていたが、彼女の方はまるで気にしていない様子である。


「ではもう一つお聞きしたいのですが──……雪女ユキメの呪いが憑いている、という噂はどうなのでしょう」


 澄まし顔で彼女がそう言うと、彼の顔は酷く冷たいものへと変わった。全く感情が見えてこないこの顔は、まるで能面であり生物としてあるべきモノが何一つとして感じられなかった。






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