天華に視ゆ

メイルストロム

第1話 ヒヤシンス。その種を


 ──美しいものへと、安易に手を伸ばすな。


 生前、父が愛用していたという手帳の最後の頁ラストページには、そんな一文が遺されていた。

 そして、その裏には一枚の写真が貼り付けられている。撮られた日付は不明だけれど、日焼けが酷く保存状態も決して良いとは言えないものだった。

 そこに写るのは一組の男女。片方は私の実父である出雲郷アダカエ 尊盈サダミツ──この手帳の所有者だ。写真の中の父は、私の知る父とは異なる出で立ちをしている。髪を短く切り揃え和装に身を包むと、こんなにも雰囲気が変わるとは思いもよらなかった。だがまぁ、正直言って父の事はどうでもいい。

 勘違いしてもらいたくないのだが、どうでもいいと言っても嫌悪している訳でもない。私は父に対して何も思うところが無いのである。好きも嫌いも、なにもないのだ。

 ……なにせ彼は私が幼い頃に姿を消しているのだから。


 ──問題は隣に写るこの女性だ。 

 この女性は私の母──出雲郷 深春ミハル。そして見た感じ、年齢は20代後半といった所だろうか? 私の母も美人と呼ばれる類ではあったのだが、この女性は一つ次元が違う。そう感じる程に整った目鼻立ちをしており、浮世離れしていると言っても良い。特にこの切れ長の瞳からは強い色香を感じるのだが──……本能が激しく警鐘を鳴らしている。


 ──このヒトに興味を持つな、と。


 そう、わかっている。だと言うのに私は頭の中から彼女の事を追い出せずに居るのだ。この写真を目にした瞬間から、名も知れぬこの女性に会ってみたいと強く思うようになっている。

 もしかしなくともこれが『一目惚れ』という奴なのだろうか? しかし一目惚れというのはここまで強く惹かれるものなのかと、疑問に思う自分もいる。心理的な肌感覚に従うのなら、ある種の執着心とでも呼ぼうか。

 でなければこんな──連日写真を眺めては、彼女に繋がる情報を一つでも見つけようとするなど、普段の私ならまずあり得ない行動である。自分も異常だと思うが、もう2週間は止めることが出来ずにいるのだから仕方ない。行き着く所まで行かねば止まらないのだろう。





 ……とは言ったものの、2週間も経てば殆どの情報は読み取れてしまうものである。ましてや古ぼけた写真1枚しか無いのだ。背景はピンボケしているし、日焼けなのか白飛びを起こしている場所も多い。唯一の収穫があるとすれば、裏面に記された『天華』という単語のみ。これが地名なのか人名なのかは不明だが、雪に関係していることは判明した。


「──それで私の所に来た、と」

「はい。僕の知る限り貴女が一番の物知りだったから」

 彼女は故郷にあった唯一の書店『機械人形Automaton』の店主兼看板娘であるリヴラ。とある災害をきっかけに、身寄りを無くした私を引き取ってくれた人でもある。ちょっぴり気になるミステリアスなお姉さんから義母へ。そしていつしか一人の女性として好きになったてしまった人だ。

「久方ぶりに訪ねてくれたのに、他の女の影を追わされるとは思いもよりませんでしたよ。君も悪い大人になりましたね、少年」

「そんな言い方しなくても良いじゃないですか」

 けれど彼女は変わっていない。この容姿を含め、何一つとして変わっていないのだ。シミ一つ無い白肌は今もなお健在で、彼女だけ時間が止まっているかのようである。

「そんな言葉の一つも言いたくなるものですよ? 君はまだ私の事を好いていると思っていたのですが、残念です。上京するからと言って、私に告白してくれたあの日の少年は何処へ消えてしまったのやら──」

「そ、それは言わない約束でしょう! 僕はただ、父とこの人がどんな関係だったのか知りたくてですね?!」

 必死に否定すると、彼女はいつかと同じ様に口元を手で隠しながら慎ましやかに笑うのだ。浮世離れした美しさの中に垣間見える幼さに、私はやられたことを思い出す。


「ほんとに少年は面白いですね。大人っぽく振る舞っているけれど、すぐに化けの皮が剥がれてしまう」

 一頻り笑った後、彼女は件の写真を手に取る。

「それで……これが若かりし頃の尊盈さんですか。随分と男前ですね」

「親父の感想はいらないからさ、そっちの女性に見覚えがあったりしない?」

「直接見た記憶はありませんが──この化粧には見覚えがあります」

 そう言って指し示したのは、目尻のあたりに引かれたアイラインだった。

「これは北陸地方で見られたものです。中でも雪の深い場所で、雪女ユキメの伝承が根強い地域でよく見られました。写真の日焼けが酷く確証はありませんが、目尻のアイラインが紅く塗られているのであれば間違いないでしょう」

「リヴラさん、その地方の方はなぜ目尻に紅を塗っているんですか?」

 唇に朱をひくのならわかる。しかし目尻の辺りだけに朱をひくというのは、なにか儀式的な意味合いを感じるのだ。

「別にこの地方だけではありません。地域差こそありますが、体の一部に朱をいれることで魔を退けるのは一般的なモノのようです」

「魔を退ける為に……?」

「まぁ、今では殆ど廃れてしまっていますので知らずとも仕方のない事かと」

 彼女は写真を手にしたまま立ち上がり「こちら、少し預かりますので──そちらの週刊誌でも読んでいてください」という言葉を残し店の奥へと消えてしまう。



 2週間前の週刊少年誌を読みながら待っていると、彼女が神妙な面持ちで戻ってきた。

「少年。この写真の女性を追うのは止めたほうが良いのかも知れません」

「どういう事ですか? っていうか、その写真──」

 ──色が着いている。日焼けによりセピア色に染まった写真が、色鮮やかなモノへと変わっていた。驚きを隠せずにいると、彼女はソレを自らの懐へとしまい込んでしまう。

「先代からの記録にあったのです。彼女は──天華は雪女ユキメでした」

「ユキメ? 雪女ユキオンナではなくて?」

「ええ、ユキメです。その在り方は雪女ユキオンナと大差ありませんが、関わらない方が良い事に変わりはありません」

「……雪女は存在しないものではないんですか?」

 雪女は妖怪の類であり物語の住人である。なのになぜ彼女は実体を持たない空想の産物と『関わらないほうがよい』と言ったのか?

「天華は実在する人物なのです。どんな人物なのかは存じ上げませんが、は記録されていました」

 ソレが仮に実在したとして──「──……何をしたんですか、天華という雪女ユキメは」

「村を一つ飲み込んだと」

 間髪入れずに返された言葉は、衝撃的なものであった。村を一つ飲み込んだというのはどういう事だ? そのままの意味なのか? それともなにかの比喩なのか? 

「彼女は北陸にある小さな村落を、その土地ごと凍らせたと言うのです」

 彼女は徐ろに電子端末タブレットを取り出し、北陸地方のとある地点を指し示した。それは隔絶された土地──そんな言葉がピッタリの場所。村落の名前は不明。何時からか何時まで存在していたのか。村民はどれ程居たのか。ありとあらゆる情報が隠匿されているらしく、リヴラさんでさえ全容を把握しきれていないというのだ。


「──天華が何故そのような凶行に走ったのかは判りません。その人物像もわからず、動機も経緯も不明瞭。そんな彼女が雪女として正しく在るのであれば、それは厄災と言って差し支えない存在です。それ故なのでしょうが、先代からの書残しにも『雪女とは深く関わるな』とありました」

 あまりにも突飛な話である。そして私も、それを素直に信じられるような年齢ではない。妖怪が存在するなんて話を誰が信じられると言うのだろう。

「そして君は、天華の影にあてられているのかも知れません」

「影にあてられている?」

 はい。という短い返答の後──彼女は幾枚かの写真を取り出すと、それを机上に並べだした。それらは全て、悪天候の中で撮影されてきる。被写体は全て、白装束の女性らしきもの。それは時代錯誤も甚だしい衣装で、防寒性など無きに等しいものであった。

「画像生成技術が発展した現代において、これらが証拠になるとは言いません。被写体はどれも空想の住人とされた者であり、撮影状況は劣悪極まりない」

 それは彼女の言う通りだ。今ではそれなりの知識と機材があれば、こんなものはいくらでも作り出すことが出来る。

「ですが、これらは全て君の父──尊盈氏が撮影したものなのです。彼は天華の影を追い求め、雪女の伝承を追い続けていた。彼が家を空けがちだったのはそのせいなのですよ」

 ──……馬鹿な。母はこの事を知っていたのだろうか? いや、それよりもなぜ彼女がその事を知っているのだ? ウチと彼女が深い関わりがあるような話は聞いたことがないのに、どうして。 

「彼の事は先代よりお聞きしておりました。尊盈様も、先代の知識を頼られていたのです──今の君と同じ様に」

 俄には信じがたいけれど、それらがまっさらな嘘だとも思えない。そしてまた厄介な事にと念押しされてしまうと、関わってみたい気持ちが高まってしまうのだ。


 ────そしてそれは、彼女も同じなのだろう。

 止めたほうが良い。関わらないほうが良いと口にはしているが、それらは全て先代とやらの忠告に過ぎない。故に彼女は自身の言葉で『関わるべきではない』と言わず、諦めさせようともしてこないのだ。

「……知識欲というのは厄介なモノですね、少年?」

「ええ、全くそのとおりで」


 私は父の事を識るために。


 彼女は天華を識るために。

 

 私達は其々の求める真相を知る為に、彼の地へ向かう事にした──

 


 






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