『うさぎ荘』はいかがですか?

葵月詞菜

第1話 『うさぎ荘』はいかがですか?

 一.

 夕飯時のことだった。

 本日は食堂に住人四人が全員集合していた。

 汁物を椀によそっていた黒髪の青年が、思い出したように口にした。


「あ、そうそう。明日ここの内見予定があるから」

「内見?」


 八分目まで入った椀を慎重に受け取りながらナコは聞き返した。


「え、誰か新しい人来るの!?」


 こちらは茶碗にご飯を盛りながら、三つ年上の女子高生のレイが期待した目で訊ねる。


「うーん、人っていうか、お客様っていうか……」


 トキはお玉を置いて鍋に蓋をすると、エプロンを外しながら定位置の席に着いた。隣ではすでに箸を持って合掌ポーズをしている彼の弟がいる――先程からちょいちょいつまみ食いしているのは黙っていてあげよう。

 ナコとレイも彼らの正面の席に着き、みんなで『いただきます』をする。


「ねえ、内見って何?」


 ナコは小首を傾げながら質問した。実は意味が分からなかったのである。

 トキが「ああ」と頷いて説明してくれた。


「内部見学のことだよ。実際に見て住めそうか判断してもらうんだ」

「ふーん」

「で、どんな人が来るの!?」


 レイの相変わらずキラキラした目を受けて、トキは少し間を置いてから微笑んだ。


「それは……明日のお楽しみということで」

「ええ~」

「安心しろ、お前が期待しているようなイケメンの少年とかじゃない」


 黙々と食べていたセツが呆れたように口を挟んだ。彼も兄のトキと同じくここ『うさぎ荘』の管理者に当たるので、明日の内見予定者を知っているようだった。


「じゃあ女の子? ね、ナコも気になるよね」


 急に同意を求められたナコはどう答えて良いか分からず曖昧な表情になった。

(別にどんな人でも良いけど……仲良くなれるかは心配だな)

 恐らくトキとセツが許可するような者であれば安全面では何も心配はいらないだろう。ただしコミュニケーションに自信がないナコの個人的な心配は別問題だ。言わずもがな、レイは全くそんな心配はいらなそうだが。


「そもそも、うちみたいな古いとこにわざわざイケメンがやってくるわけないだろ」


 セツがご飯のお代わりをよそいながら鼻で笑った。茶碗には小山ができている。前から思っていたが、彼は丼でも良いのではないだろうか。


「それくらい管理人ならスカウトして来なさいよ」

「そうだな。お前がここを出て行った後にでも考えることにする」

「それじゃ意味ないじゃないの!」

「知らねえよ。てかどんなイケメンでもトキの審査に合格できるか次第だろ」


 ちらりとトキを見ると、彼は困ったように眉を八の字にする。


「とりあえず、現在ここに年頃の女の子が二人いるってことは重要確認項目だね」

「この過保護」


 ボソリと呟いたセツはトキの肘鉄を食らって顔を顰めていた。

 管理者と言っても実はこの兄弟もまだ大学生の身分である。ナコにとっては大きなお兄さんたちというイメージが強い。

 そして、町の人たちからは彼らがイケメンと騒がれているのを耳にしていた。ナコとレイにとってはもう家族のような存在なのであまりピンとこないが。


「だいたいイケメンってだけで判断すると痛い目に遭うぞ」

「そんなこと分かってます~」


 セツとレイがいつものようにぶつぶつと不毛な応酬を繰り広げる中、ナコとトキはマイペースに食事を続けた。もう慣れたものである。


「そうだ、トキ。明日何か手伝えることはある?」

「ん? 特に何もしなくて大丈夫だよ。ありがとう」

「そっか。じゃあ部屋で大人しくしてるね」


 それとも外へ出かけようかと思案するナコに、トキはなぜかふふっと笑った。


「少し特別な内見だから、もしよければ一緒に見てて構わないぞ」

「特別?」


 彼はそれ以上は教えてくれなかった。こう言われては気になるではないか。

 ナコはそっと見に行こうと決めた。



二.

 翌日、内見予定の者たちが現れたのは昼過ぎのことだった。


「本日はよろしくお願いします」


 チャイムが鳴って玄関の戸を開くと、丸々と太ったおじさんがバインダーを手に会釈をした。


「こちらにどうぞ」


 トキがにこやかに笑って上がるよう促す。

(あれ、何なんだろ)

 ナコは玄関から部屋に続く細長い敷物を見て首を捻った。少し前にトキたちが敷いていたのだ。

 ナコの隣ではわくわくした顔のレイと仏頂面のセツが同じく様子を伺っていた。

 そしてナコは、脇にどいたおじさんの後ろからわらわらと出て来た存在に目を見開いた。

 あっという間に玄関に溢れたのは『うさぎ』だった。数えると七匹いた。

 思わずレイと顔を見合わせ、二人そろってセツを振り仰いだ。彼は分かっていたように頷き、何事もないように言う。


「そ、本日の内見者様はあのうさぎたちだよ」

「うさぎさんたちがここに住むの?」


 セツは肩を竦め、トキの方を顎で指した。黙って見ていろということらしい。

 少し大きな白いうさぎが先頭に立って敷物の上を進み始めた。後を追って次々にぴょこぴょことうさぎの行進が始まる。


「か、かわいい……」

 レイが口に手をあてて呻く。その光景はどこか異様だが、圧倒的にかわいいが勝った。

 うさぎたちは敷物に誘導されるように用意された一室へと向かっていく。そこは管理人の兄弟たちの私室に隣接し、縁側にも繋がる明るく開放的な部屋だった。ここで日向ぼっこをすると気持ち良いのだ。

 いつもはがらんどうとしたその部屋に、いつもと違う景色が広がっていた。部屋の真ん中には芝が敷かれ、その上に木製の小さな家や遊具などが置かれている。

(そういえば最近トキとセツが大工作業をしていたような気がする)

 まさかあれらを作っていたのだろうか。


「ほう、これはこれは」


 おじさんが感嘆を漏らし、うさぎたちを見て一つ頷いた。それが合図だったかのように七匹のうさぎたちが一斉に部屋の中を駆け回り始める。

 先程先頭を切っていた大きなうさぎは確認するように芝を踏み歩き、家の中に恐る恐る入ってみたりしている。

 トキは壁側に立ち、黙ってうさぎたちが好き放題する様を見守っていた。ナコはそっと彼に近付いた。


「ねえ、あのうさぎさんたちここに住むの?」

「さあどうかな。お気に召されたら住処の一つになるかもね」


 ナコたちが暮らす『あべこべ兎毬町とまりちょう』には、いたる所にうさぎがいるのが特徴だ。外に出ると、道端や公園のふとしたところでうさぎたちの姿を見かける。そして町の人々はみんなうさぎを大切な存在として扱っているのだ。

 トキは小動物に好かれやすい性質も相まって、時々出先からうさぎを連れて帰って来たりする。セツの話ではうさぎが部屋の中に潜り込んでいることも少なくないらしい。

 そんなこともあって家にうさぎがいること自体は何も不思議にも思わないのだが、こうしてわざわざ一室を用意して内見までするのは意外な気がした。


「うさぎたちにもね、人間と同じようにとりまとめみたいなのをしてるリーダーたちがいるんだよ。例えばあの少し大きいの」


 トキが指さしたうさぎは、あの慎重に芝や家を確認していたうさぎだった。


「この町に住むうさぎたちは特に誰に飼われるといったこともなく、自由に暮らしているのがほとんどだ。でもそんな彼らだって、いざとなったら駆け込める場所が欲しいらしい」

「それって避難場所?」

「そこまでのものではないけど。この町の人たちはうさぎを大事にしているから、いざとなったらどこでも優しくしてもらえるよ。でも、いきなり大勢で詰めかけるわけにもいかないだろう? だから、何カ所か拠点を設けておくんだ」

「拠点」


 その一つの候補として、この部屋が上がっているらしい。


「まあ幸いうちはまだ部屋に余裕があるから改修も可能だし、俺もセツも世話するのに苦はない」

「ちょっと待て。勝手にオレも含めるな」


 すかさず異を唱えたセツにトキは笑って返す。


「そんなこと言って。いつも俺が連れて帰る小動物の世話を焼いてくれるだろ」

「それは見兼ねて仕方なくだ!」

「あはは。そんなこと言って自分もかわいがってるくせに。レイとナコも」

「ああ!?」


 さらっとナコたちも小動物と同じ扱いをされたような気がするが聞かなかったことにしよう。

 ナコは改めて部屋の中を飛び回るうさぎたちを眺めた。縁側に続く戸を開け放すと、元気なうさぎたちは庭の方に飛び出して行く。

 リーダー格のうさぎはじっと庭の方を見つめ、同胞たちが駆け回る様子を眺めているようだった。一体どんなことを考えているのだろう。この場所が信頼できる、居心地の良い場所だと思ってくれただろうか。

(まあこればかりはうさぎさんたちにしか分からないか)


「ねえ、もしうさぎさんたちが来たらレイも一緒にお世話してあげるよね」


 スマホのカメラを向けてうさぎたちを撮影しているレイに声をかけると、彼女はカメラを構えたまま「当たり前でしょ!」と返した。


「だって、トキ」

「ああ、お前らにもお願いするよ」


 トキが笑う。その横でセツがため息を吐いた。

 ナコはそろりそろりと芝の上の少し大きなうさぎに近付いてしゃがんだ。うさぎがこちらを振り仰ぐ。警戒はしていないが、気安く触らせないオーラが漂っていた。

 ナコは少し距離を保ったまま、うさぎに話しかけた。


「気に入ったならいつでもおいで。私は歓迎するよ」


 とは言いつつ、ナコもまたここにお世話になっている住居人の一人なのだけれど。だが同居人が増えるのは嬉しい。

(それに人よりはうさぎさんたちの方が仲良くなれるような気がする……)

 ナコが内心で苦笑した時、すっと横にトキが並んでしゃがんだ。彼は自然な動作でうさぎの背に手を伸ばし、優しく撫でた。

(トキ、すごい)

 さすがだ。これが小動物に好かれると言われる所以ではないだろうか。


「俺も歓迎するよ。ここは『うさぎ荘』だからな。いつでも来い」


 トキに撫でられるのが気持ちよかったのか、うさぎの円らな黒い瞳が細くなっていく。

 そして気づけば彼の周りに残りのうさぎたちが群がって来ていた。レイはそんなトキとうさぎをカシャカシャと撮りまくっている。

 壁際でセツが呆れた顔をし、おじさんがバインダーに挟んだ紙に忙しく何かを書き込んでいるのが見えた。



 うさぎ用に用意した一室は結局そのまま存続することになった。

 また、今でもナコたちの日向ぼっこの場所であることは変わらず、陽気に誘われて昼寝をしてしまうことも少なくない。

 そして起きてふと横を見ると、そこにはふわふわとした生き物が丸まっていたりする。

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『うさぎ荘』はいかがですか? 葵月詞菜 @kotosa3

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