エリノメ1998―陸の孤城の辺境伯楽―

gaction9969

★|〇

 浮ついた気持ちを押さえつけることなど、端から無理と自分でも分かっているのであった。十八歳健康優良男子、無事東京にある某大学に何とか合格し、上京して初めての一人暮らしなのである。まあ浮つかない方が難しいシチュエーションではある。


(充実したキャンパスライフを送るには、やはり、住んでいる場所とか家のセンスとかも問われる、だろう……)


 自らを顧みずにそんなスカスカした台詞のような言葉が、詰め込み教育と受験戦争の後遺症でぐずぐずとほどよく膿んだような大脳に浮かぶのもやむなしと言えなくもない。


 坊主頭からそのまま伸びました的なスポーツやらない人間が何故か好むスポーツ刈りのさらに無精がかった中途半端な長さの試験管を洗うブラシのような髪質をあちこちに尖り出させ、試験勉強という慢性運動不足に不摂生が重なった、張りはあるが曇りの無い不健康そうな小太り体型に、本当に牛乳瓶から削り出したのかと見まごうばかりの常人とは違う世界が視えていそうなほどのVRまで透過しそうな厚底瓶底メガネを装着し、母親チョイスであるところのごわごわしたレモンイエローのトレーナーにどう洗いざらされたかは不明なところの巷のケミカルウォッシュより色落ちしていてインディゴ感が二ミリくらいのところの、デニムやジーンズと呼称するよりはジーパンと称した方がしっくりくるそれを身に着け、駅前で最初に目に付いた不動産屋の入口手前で佇むのであった。


 元来、良くも悪くも選択に迷うことは無いタイプの人種である。店頭でもまず目に入ったものに即決してしまう、連れからまだ他にもいいものがあるかもよと促され一周まわってももうその時点では上の空で、結局最初のものを買う類いの、店側からしたらダボハゼレベルの釣りやすい上客なのである。しかして流石にそれらとは異なるだろう、自らの居所の選択であるものの、


「あ、じゃあ取り敢えずこことここを見させてもらって、えーと、いいでしょうか」


 貧乏学生と見るやあからさまにやる気をそがれた感を出してきた店主らしき中年男の岩塩対応も意に介さず、出されたファイルをぱらぱらとめくると、目に付いた物件を軽くふたつ選んではもう内見に行く気を見せているのだった。


(おお、奥まったいい場所にあるじゃんかぁ……それにこの佇まい……『シブい』、そう言い表せられる……)


 外見でもう決めているまである早急に過ぎる思考回路の持ち主に、自分から押し付けようとしていた当の店主もやや引き気味になりながらも、その和泉多摩川駅徒歩九分、築二十五年木造二階建てを分割して貸家にしたところの、どう見ても渋さよりも古さが滲み出ている建屋の二階を初のひとり暮らしのねぐらとして決めてしまうのであった。


「……」


 その後の顛末については敢えて語るまでも語るほども無いのだが、階下の住人が重度のメタル狂であり、深夜早朝問わず無駄に質の良い重低音が二階の畳をけば立たせるほどに響き渡ってきてうなされたり、見た目には何の支障も無い塗り壁なのだが、目の錯覚を精妙に利用しているのかおそらくは壁一面を上から下まで斬り裂いているほどの見えない亀裂が存在しているらしく、冬場はその辺りからぞんぞんと隙間風と呼ぶのも憚られるような強烈な冷気が通過してきて部屋の中でも自らの呼気が白いのを知覚されたりと、まあまあの事故物件のような代物であったのだったが、それでも、


(……何か、一国一城の主になった気分、だな……)


 開け放った窓から暖かさを孕むようになってきた夜風を受けつつ、手を伸ばせば届きそうなほどの隣家の屋根越しに細く切り取られた夜空を見上げながら、徒歩九分の最寄りコンビニにて買い求めたコーラを流し込みつつ謎の感慨にふける鋼の精神術師メンタリストなのであった。


 その頭上に、確かに光るひとつの光点。



(終)

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