息苦しいって言ってんだよ!

「ねえナツ先輩? 昨日は、パパと一緒に来たんじゃなかったんですか?」


 鋭い視線が容赦なく俺を刺してくる。


 俺はゴクリを生唾を飲み込むと、ゆっくりと落ち着いた声音で。


「ごめん、紬ちゃん。でも悪気があったわけじゃないんだ。本当のこと言ったら紬ちゃんが怒ると思って、つい」


「いや意味わかんないんですけど。はいかいいえで答えてください。昨日はパパと一緒に来たんじゃないですか?」


「い、いいえ」


「じゃあお姉ちゃんと来たんですか?」


「はい……」


「逢引きしてたってことですね、お姉ちゃんと」


「違う。そんなんじゃない。ただ、遊びに来ただけだ。やましいことは何もない!」


 俺は二股をしているわけじゃない。

 俺の恋人は紬ちゃんだけだ。美鶴はただの幼馴染。


 嘘を吐いたのは、紬ちゃんと揉めたくなかったからだ。


「なら、どうしてウチに嘘を吐いたんですか?」


「だから正直に言ったら、紬ちゃんが怒ると思ったんだ。それで言えなかった」


「ウチが怒るようなことするのがそもそもおかしくないですか? ウチへの裏切りですよね」


「それは……」


 紬ちゃんは、「ウチ以外の異性と関わらないでください」と口を酸っぱく俺に言っていた。


 紬ちゃんが……カノジョが嫌がることをしたのは俺だ。

 でも、おかしいと思う。浮気は最低だし、咎められるべきだ。それならいくら非難されても仕方ない。


 けどさ、友達として異性と関わることも許されないのか? 


 恋愛をするってそういうことなのか……? 


「……俺は紬ちゃんのおもちゃじゃない」


「え? なんですか? おもちゃ?」


「なんで俺の交友関係を縛られなきゃいけないんだ。俺が一体、なにしたって言うんだよ」


「急になんですか。逆ギレですか? ウチはナツ先輩を縛ってなんか──」


「自覚ないならどうかしてるよ」


「は?」


 普段の俺よりもずっと低い声が通路に響く。

 紬ちゃんは俺の変容に戸惑っていた。


「紬ちゃんと付き合ってから俺はずっと息苦しい。異性からメッセージがきたら、常に紬ちゃんに報告しないといけないのは窮屈だし。紬ちゃんの機嫌ひとつで俺のトーク履歴全部確認されるのも嫌だ。電話に出るのが遅れたら浮気を疑われて潔白を証明しなきゃいけないのは疲れる。ずっと、ずっとずっと監視されてるみたいだ。俺にだってプライバシーはあるんだよ。俺は、紬ちゃんが自由にしていいおもちゃじゃない」


 やましいことがあるから隠したいんじゃない。

 俺は一人の時間がほしいし、外部から縛りつけられたくない。


「な、なんですか急に。好きな人が浮気してないか気になるのは当たり前です」


「だからそれが行き過ぎてるって言ってんの! どうして俺を信じてくれないんだよ! 今まで一回でも俺が浮気したのかよ!」


「それはナツ先輩が嘘つくからじゃないですか! 昨日だってお姉ちゃんと一緒にいたこと黙ってましたよね⁉︎」


「嘘……ああ、確かにそうだな。でも俺は、隠し事なんてしたくなかった。正直に話せるなら話したかったよ。けど、嘘を吐くしかない環境を作ったのは、他でも紬ちゃんだろ」


「責任転嫁も甚だしいです。ナツ先輩がお姉ちゃんと一緒にいなければよかっただけの話じゃないですか。論点をズラさない出ください!」


「だからそれが息苦しいって言ってんだよ!」


 俺は拳を力強く握る。ドンと反射的に壁を叩いていた。


 感情が昂っているのがよくわかる。でも、もう止められそうにない。


「な、ナツ先輩……?」


「俺が誰と関わろうが自由だろ。好きにさせてくれよ」


「……っ。だ、大体、ナツ先輩はおかしいですよ。お姉ちゃんにされたこと忘れました? 嫌いな相手と一緒にいるとか普通じゃないって言うか」


「今の美鶴のことは嫌いじゃない。それどころか、美鶴とどうでもいい話してる時だけが日頃のストレスから解放されるんだ」


 嫌いだったのは、恋愛経験のない俺を馬鹿にしていた美鶴だ。

 今の美鶴は心を入れ替えてくれている。物心つく前から一緒にいる美鶴は、他の誰よりも気を置かずに接することができる。


 紬ちゃんに縛られた生活を送っている俺にとって、美鶴と一緒にいる時が一番楽なのだ。


「なんですかそれ……意味わかんない。……意味わかんない!」


 紬ちゃんは下唇を強く噛み、獰猛な視線をぶつけてくる。


「結局、ナツ先輩はお姉ちゃんが好きなんですね」


「は?」


「惚けないでください。子供の頃からずっと見てましたから知ってますよ。気づいてないとでも思ってました? ウチはずっと蚊帳の外で……相手にされなくて……ようやくウチの番が回ってきたと思ったのに……」


「なに言い出すんだよ。そんなことは言ってないだろ」


 突然、被害妄想を始める紬ちゃん。

 今にも泣き出しそうになりながら、矢継ぎ早に続ける。


「ウチはちょっと生まれるのが遅かっただけじゃないですか。そんなにお姉ちゃんが良いですか。酷いことされたのに、ちょっと心を入れ替えたら簡単に許しちゃうんですか。不良が更生したら評価される理不尽と一緒じゃないですか。一途にナツ先輩を想ってたウチは報われないんですか。どうしてウチじゃなくてお姉ちゃんばっかり……お姉ちゃんばっかり……! ああもういいです! 今までありがとうございました! どうぞお姉ちゃんとお幸せに!」


 紬ちゃんは自分のバッグを俺に投げつけてくる。

 語気を強めて言い放つと、紬ちゃんは逃げるように走り去っていった。


 シン、と静まり返る通路。

 つい自分の感情に任せて本心をぶち撒けてしまったこと、そして紬ちゃんの涙を見て、思考がうまく働かなくなっていた。


 背後から肩を強く揺らされる。


「えっと……お、追いかけた方がいいんじゃないかな?」


 間近で俺たちを見ていた渋谷が促してくる。

 けれど俺の足は前には進まなかった。


「追いかけてどうするんだよ」


「それは……」


 謝るのか? 

 でもこれで俺が悪いと認めれば、縛りつけられた生活を容認することになる。


 何より俺は、自分が非があると思えていない。

 もちろん嘘を吐いたのは悪かったと思う。けど、そうせざるを得ない状況を作ったのは紬ちゃんだ。


 渋谷はしばらく言葉に詰まると、申し訳なさそうに頭を下げてきた。


「ごめん。こんなことになったの僕が余計なことを言ったせいだよね」


「キッカケはそうかもしれないが、いずれこうなる運命だった。勝手に責任を感じないでくれ」


 部外者が責任を感じるのは図々しいにも程がある。

 俺はポツリと呟くと歩を進めた。帰路に就くためだ。


 紬ちゃんを追いかける気力は今の俺にはなかった。

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