どうせお姉ちゃんでしょ

「あーもう、ムカつく!」


 美鶴は苛立ちの感情を露わにしていた。

 あのナンパ男は中々にしつこかったから、美鶴の怒りはもっともなのだけど……。


「なっくんに興味があるだとか……ホント意味わかんない! なっくんもそう思うよね? ね?」


「あ、ああ……取り敢えず、もう手は繋がなくていいんじゃないか?」


 バッティングセンターから100m以上離れているが、いまだに美鶴が俺の手を握りしめている。美鶴はうっすらと頬を紅潮させると、右手を引っ込めた。


「あ、ごめん」


「別に謝んなくていいけど」


「と、とにかくね。さっきのあの変な格好した女の子とは絶対関わっちゃダメだからね。なっくん騙されたりしないでよ」


「騙されるって?」


「好意向けられたからってひょいひょい付いてったりしないでねってこと!」


「その心配はいらない。俺、紬ちゃんと付き合ってるわけだし」


 あの子が本当に俺に惚れていようが、冷やかしだろうが、関わりを持つ気はない。大前提として、連絡の取りようがないけど。


「ふーん。ならいいけど」


「それよりも、美鶴がムカつくべきなのはナンパしてきた男の方じゃないの? 怒りの矛先おかしくないか」


「そ、それは……なんだっていいでしょ。私はあの女の方がムカついたの!」


「なる、ほど?」


 判然としないと言わんばかりに、俺は小首を傾げた。


「あーもうカラオケ行こカラオケ! 歌ってスッキリしたい!」


「今から?」


 このまま帰宅する心づもりだったが、美鶴にその気は感じられない。


「それ以外ないでしょ。あ、もう帰りたいとか? まぁ、なっくんがそうしたいなら、帰ってもいいけど……」


「いや付き合うよ。帰ってもすることないし」


「やった。じゃ早く行こ?」


 美鶴はニコッと口角を上げて、俺の制服の袖をクイクイと引っ張ってくる。


「他にも誰か呼ぶか?」


「え……あーいや、二人でいいんじゃない? 集まるかわかんないし」


「了解。でもまぁ一応軽く声掛けくらいは」


「しなくていいって! ほら、何時間いるかもわかんないしさ。ね?」


 俺のスマホの上に、美鶴は手を被せてくる。

 まぁ時間も時間だし、下手に誰か呼ぶのは微妙か。


 ──と、不意に俺はあることを思い出した。


「あ」


「ん、どうしたの?」


 ピタリとその場で硬直する俺。美鶴は怪訝に俺の様子を伺う。


「俺、紬ちゃんと位置情報共有してるの忘れてた……」


 迂闊だった。

 完全に頭から抜けていた。


 俺は紬ちゃんと位置情報を共有している。

 紬ちゃんはいつだってスマホで、俺の居場所を特定できるのだ。


「えっと、それやばくない? だって」


「うん。俺が一人でバッティングセンターに行くことはない。やばいかも……」


 美鶴と一緒に行ったと真実を語るのは地雷だ。

 紬ちゃんがヒステリーを起こすのは目に見えている。紬ちゃんは、俺が異性と関わるのを嫌う。なにより、美鶴と俺が関わるのを嫌悪している。


 男友達と一緒に行ったと嘘を吐くの簡単だが、上手くいくとは思えない。


「取り敢えず帰る……?」


「ああ。でも、もう手遅れだと思う……」


 紬ちゃんから一件もメッセージが来ていないのが、その証明だ。

 普段の紬ちゃんなら部活中であろうと何通もメッセージを送ってくる。何も送ってこない時は、執拗な取り調べが始まると考えていい。


 美鶴は顎先に手をやると、閃いたと言わんばかりに人差し指を立てた。


「あ、じゃあこういう言い訳したらどうかな? これなら筋は通ると思うんだけど……。ほら、嘘を吐く時は真実を混ぜろって言うでしょ?」


 そう口火を切ると、俺には思いつかなかった提案をしてくるのだった。



 ★



 あの後、美鶴とは別々に帰途に就いた。

 重たい足取りで自宅の前に到着する。


 表札の下で体育座りをしている紬ちゃんと目が合った。


「おかえりなさい、ナツ先輩」


「ただいま。こんなところでなにしてるの?」


 紬ちゃんはすっくと立ち上がると、俺との距離をグッと詰めてくる。

 小首を傾げて、胡乱な眼差しを向けてきた。


「今日はいつもより帰るのが遅いみたいですけど、なにしてたんですか? 部活してたウチのが先に着いちゃいましたよ?」


「え? ああ、バッティングセンターに寄ってたんだ」


「へえ隠さないんですね。まぁ隠しても無駄ですもんね。運動嫌いのナツ先輩がああいう場所に行くとは考えにくいんですけど、どういった心境の変化ですか? それともあれですか? お姉ちゃんみたいに強引な性格の人に無理やり連れてかれました?」


「もしかして疑われてる?」


 ムッと唇を前に尖らせる紬ちゃん。


「当たり前です! ウチ、何度も言ってますよね。ウチ以外の女と関わらないでって! どうしてすぐにウチとの約束を破るんですか⁉︎」


「思い込みで話進めないでよ。誤解だ」


「ウチはわかるもん。……どうせお姉ちゃんでしょ。ウチに隠れてコソコソ会ってるでしょ! ウチの気持ち弄んで楽しいですか⁉︎」


「ち、違う。弄んでなんかない。落ち着いて。な?」


 俺は紬ちゃんの両肩を掴む。

 紬ちゃんは今にも泣き出しそうなくらい涙を溜め込んでいる。


「帰ってる途中におじさんに会ったんだ。それで半ば強引にバッティングセンターに連れてかれた」


「もっとマシな嘘つけないんですか」


「本当だよ。信じられないなら直接おじさんに聞いてもらっていい」


「ウチ、本当にパパに聞きますよ。いいんですか?」


 ポケットからスマホを取り出す紬ちゃん。俺はコクリと首を縦に下ろした。


 偶然にも今日、バッティングセンターでおじさんに会った。

 美鶴はそれを利用して「お父さんと一緒に行ったことにすればいい」と提案してきた。


 美鶴とおじさんの間で連絡は取り、協力をお願いしてあるため齟齬は生まれない。

 もちろんおじさんは納得はしていなかったが、「口を利かない」と美鶴に脅されると「今回限りだからな」と従ってくれた。


「あ、もしもしパパ? 今日なんだけど、ナツ先輩と──え、うん。そうなんだ。──それが聞きたかっただけ。──は? パパと話すことなんてないから、じゃあね」


 スマホをポケットにしまう紬ちゃん。


「本当だっただろ?」


「はい……」


 信じられないと言った様子だが、納得はしてもらえたようだ。


「ごめんなさい。ウチ、変な疑いかけてしまって」


「大丈夫。泣かないで」


 紬ちゃんの頭をそっと撫でる。

 紬ちゃんは俺の背中に手を回す。ベッタリと密着してきた。


「ウチ、ナツ先輩が好きなんです」


「ん。ありがと」


「だからついつい嫌な想像を膨らませちゃいます。本当にごめんなさい。ウチのこと嫌いならないでください。捨てられたくないです」


「捨てたりしない。紬ちゃんのこと嫌いになったりしないから。な?」


 サラサラな紬ちゃんの髪を撫でる。俺の胸に顔を埋める紬ちゃん。


 ふと、美鶴が十字路から姿を現した。

 パチリと一瞬、俺と美鶴の視線が交錯する。


 美鶴はすぐに俺から視線を外すと、急足で家の中に入っていった。


「ナツ先輩……?」


「いや、ちょうど美鶴がいたから」


「むっ。だからウチはすぐに心配になるんです。お姉ちゃんのことを見つけないでください。というか一切お姉ちゃんを見ないでください!」


「無茶苦茶言うな……」


 紬ちゃんは頬に空気を溜めて、不満げに俺を睨む。


 一時期は改善傾向にあったが、どうにも美鶴と紬ちゃんの仲はよろしくない。

 原因はよくわからないが解決して欲しいところだ。そうすれば、美鶴と一緒にいたことをわざわざ隠す必要もなくなるし。


「てかそろそろ離れた方が……」


「ダメです。ウチが飽きるまでこのままです」


「あとどのくらい?」


「一生?」


 あっけらかんと言ってくる紬ちゃん。冗談に聞こえねえ……。


 結局、小一時間ほど紬ちゃんは俺から離れてはくれなかった。

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