バッティングセンター
「バッティングセンター?」
美鶴に連れてこられたのは、最近オープンしたバッティングセンターだった。
「うん。この前、初めて行ったんだけどね、結構スカッとするよ」
「へえ。あ、ごめん。急用を思い出したからちょっと帰るわ俺」
「はいはい、逃げない。運動嫌いのなっくんでも大丈夫だから」
「……金払ってまで身体動かすとか信じられないんだけど」
ジトッと半開きの目で美鶴を睨む。
俺は運動全般が苦手だ。スポーツを避けるようにして生きてきた。
野球をしたことはないし、お金を払ってまで球を打ちたいとは思わない。
「何事も経験だってば。なっくんの意外な才能が開花するかもでしょ」
「俺の運動センスのなさは知ってるだろ。そもそも未経験者が来ていい場所なの?」
「カップルとかも普通にいるし大丈夫。ほら、立ち止まってないで行くよ」
背後から美鶴に押されながら扉の中へと入っていく。逃げ道はないらしい……。
店内は緑の人工芝が広がり、バッターボックスがズラリと並んでいた。都会の喧騒から一歩離れた空間。客層は様々で、ライト層でも問題はなさそうだ。
「うわ……。やっぱ帰っていいか」
「だーめ。ちゃんと最後まで付き合ってもらうからね」
「マジですか……」
「さてと、まずは空いてる場所探して……え……」
美鶴はグルリと周囲を見渡す。
突然、ピタリと動きを止めてまぶたを瞬かせた。
「どうかした?」
「お父さん、なにしてんのこんなとこで……」
唖然とつぶやく美鶴。
視線の先には、美鶴の父親の姿があった。
投球機から放たれる球を次から次へとかっ飛ばしている。
美鶴は一目散におじさんの元に駆け寄る。俺もその後を追った。
「ちょっとお父さん! こんなとこでなにしてんの?」
「み、美鶴⁉︎ どうしてここに……!」
当惑するおじさん。
バットを振る余裕は消え、球を見逃していた。
「それこっちのセリフなんだけど!」
「父さんは息抜きをしているだけだ」
「息抜き? まさか仕事辞めたんじゃ……」
「違う! ちゃんと仕事はしている。今月のノルマだってすでに達成済みだ。営業職は多少の自由が利くんだ。そういう美鶴こそどうしてここにいるんだ? ……夏樹も一緒みたいだが」
おじさんの表情に曇りが差し込む。鋭利な視線が俺を刺してきた。相変わらず俺のことは嫌いみたいですね……。
「私はただなっくんと遊びに来ただけ」
「遊びに、ねぇ」
「なによ、おかしい?」
「いやおかしくはないが」
おじさんはバッターボックスを出ると、俺の腕をグイッと掴んできた。
「うおっと、急になんですか」
「いいからちょっとこっち来い」
美鶴に聞こえない位置まで移動させられる。
おじさんはヒソヒソと小声で問い詰めてきた。
「夏樹。お前まさか紬だけじゃ飽き足らず美鶴まで毒牙にかけちゃいないだろうな?」
「人聞きの悪いこと言わないでください。俺が美鶴とどうこうなるとかありえないですから」
「本当だな? 信じていいんだなっ⁉︎」
「はい。今日は美鶴に誘われて遊びにきただけです。ご心配はいりません」
「み、美鶴に誘われてるのか……。くっ」
悔しそうに拳を握るおじさん。
娘のことになると、この人はすぐ平常心を乱すな……。
「ねえ、二人でコソコソ何話してるの?」
「あ、いやなんでもない。ちょっと男同士の雑談をしていただけだ」
「なにそれ」
おじさんは腕時計を一瞥すると、革製のバッグを持ち上げた。
「そろそろ仕事に戻る。……帰りは遅くならないようにな」
「あ、お父さん。待って」
「どうした? 父さんとまだ一緒にいたいか?」
「は? 気持ち悪いこと言わないで。そうじゃなくて、なんていうか、紬には私となっくんがバッティングセンターにきてたこと言わないでね」
おじさんは眉根を寄せ、小首をかしげる。
「隠す必要あるのか?」
「なんだっていいでしょ。とにかく言わないで。それだけ。いい? もし言ったら、お父さんと一生口利かないから!」
「一生⁉︎ わ、わかった。内緒にする。やはり美鶴は夏樹のことが──」
「はあっ⁉︎ ちょっとお父さん、何言おうとしてんの⁉︎ 早く仕事戻って! ほらっ!」
美鶴に背中を押されるおじさん。
納得の言っていない顔だったが、おじさんは素直にバッティングセンターを後にしていった。
美鶴は肩をすくめて、はぁと疲れたように息を吐く。
「俺のためにわざわざ悪いな」
「ううん。紬に知られて面倒なのは私も一緒だし」
ただ遊びに行っただけ。
それが真実か否かなど、紬ちゃんには関係ない。
もし、今日のことがバレたら面倒な展開になるのは目に見えている。
「さてと、予定外のことあったけど始めますか」
「ん」
美鶴はパンと両手を合わせて、気持ちを切り替える。
さっきまでおじさんが使っていたバッターボックスをそのまま利用することにした。
システムは至ってシンプルだ。
機械に200円を入れると10球発射される。特に受付も必要ない。
バットやヘルメットは無料でレンタルできるため、必要なのは小銭だけ。
「まずは私がやるからなっくんはそこで見てて」
先陣切って美鶴がバッターボックスに入る。
100kmの球を軽快にかっ飛ばしていく。野球はほとんど触れてないはずだけど、美鶴にとっては造作もないようだ。
「ふぅ、こんな感じかな。どうだった?」
10球打ち終えた美鶴が戻ってくる。
俺は視線をそっと逸らしながら、落ち着いた声音で。
「スカートの丈は気にした方がいいと思う」
「は? ちょ、嘘っ! 見たの⁉︎」
ガバッと勢いよくスカートを抑え、頬を紅潮させる美鶴。
「不可抗力だあれは。見てろって言ったのは美鶴だろ」
「……っ! 変態、バカ、むっつり! 見えたならすぐ言いなさいよね⁉︎」
美鶴は俺の胸ぐらを掴んで、涙目になりながら文句を言ってくる。
「気分良さそうにバンバン球打ってたから言いにくてさ。近くに他の客はいなかったから俺以外には見られてないと思う」
「そういう問題じゃないから! てか、それこそ問題っていうか……!」
美鶴が恨めしそうに俺を睨む。
茹でたタコみたいな真っ赤な顔で、美鶴はそれとなくスカートの長さを調整する。
「で、でも残念でしたー。なっくんが見たのはスパッツだからね。最悪見られても問題ないやつだし」
「わかってるよ。それでも気にはした方がいいと思うぞ。見られていいってのと、見せていいのは違うだろうし」
「……なんかその澄ました顔ムカつく。ちょっとくらい鼻の下伸ばしたら?」
「その怒りはおかしくないか。変に意識される方が嫌でしょ」
「私は何とも思われない方がヤだ。ちょっとでいいから意識してよ」
俺の制服の袖をちんまりと掴み、美鶴が上目遣いをぶつけてくる。
俺はパチパチとまぶたを開け閉めした。
「なんてね。ごめん、ウザいね私。忘れて」
「いや、えっと……」
「トイレ行ってくる」
「あ、ああ」
俺は美鶴の後ろ姿を目で追いながら、ポリポリと首筋を掻く。
何であんな表情するんだよ。美鶴の考えていることがよくわからない。
俺はモヤついた心を晴らすように、バッターボックスへと入るのだった。。
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