今すぐ別れて

「だったら今すぐ紬と別れて。そしたらさっきのこと水に流してあげる」


 一瞬の静寂を挟み、俺は眉根を寄せる。


「俺と紬ちゃんが別れて、美鶴に何の得があるんだ?」


「それは……なんだっていいでしょ。つべこべ言わずに紬と別れてよ」


「別れて欲しい理由も言えないのか?」


「言ったって変な空気になるだけだし……」


「は?」


「大体なっくんはさ、私への反抗意識で紬と付き合っただけでしょ? 違う?」


 美鶴は問い詰めるように訊いてくる。


 反抗意識とは少し異なるけれど、美鶴が原因で紬ちゃんと付き合っているフリはしているのは事実だ。


「仮にそうだとしたら?」


「私、もうなっくんのこと馬鹿にしたりしない。約束する。そしたら、なっくんが紬と付き合う理由無くなるでしょ」


「…………」


「好きでもないのに付き合うなんて間違ってるもん。だから紬と別れて」


 いつになく真面目な口ぶりで、美鶴はお願いしてくる。


 確かに、俺は紬ちゃんのことを異性としては見ていない。

 恋人のフリという歪んだ関係は続けないに越したことはない。


「美鶴が心を改めるって確証はどこにあるの?」


「それはこれからの私を見てもらうしかないっていうか……」


「信用ならないな」


「じゃ、じゃあ私がなっくんに嫌なこと言ったらその度に千円……ううん、一万円あげる! 悪くない提案でしょ⁉︎」


 破茶滅茶な提案をしてくる美鶴。


 俺は頬をななめに引き攣らせ、こめかみを指先で掻いた。


「だいぶヤバいこと言ってるの自覚ある?」


「自覚はあるわよ。でも、このくらいの条件を課さないと信じてくれないでしょ……?」


 不安そうな目でチラリと俺を一瞥してくる。


「と、とにかくさ紬と別れて。私の一つ言うこと聞いてくれるんだよね?」


 美鶴は心を入れ替えるつもりらしい。幼馴染だからわかるのだけど、約束を破ったらお金を払うとまで言い出す時は腹を決めている時の美鶴だ。


 とはいえ、今この場で結論を出すのは少し性急だ。キチンと紬ちゃんの了承を得る必要がある。


「一回、紬ちゃんと話させて」


「それはダメ! 今、ここで別れるってメッセージ送って!」


「そんな急ぐ必要ないだろ」


「紬は小賢しいでしょ。なっくんが言いくるめられるのが想像つく」


「言いくるめられたりしない。逆に、ちゃんと話もしない方が面倒なことになるだろ」


「それは、そうかもだけど」


「そもそも俺と紬ちゃんはなんていうか……お試し期間みたいなもんだ。ちゃんと話せば納得してもらえる」


「お試し期間……へえ、そうだったんだっ! そっか。そっかそっか」


 美鶴は、なぜか嬉しそうに頬を綻ばせる。


「じゃあ別れたらすぐ私に報告してよね。いい?」


「へいへい」


 にしても、ここまで頑なに別れさせたがっているのは少し異常だな。美鶴の考えていることがよくわからない。


「そういや俺を部屋に呼び出した理由ってなんだったんだ?」


「あーえっと、なんだっけ。忘れちゃった」


「んだそりゃ……。まあいいや、じゃあ俺は帰るぞ」


「あ」


「思い出したのか?」


「いや、そうじゃないんだけど……えっと、なっくんが私と何かしたいなら部屋に居てくれてもいいけど? ス○ブラでもする?」


 チラチラと俺に視線を送ってくる美鶴。


 俺はすっくと立ち上がった。


「用がないなら帰る。じゃあな」


「そ、そっか。バイバイ」


 美鶴に馬鹿にされてきたことは、そう簡単に折り合いはつけられない。


 本当に彼女が改心してくれるのであれば話は別だけれど、今すぐには土台無理な話だ。



 ★



 夕暮れ時。

 弓道部の活動を終えた紬ちゃんは、俺の家にやってきていた。


「いやいやいやいやいや絶対に罠ですからねそれ!」


 昼頃にあった美鶴との一件をありのまま伝えると、紬ちゃんは大きく首を横に振ってきた。


「罠っていうか……元はといえば俺が美鶴の着替えを目撃したのが原因なわけで」


「それが罠だって言ってるんです! 自分から呼び出しておいて、ナツ先輩の声かけに応じない。それでいざ部屋に入ったら着替え途中でしたって滅茶苦茶ですから! お姉ちゃんは、ナツ先輩の責任取り癖を利用してるんです!」


「責任取り癖ってなんだよ……」


 経緯はどうあれ、見てしまったものは見てしまったのだ。

 加害者と被害者で棲み分けするなら、俺が加害者に該当する。


 それに元より俺と紬ちゃんは本気で付き合っているわけじゃない。

 美鶴が改心するのであれば、恋人のフリを続ける必要はなくなる。


「大体、ナツ先輩はお姉ちゃんを信用できるんですか。ウチと別れたってなった瞬間、またお姉ちゃんが酷いこと言ってくるかもですよ」


「もしそうなったら、その時は美鶴のことを完全に拒絶するよ。これまで、心のどこかで幼馴染だから縁を切っちゃいけないって思ってたんだ。でもまた同じことが起きるなら接し方を改める」


 初めからそうすればよかったのだ。

 美鶴に対しての甘さがいけなかったと思う。


 昼間のことだって、美鶴からのメッセージが届かないよう初めからブロックしていれば何も起きていなかった。


 紬ちゃんは顔を俯かせる。俺の服の袖をちんまりと掴んできた。


「……ウチ、ナツ先輩と別れるの嫌です」


「え? どうして?」


「嫌なものは嫌です。まだデートだってしてないですし」


「いや俺と紬ちゃんって付き合ってるわけじゃないよね?」


 あくまで恋人のフリのはずだ。


「ナツ先輩と普通にイチャイチャしたいって思っちゃダメですか?」


「ダメっていうか、急にどうしたの?」


「急、なんかじゃない。ウチはずっとナツ先輩のことが……」


「え?」


「……っ! も、もう知りません! ナツ先輩のバーカ!」


「あ、おい、紬ちゃん!」


 足早に我が家を後にしていく紬ちゃん。

 赤らんだ頬と涙で潤んだ瞳に、俺の心臓をキュッと締め付けられる。


 俺はしばらくその場で呆気に取られていた。

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