青鳥の止まり木

鳥路

本編

「愁一、突然の相談なんだけど、家を建てない?」

「いいぞ。俺も今日相談しようと資料を用意していた」


じゃーん、と注文住宅のパンフレットを見せつけてくる椎名愁一しいなしゅういちは、座っていたソファに私を手招いて、隣に腰掛けるよう促してくる


「…準備がよすぎない?」

「前々から考えていたからな。相談する時期は、見計らっていたが」

「私の仕事、終わるまで待っていたの?」

「ああ。一週間前の海外公演が終わるまでは話さないようにしていた。久遠には演奏だけに集中して欲しかったから」

「ありがと」

「お礼を言われることはしていない。それより、久遠は仕事」

「この前の公演を最後に、引退を表明しているから、その辺の心配は不要だよ」


私、椎名久遠しいなくおんは大学卒業後からヴァイオリン奏者として、世界中を飛び回り公演を行い続けていた

その間、人生の転機というのはいくつか存在した


結婚…は高校時代だから関係ないとして

この家に引っ越して、二人だけの生活をしてみたり

愁一と約束した夢を…

彼が「外敵から人々を守る」夢を

私が「内側から人の心を守る」夢を、叶えてみたり

振り返れば、色々な事があったと思う

けれど一番は…


「これから、私は譲の側に「お母さん」として寄り添いたいから」

「そうだな。あーあ、俺も仕事が忙しくなかったら「お父さん」に集中できたのに」

「この特殊な島を守る要だもの。仕方ないわ」


ここにはいないけれど、私たちの間には息子が一人いる

体が弱くて、産まれたときからずっと入院していて

一度も、この家に帰ってこられていない


「とりあえず仕事のことは置いておいて、家の話!家を建てるなら譲ファーストで行こうと思うの。あの子が過ごしやすいように、もう寂しい思いをさせないようにしたいわ。今まで仕事を言い訳に、お見舞いに行く回数が少なくて、一緒にいれる時間が少なかったでしょう?今度からはずっと、一緒にいられるようにしたいわ」

「だな。土地はいいところを父さんに頼んで譲って貰った。今度下見に行こう」

「うん。ちなみに、どんなところ?」

「高台にあって、静かな場所。そこなら譲もゆっくりできると思ってな」

「いいね!」

「それに、退院した後も体調を崩すことって結構あると思う。土地は病院から徒歩圏内だ。いつでも安心だぞ」

「よく見つけてきたわね。そんな土地」

「父さんが、椎名の保有している土地の中で、譲が過ごすのに良さそうなところをリストアップしてくれていたんだ。ああ見えて孫大好きだからさ、父さん」


そんな会話をしたのが、家を建てる二年前のこと

それから家を注文して、愁一が用意してくれた土地に家族三人で過ごす家を建てた

それからも、家具をどうするかとひたすら吟味して・・・

全てを買い揃えて、私たちも新居での生活が慣れた頃

譲の退院が、やっとこの家にやってくる日が決まった


やっとあの子と一緒に過ごせる

やっとあの子がのびのびと、この家で過ごせる日がやってくる

沢山思い出を作ろう。一緒に、幸せな毎日を過ごそう

そう、願っていた


あの日、彼らが訪れるあの瞬間までは


・・


父さんと母さんが殺されたあの日から二十年

一人だけ生き残り、この魔法使いと能力者が当たり前に暮らし、問題を日夜引き起こしている鈴海すずうみで、戦いながらも毎日を生き延び…

なんだかんだで二十七歳になった僕…椎名譲しいなゆずるは、保護者代わりである戸村夏乃とむらなつのから呼び出しを受けた


「もうすぐ、愁一と久遠が建てた家を取り壊す予定よ」

「どうして今更…?もう壊したものかと」

「あの家の全てを見るべきだと私が判断したから保存していたの。しかし、誰も住んでいない家は管理が大変でね。修繕に何度か業者をいれたんだけど・・・」

「家の劣化ってそんなに早いの?」

「いや、家自体は問題がないの。勇気があれば住めるわ」

「両親が建てた家とはいえ、事故物件に住むのはちょっと…精神的に嫌だ」

「でしょう?それに、あの家は事件現場として有名すぎて、最近は肝試しで不法侵入とか多くなっているの」

「…」

「譲が手に入れないといけないものが第三者に奪われたり、いたずらされたりする可能性とか、二人が大事にしていたものが傷つけられる可能性が出てきた」


夏乃さんは僕に鍵を一つ手渡した


「それがあの家の鍵。できる限り早く都合をつけて、あの家を見て、貴方が得るものを得て欲しい。今の貴方なら、最後まで辿り着けるわ」


最後…それは両親が殺されたあの部屋の事だろうか

想像しただけでも足が竦むが、それを含めて見てこいということだろう

取り壊すから最後とはいえ、夏乃さんも酷なことを僕に任せてくるものだ


「わかった。でもどうして?あの家に、何があるの?」

「愁一と久遠の願いがある。それをきちんと受け取れるのは、忘れ形見の貴方だけよ」

「…?」

「これがあの家の間取り図。地下はないわ。安心して」

「う、うん」

「それから、このノートは家に入った後に開くこと」


鍵と間取りに加え、ノートを二冊手渡される

「椎名家建築計画書」「譲お帰り記念計画書」

おそらく母さんが書いたノートには、何が書かれているのだろうか

それは実際に、あの家に行ってからのお楽しみだ


しかし一人で行くのは流石に怖いな

…誰かに、付いてきて貰おうかな


・・


夏乃さんから鍵を託されてから数日後

僕は椎名の実家前にやってきていた

もちろん、同行者も一緒に


本当は幽霊とか浄化できる能力がある親友あかばに付いてきて欲しかったけれど、仕事の都合で同行することは叶わなかった

その代わり、一緒に来て貰うことに対して一番気まずいと思っていた存在の都合だけ見事についてしまった

事情を話した上で快諾してもらい、今日この場にやってきて貰った赤城時雨あかぎしぐれはノートを一読して、何度も息を吸い込む

僕は家に入った後に読めと言われたけれど、同行者はその限りではない


「時雨ちゃん。それには何が」

「このノートには、タイトル通り家のことが書かれています。久遠さんが作成した家の案内書みたいなものです。今回はこのノートを元に、お家の内見をするような感じで私が案内をします。譲君は気になったところを見ていってくださいね!」

「わかった。それから、そのノートには何が」

「後は、家を見ながらです。最後までお渡ししませんし、見せませんので悪しからず」

「はい…」


彼女に促され、僕はドアの鍵を合鍵で解錠する

その先には、誰もいないのに綺麗に保たれている玄関が広がっていた


「とりあえず、玄関からですね」

「早速!?」

「ええ。まずは扉」


時雨ちゃんはノートを開いて、そこに書かれていることをどこか柔らかく、語りかけることを意識しているような声音で述べてくれた


「見ての通り普通の鍵で開きます。うっかり閉め忘れがあっても大丈夫なように、オートロックを採用。最新の顔認証システムを採用してみました。毎年「認証登録用」という名の家族写真を撮る口実にもちょうどいいかも」

「…口実って、それまで書かれているの?」

「ばっちりと。それから玄関ですね。段差がないのが意外でしょう?でもこのまま靴を履いたまま家に入ってはいけません!我が家は土足厳禁!ここで靴を脱いで貰います」


玄関と廊下の間に段差は一切ない

なんでこんな掃除が面倒そうな玄関にしたのだろうか


「この家の玄関に段差がないのは、車椅子でも楽に入れるように。譲は退院できたけど、具合が悪くなるときがあると思うの。足に力が入らなくなった時は車椅子で移動していたでしょう?そういう時も、家に入りやすいようにしたんだ…と。譲君は以前、車椅子を使われていたんですか?」

「うん。入院していた時にね。話したりすることはできるんだけど、どうしても全身に力が入らなくなったりとかあったから。その時に」


様々なことを想定した結果、段差がない玄関を採用したのだろう

ここに帰ってこられるかすらも怪しい僕の為に


「譲君、どうしましょうか。玄関で靴を脱いでもいいとは思いますが…」

「掃除や修復で何度か業者が出入りはしているようだけど、期間がだいぶ経過しているし、危険があるかもしれない。ここは土足で入ろう」

「わかりました」


土足厳禁と言われた後に、こうして土足で廊下に足を踏み入れるのはなんとなく申し訳なさを覚えた

それから僕らは廊下を進んでいく

床は普通のフローリングのはずなのだが、なんとなく靴越しでも柔らかさを感じる

これは、一体?


「ちなみに我が家の床はクッションフロアを採用。転んでも痛くないよ。廊下の壁には、手すりも付けました。歩く練習、お母さんと頑張ろうね…と」

「至れり尽くせりだね…」

「そうですね。まだまだ入口ですが、細部まで当時の譲君を気遣う設計だと、私も思いました。部屋に入ったらどうなるんでしょうか?」


楽しそうに笑う時雨ちゃんの横で、僕はとんでもない顔をしていたような気がする

何一つわからない顔

実際、今の僕にもわからないのだ

ここは両親の家。仕事で忙しい両親が快適に仕事に取り組めるよう最適な環境を建てたと思っていたのだが


「どうしてここまで僕の事ばかり…父さんと母さんは仕事第一だったはずなのに」

「…簡単な事なのに、わからない?」

「簡単な事?」

「ええ。とても簡単な事ですよ。貴方なら必ず答えに辿り着けます」

「さあ、続きをしましょう」と、時雨ちゃんは僕の手を引いて廊下を歩く


思えばまだ、あの部屋に遭遇していないな

でも一階にあるはずだ。いつか辿り着くだろう


「次は洗面所ですね」

「そういうところも見るんだ」

「ええ。洗濯機は最新のAI搭載の…ノート内では「お喋りするドラム式」ですね。話しかけるだけで洗濯も乾燥もしてくれるんだよ。我が家の心強い味方だね!」

「当時からしても、本当に最新だね…こんな変な買い物をして」

「販売当時、高性能で話題になった逸品ですよ。機能性は当時の譲君からしたらどうでもいいものだと思いますが、おそらくお二人は楽しませたかったんですよ。子供ってお喋り家電とか好きそうじゃないですか?」

「…そうかな?」

「少なくとも、私は好きでしたよ」


こういう家電って、どこの家庭にも置いてあるんだなぁ

僕には無縁なものだから知らなかったや


「譲君は今、どんな洗濯機を?」

「魔法」

「持っていないんですね…」


体質かな。家電に触れたら壊すから…家電は一切所持していない

そのため家電という存在には縁がなく、こうして間近で見たのも初めてなレベルだ


「あ、洗面台にも記述があります」

「えぇ。何の変哲もないこれにも?」

「少し待っていてくださいね…ええっと、この棚ですね」


洗面台下の収納棚を開けて、時雨ちゃんはあるものを取り出してくれる

それを広げて、洗面台に置いてからそれを僕に見せてくれた


「踏み台です」

「踏み台かぁ。でもそれ、普通の踏み台じゃないよね」

「ええ。これは最適な高さに自動調整してくれる魔道具だ。踏み台がいらなくなるまで愛用して欲しいし、いらなくなっても大事にして欲しいな。大事にしないと制作者であるご先祖様が怒るだろうし。後、この件はお爺ちゃんに自慢したら駄目だぞ…とのことです」

「「・・・」」


僕と時雨ちゃんは踏み台を持ち上げながら、互いに微笑んで動揺を隠す

しかしそれは無駄だとすぐに理解した


「「急にとんでもないものお出しされた!」」

「なんで魔道具なんて転がっているんですか!?」

「と、とりあえずこれだけは回収するね。誰かに取られたら大変だから!」

「そ、そうですね!」


ご先祖ことシルヴィアの魔道具遺産は見つけ次第、椎名本家の蔵に保管する決まりがある

持ち出し厳禁で管理されたそれがこんなところにあると言うことは、父さんは椎名本家の蔵からパクってきたということだ

何てことをしているんだ…父さん


「と、とりあえず洗面台はここまでにしておいて、最後はお風呂場も見ましょうか」

「うん」


閉まっていたドアを押し、その先にある風呂場を覗く

どこにでもありそうな風呂場だが

バスタブは両腕と両足を広げても十分くつろげる広さだ。流石に広すぎやしないだろうか


「時雨ちゃん。これって一般家庭の普通かい?」

「いえ、広すぎですね」

「だよね」

「ええっと…家族三人で一緒に入りたいから広いの発注しちゃった!でも思ったより広すぎて正直誰かと入らないと広すぎて虚しい。しんどい。とのことです」

「母さんも父さんも何をしているんだ…」


こんな小さなエリアだけで、父さんと母さんのやらかしを二連続で伝えられる羽目になるとは思っていなかった

二人とも何を考えたらこんなアホな真似ができるんだ…?


「それに三人で入るだなんてそんな非効率的なことを…」

「スキンシップですよ。よく言うではないですか。裸の付き合いというものです」

「へぇ…」

「誰かとお風呂、入ったことないのですか?」

「ないね。だから今日一緒に入ってくれるかい?やってみたい」

「わ、わかりました…!で、ではここはこれで終わりにして、次に行きましょう」

「そうだね」


風呂場の戸を閉め、洗面所から再び廊下へ

またしばらく廊下を歩いて、今度はリビングにやってきた

けれどそこは今までのように何かが置いてあったり、使った形跡があったりとか何もなく

ただ、何もない空間だけが広がっていた

それもそうだろう。リビングは最初の襲撃現場

置いていた家具が血に染まり、撤去せざるを得なかった


「この場は簡素になっていますが、ソファベッドが置いてあったようです。家族皆でくつろげる為に」

「…そうかい」


ふと、隣に目を向けると…時雨ちゃんの表情は血の気が失せて真っ白になっていた

理由は、わかっている


「君が気に病むことはない」

「けれど」


犯行に及んだ春風柊はるかぜひいらぎ赤城白露あかぎしらつゆは双方共に死んだ今も憎い

しかし時雨ちゃんを「白露の娘」だからと憎しみを覚えることも、償いをしろなんて言うのは筋違いだ


「それに、僕は両親を失った後…生きる希望も何もかも失っていた時、君に出会ったことで救われたんだ。君が家族の罪に苛まれる必要なんてない。君はそんなことよりも、空っぽで死にたくなっていた男に生きる道を示し、今日まで生かしている事実を誇るべきだ」

「私に出会ったことで、貴方が復讐の道を歩いたとしても?」

「空っぽで生きるよりは、充実した日々だったさ」

「…」


だから彼女をここに連れてきたくはなかった

彼女は何も悪くない。それなのに、父親がやらかしたことをずっと引きずって罪の意識に苛まれている


「時雨ちゃん」

「はい」

「もう帰ろっか」

「だ、駄目です!最後まで見ていないのですから!」

「君がきつそうなのに?」

「それは…私の事なんてどうでも。それに私がついてきたいと、ついて行かせて欲しいとお願いしたことですから」

「僕にとって、君は何よりも大事な存在なんだよ。君が辛いと思うものは取り除きたいと思うし、苦しむことはさせたくない」

「ありがとうございます。けれど、それでもです。私は平気です。だから、最後まで行きましょう」


彼女の意志はブレることなく。まっすぐに、目的だけを見定めてくれている


「…わかった。でも、無理はしないでね」

「はい」


キッチンの説明は簡略に。母さんは料理をしないはずなのに、どうしてしっかりしたキッチンという疑問に対する答えは書いていなかった

ノートには「まずは料理の練習をして、上手く作れるようになる!」までしか記述がなかった

リビングから見える庭もこれまた広かったのだが、その理由はわかった


「ピニャ君たちの遊び場まであったんですね。他にもお庭でバーベキューをしてみたいとか、ガーデニングをしたいとか、色々書かれています」

「広い理由はわかるけれど、何もかもなんか広すぎて疲れてきた…」

「譲君、耐えてください。後三部屋ですから」

「頑張る」


両親ともに「お金持ちの子供」だったからだろうか。なんというか、広さが規格外な気がする

もう少しなんというか、狭くていいんじゃないかな

リビングを出て、玄関先にあった階段の方へ

その前にもう一部屋。一階に残された部屋に立ち寄ることになった


「次の部屋は、防音室ですね」

「出た」

「あ。あることわかっていたんですか?」

「僕も母さんとほとんど接していないとはいえ、職業ぐらい知っているよ。ヴァイオリン奏者だってね。だからここも仕事の、練習で作っただろうからあるって思って」

「譲さんが五歳の春。久遠さんは引退を表明したのはご存じですか?」

「…え」

「知らなかったんですね。とりあえず入りましょう」

「う、うん」


分厚い扉を開くと、そこには一人で使うには広すぎる空間が広がっていた

沢山の楽譜。CDラジカセ

それから、譜面立ては何故か二つ。普段使いと予備だろうか


「防音室は、本当は作ろうか迷ったの。お母さん、お仕事やめちゃったから。でもいつか、譲が音楽に興味出たら、趣味でヴァイオリンやれるかなぁ、なんてね…と」

「引退したのにこんな部屋作って。僕は音痴だし、音感もないから、もしもこの家で暮らしていても、絶対に立ち入らなかったよ」


楽譜が置かれている棚から一冊だけ、初心者向けの教本を手に取ってみる

青色の付箋が貼られているページをめくると、そこには「譲といつか弾きたい!」

「初心者向け」と、母さんなりに色々と考えて、やりたいと願ってくれた結果が残されていた


「それから、譲君。ここで伝えておこうと思います」

「何を」

「この家には、愁一さんの書斎がないんです」

「どうして。父さんの自室がないと、父さんは仕事を家でできな…」


できない。そう口にした時点で、頭の中で理想が浮かび上がる

そんなまさか

父さんと母さんは仕事が大好きなんだ。だから…そんなはずは


「家で仕事をする気がなかったんだと思います。久遠さんは引退を表明して、貴方だけのお母さんとしてこれからここで暮らす貴方に向き合おうとした」

「…」

「愁一さんは立場上、仕事を辞める選択ができなかったんだと思います」

「だからせめて、家で仕事をできる環境を排除し、仕事を持ってこないようにしようと?」

「おそらくですが。でも、答えはおそらく次に行く部屋に残っていると思うんです」

「次?次って…父さんと母さんの寝室?」

「いえ。この家に必要な「大事な部屋」に。貴方が見るべき部屋に、答えはきっと」


防音室を出てから、時雨ちゃんは僕の手を引いて階段を登る

一段、一段、ゆっくりと足を進めて二階へ

二階には三つの扉が存在している

右の扉はトイレ。一階にもあるが、二階にもあった方がいいということで設置したそうだ

左の扉は両親の寝室。この家で起こった悲劇の現場だ


そして残された真ん中の扉

そこは七歳の僕も立ち入ったことがなく、何があるかなんてわからない

時雨ちゃんから背中を押されながら、ドアノブに触れて扉を開く

その先には…一回り小さく、使った形跡が一切ない家具がきちんと並べられていた

洋服かけには、鈴海にある私立学校の初等部男子制服

真新しい革製の指定鞄。ホコリを被り、色褪せてしまっている開かれたことのない教科書の山


「…子供部屋」

「はい。あの事件当日、貴方が立ち入ることがなかった最後の部屋であり、貴方の為に用意された部屋です」


そこでやっと、僕は時雨ちゃんから預かって貰っていたノートを受け取る

「椎名家建築計画書」には、母さんと父さんが「僕と一緒に暮らすために必要なこと」「僕と一緒にやりたいこと」を議題に、沢山の意見を出し合って・・・それを纏めたものだった


『病気が早い段階で治って、活発な子になるかもしれない。家の中を走り回っても問題ないように、広めに作ろう』

『ピニャ君以外にもペットを飼いたいとかいう日が来るかも。犬とか、猫とか。譲がそうしたいというのなら、いつでも叶えられる環境にしたいわ』

『入院時から本が好きだ。もしかしたら部屋の中に本が収まらなくなるかもしれない。いつでも庭に倉庫を作れるようにすべきだろうか』

『譲には魔法使いの適性があるのよね。特訓したいとかいうかも。そういう設備ってどこに依頼したら作って貰えるのかしら』


他にも沢山、思い思いに書き並べられた意見のほとんどはこの家を建てる際に反映されている


それから「譲お帰り記念計画書」

こちらには時雨ちゃんが読み上げてくれた家の紹介だけでなく、その日の晩ご飯に何を用意するかまで事細かに書かれていた


『退院日は譲の誕生日だし、ケーキを予約する!当日は愁一に取りに行って貰う!』

『父さんに退院のことを話したら、椎名お抱えのシェフにお祝い用の食事を作って貰えることになった。当日は配達してくれるらしい。これも俺が受け取っておく』

『退院のお迎えは私だけ。愁一は準備に励み、譲の帰りを家で待っていて!』

退院日を記念日と称し、色々と準備をしてくれていたらしい

『お父さんとお母さんからの手紙は、学習机に設置OK』

記念計画書の最後には気になる記述が書かれていた


お父さんとお母さんからの手紙

このノートだけでも、十分すぎる贈り物だと思うのだが、それ以上のものが残されているらしい

学習机の上に置かれていた「ゆずるへ」と書かれた色褪せた封筒を手に取る

七歳の子供でも読みやすいように、平仮名と簡単な漢字だけで構成されたその手紙には、ノート以上の感情が込められていた


『譲へ。まずは、退院おめでとう』

『産まれたときからずっと病院で過ごした譲が、こうして元気になってお家に帰ってこられて、お父さんとお母さんはとっても嬉しい』

『お仕事の都合で、あまりお見舞いに来てあげられなくてごめんなさい。けれどこれからはこの家で、ずっと一緒にいられるね』


『この家は、気に入ってくれましたか?』

『お父さんとお母さん、譲がのびのびと過ごせるように色々考えて見たんだけど・・・どうかな?好きになってくれるかな?』

『この家は、お母さんと相談して「譲が元気に幸せに過ごすことができる家」として作りました』

『そして同時に、譲がやりたいことや夢を見つけて、いつか大きく羽ばたく準備ができる「止まり木」として作りました』

『お父さんとお母さんは、この家が大好きです。譲にも好きになって貰えたら、嬉しいな』


『これから、譲の人生には色々な事がある。小学校にも通えるし、他にも入院中はできなかった事が沢山できるようになる』

『やりたいことがあったら、お父さんとお母さんにも教えて欲しいな』

『もしも一緒にできることなら、一緒にやりたいことをしよう』


『これから毎日楽しく、幸せに過ごそうね』

『改めて、おかえりなさい。譲。これからもずっと大好きだよ』

「お父さんと、お母さんより…」


読み終わる頃には視界が歪み、体から力が抜けて床に座り込んでしまう

僕は今まで、父さんと母さんのことを仕事大好きな人だと思っていた

けれど、本当はずっと会いに行きたいと思ってくれていて

仕事のことで沢山悩んで、辞める決断までして

最後のその瞬間まで、ずっと僕は両親から…


「…なんで、気づかなかったんだろうなぁ」


頬を伝うそれを時雨ちゃんがハンカチで拭ってくれながら、背中を撫でてくれる

もうどこにもいない二人は、泣いたってやってきてくれることはない

それでも僕は、二十七歳にしては情けなく泣きながら、両親の影を求め続けた


・・


一通り落ち着いた後、時雨ちゃんはひんやりとした手を僕の目元に当てながら優しい声音で問いかけてくれる


「落ち着きました?」

「多少は。ごめんね、情けないところを」

「いいえ。むしろ安心しました」

「どうして?」

「ちゃんと泣けたんだな、と」

「そうだね。泣いたのは久しぶりかもしれない」

「我慢していた涙も全部、出てきてしまったかも?」

「そうかもね。だからかな、少し気分がよくて。すっきりしたって感じだね」

「それならよかった」


「さて、そろそろ夕方だし…最後の部屋に立ち寄ってからお暇しようか」

「ええ。しかし、最後の部屋というのは」

「事件現場だね。夏乃さんの話だと、清掃は済んでいるらしいけれど…気分的に嫌なら、廊下で待っていていいよ」

「いえ。最後まで一緒にいますから。だから、せめて手を繋いでいただけると…!」

「了解」


流石に人が死んだ場所。僕もここに入るのが怖くて、誰かに付いてきて欲しいなと思っていたから足が竦む理由もわかる

けれど今は、ここに早く立ち入りたい

子供部屋を出て隣。両親の寝室として用意された部屋には家具は何一つなかった

リビング同様「片付けられたから」だ


二十年前、ここで父さんと母さんは殺された

世界を改変する魔法を狙った柊から、僕を守るために


部屋に入る前に、一度手を合わせて黙祷

それからゆっくりと話したいことを話しておく

ここには後数回やってくることになるだろう

残された荷物の回収と、取り壊し当日

でも、この部屋に立ち入るのはきっと最後だ


「父さん、母さん。来るのが遅れてごめんね」

「まずは、二十年前はありがとう。二人が守ってくれたから、僕はこうして今も生きていられています」

「僕は今までずっと、二人が仕事第一人間で…僕の事はあまりよく思っていないのではないかと誤解していました」

「今日はここに来られてよかったと思います。本当のことを、知れたから」


返事は勿論ない

この鈴海には幽霊とかも当たり前のように存在しているが…ここに二人がいることもないだろう

もう、成仏しているはずだ

だからここで語りかけることは自己満足

それでも話しておきたい

それにここで見てきたことを糧にして、自分でも一つ「やりたいこと」ができたから

その報告もしておきたいのだ


「病気も完治して、今はごく普通の人生を送っています」

「ここで報告するのも何なのですが、今度結婚します。僕には勿体ないぐらい優しくてしっかり者。経歴や血縁がどうでもよくなるぐらい、素敵な人です」

「…それから」


いつか落ち着いたら、二人に憧れて得た「やりたいこと」を果たします

それをきちんとここで伝えておくべきだと考えた


思い描いた理想は時間をかけて育ち…「形」として実ったのは、実家の内検を終えた六年後のことになる


・・


とある日の昼下がり

仕事の都合で、師匠に呼び出された私こと「友江一咲ともえかずさ」は鈴海の中でも利便性の高い住宅街に建っている師匠の自宅に呼び出された

いつも通りチャイムを鳴らすと、インターホン越しに聞き慣れた声がする

その人物は慣れた手つきで鍵を開け、突然の来客である私を笑顔で出迎えてくれた


「一咲さん。遊びに来てくださったんですね」

「来ちゃいましたよ時雨さん。これお土産です。唯には見つからないようにお願…」

「じぃ…」

「…相変わらず食べ物に関しての嗅覚が凄まじいね、唯。どう、元気?」

「元気」


ぼんやりと返事をしてくれるのは椎名唯しいなゆい。師匠のところの次女ちゃん

魔力が足に溜まり、それが一定位置に達すると活性化してしまう不思議な体質を持った彼女は、膝より下の足が自らの意志で動かすことができない

その為、移動は車椅子が必須だったりする

今もリビングから車椅子を器用に動かし玄関へ。お出迎えに来てくれたらしい


「それとついでに一咲お姉ちゃんが来る嗅覚も優れていると自負している」

「食い物持ってくるからでしょ」

「それだけじゃない。一緒にいて落ちつくし…あと、足の手入れもしてくれる。大好き」

「そっかそっか〜」

「お母さんも大好き。ご飯美味しい。お菓子も美味しい」

「ありがとう、唯」


こうして小さな子供に大好きだと言われるのは、滅茶苦茶嬉しい

しかし、それは綾みたいな素直な子供であればの話

この女、幼いが既に打算で好意を述べる汚い女だと言うことは、私も時雨さんも忘れていない


「私、二人が大好きないい子。褒めて欲しい。手始めにおやつ」

「「あげません」」

「えぇ・・・」


おやつが貰えないことを悟った唯は車椅子を器用に動かして、リビングの方へ戻ってしまう


「…誰に似たんです?」

「わかりません。私も譲君も、唯の食事量を制限したりとか特にしていませんし、綾と食べ物で喧嘩することなんてないんです。どうしてあそこまで食い意地の張った子に…」

「将来に向けて、エネルギーを溜めているとか?」

「あ〜。譲君は特異ですけど、能力者として大成する存在は小さい頃、大食いとか言いますもんね。紅葉君とかがそうだったらしいですし」

「むしろ小さい頃に食わせておいた方がいいんじゃないですか?永羽は今悲惨ですよ」

「何かあったんですか、彼女」


唯の食事話題から繋がるように、話題になるのはここにはいないけれど、私たちに縁がある女の子

私の相棒で、時雨さんとは同級生。同年代な私たちはなんだかんだで良く一緒にいる

私たちは師匠を中心に集まった三人

師匠の二番弟子である私、師匠の妻である時雨さん

そして師匠と肩を並べた能力者、霧雨永羽きりさめとわ

だから、こうして三人のうち誰かがいない時は必然と、いない人の話題になってしまう


「ほら、永羽と私って昔入院してたんで。病気で食べられなかった分、今は滅茶苦茶食べるんですよ。けど、永羽はよく食べるの比じゃないっていうか、爆食状態」

「能力者として強いですもんね、彼女…体重とか、ヤバいのでは」

「ええ。予想通りです。永羽は今、健康診断に引っかかって食事制限中です。泣きそうな顔をしながらご飯を求めてくるのであげたくなるんですけど、心を鬼にしています」

「そういえば、貴方たち同居しているんでしたね…食事制限中は大変そうです。貴方だけでもうちで食べていきます?」

「いやぁ・・・そうしたいんですけど、目を離したら大変なことになるんで、ちゃんと二人で食べようかと。お気持ちだけ受け取りますね」

「いえ。何か手伝えることがあれば言ってくださいね」

「ありがとうございます」


話しながら廊下を歩き、リビングの扉を開く

そこには…


「・・・とうさん。えほん、よめ」

「ありゃ、師匠。綾と寝てんのか。てか綾はいつも師匠にひっついてるよね」

「お父さん大好きっ子なんですよ」


椎名綾しいなあや。師匠のところの長女で、唯とは双子

綾がお姉さんで、唯が妹。読書が大好きな博識のしっかり者

こうして寝ている時は子供っぽくて可愛らしい


「唯もいつの間にひっついて寝てる…なんで師匠の腹にしがみついてるんだよ」

「この子、何故か抱っこが嫌いで、いつもコアラみたいに横腹へくっつくんです。おかげで腕力だけは強いのなんの…」

「相当苦労していらっしゃるようで…」

「お父さん、お弟子さんと約束しているんでしょう?起きて」

「…来年まで待ってって言って」

「言いません。さっさと起きる!」

「んー…」


鈴海大社の青鳥。鈴海一の魔法使い

戦闘狂やら戦闘廃人だとか、見かけたら逃亡必須・抵抗不可・投降推奨の3Tなんてワードが作られるほど、うちの師匠は悪い意味で有名なのだが…


「おはよう」

「…おはよう、ん。また綾と唯がいる…時雨ちゃん手を貸して」

「はーい」


年下の妻に手を借りながら、娘達を起こさないように起き上がる

家でしか見せないであろう「どこでもいる男」みたいな姿こそ、本来の師匠なんだろうなぁ

そんな気を抜いている師匠に、外の姿を求めるのは忍びないのだがこれも仕事だ

少しだけ働いて貰おう


「ほれ、師匠。今回の報告書。急ぎで欲しいって言っていたから」

「ありがとう。助かるよ」

「でもなんで急ぎ?いつもは一週間後でいいよとか言うのに」

「今回の魔獣は新種だったから、取り急ぎね。討伐時の資料が欲しいと千早に急かされていてね」

「なるほどねぇ。ところで師匠。仕事とは関係ないんだけどさ」

「なんだい?」

「どうして一軒家を買ったの?師匠、一軒家あんまり好きじゃないって前言っていたから、気になっていて」


師匠が家を購入した。当時は職場で話題になったものだ

かつて自分の家で、両親が凄惨な死を遂げた彼は一軒家にトラウマがあるはずだ

そういう認識が、周囲には広がっていたから

なぜ、どうしてと言う声は今もなお絶えていない


「…実家を取り壊す前に、僕と時雨ちゃんは一度、僕の実家を見に行ったんだ」

「マジで」

「うん。そこで僕は、あの家に込められていた両親の願いに触れたんだ」


当時は知らなかった…否、知るはずのなかった願いの数々

生まれた時から入院生活。やっと退院し、自宅に戻ってくる息子を出迎える為に…師匠のご両親は家の至る所に配慮を施していた

彼が家を好きになってくれるように

彼がこの家でのびのびと育てるように

彼がこの家で、心穏やかに幸せに暮らせますように、と


「やっと知れた両親の願いに憧れて、僕も時雨ちゃんと相談した上で、娘達が少し大きくなったタイミングで家を建てることにしたんだ」

「へぇ、それで完成したのがこの家」

「そうだよ。僕らの終の住処かつ、娘達がのびのびと過ごし、やりたいことに向かって飛び立つ力を蓄える止まり木さ」


わざわざ作ったらしい、沢山の本が収納できる地下書庫は自分の為であると同時に、本が大好きな綾の為に

階段はエレベーター付き。至る所がバリアフリー化されている部分は唯の為だろう

庭には家庭菜園が存在していた。時雨さんの要望はおそらくここだろう


「師匠達の理想が反映された家かぁ。いいなぁ、家。憧れる」

「君も仕事に余裕が出てきたら、持ち家を買うことを検討してみてはどうだい?」

「こんなデカい家を買えと?」

「僕らは家族で暮らす前提で建てたから、それなりに大きいんだよ。将来的に娘に個室を与えられるようにとか、それこそ庭で園芸をしたり、遊んだりとか。色々考えた結果、この大きさが最善だと感じたからね。君達の最善はこの大きさじゃないだろう?」

「まあ、そうですね。女二人で将来暮らすとしたら…小さめの家でも良さそうですもんね」

「将来一緒に暮らす人と相談してみたら?」

「そうしてみます」


どうやら憧れというものは、引き継がれていくものらしい

私も近い将来、大事な人と一緒に過ごす家を買うことになるのかな、どんな大きさにしようかな…なんて

今後の参考にするため、私は引き続き師匠から家に関する話を聞くことにする

次は私が、理想と願いを込めた家を建てる番なのかもしれないと、想像しながら

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青鳥の止まり木 鳥路 @samemc

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