5.ラストオーダー/後編

「?」


 リリィの口から聞く限り、ほとんどのことは想定内という様子だった。

 三年前の計画は彼女の思った通りに成功。

 今回の姫崎の依頼についても内容は把握していたが、特段気に留める必要もないと判断したためそのまま泳がせておいたというところだろう。

 とはいえ念のために数日前、姫崎が早退して参加した撮影の際に会社を通じて接触したようだが、結局リリィは危険性無しという判断を姫崎へ下した。

 確かに姫崎の計画が進むだけなら、リリィ自身には何の不都合も起きない。

 損をするのは姫崎とアリスだけ、あとはオマケで始末される男二人か。

 姫崎は可哀想な妹は三年前に死んでしまったとすっかり思ってるのだから、特段気を付けなくても何ら問題はないだろう。

 そうリリィは思っていたのだろう。


 だが彼女の算段はとっくの昔に崩れていることを、未だ彼女は知らないでいる。

 リリィの自作自演の死が嘘だと知っている人間は、既に存在していた。


「三年前、あなたから通告されたあなたの死。私たちは聞いた瞬間、嘘だとわかっていたのよ」


 リリィのことを彼女以上に理解しているアリス、トウマ、そして彼女らの親代わりであるボス。

 家族である三人は、リリィの嘘を最初から知っていた。

 リリィだけは、まさか彼女たちが気付くまいと思っていた。


「……どうして? 何、妹の死を信じなかったってこと? 死んだはずないなんて、そういう暑苦しい信頼ってやつ?」

「いいえ。あなた自身が自分が死んだことにして欲しくて仕組んだと、すぐにわかったわ。私は信じたくなかったけど」

「……何よそれ、どういうこと? 悲しみなさいよ! 可愛い妹が死んだっていう連絡が来たなら、悲しむのが普通でしょ!?」


 すっかりアリスたちをも騙せていたと彼女は思っていたのだろう。

 予想もしていなかった言葉を受けて、リリィは大きく動揺して目を大きく見開く。


「信じてなかったんだ、あたしのこと。どうせいつか裏切るって? それとも、どうせあのクソみたいな世界からはいつか逃げるだろう、あいつは弱いからって。そんなこと思ってたんでしょ! どうせあたしはお荷物よ!」

「……リリィ」

「聞いた瞬間からバレてた? ならどうして連絡してこないのよ、生きてるって知ってたんでしょう!? なのに何? どうして三年間も泳がせてたわけ? 裏切ったものは始末しなければならない。姉さんが今まで同業者をように、わかってたんならさっさとあたしのことも始末しに来なかったのは? しばらくは生かしてやろうっていうお慈悲か何か?」

「あなたのことを信じたかったから」


 生きていると信じたかった。

 嘘なんて吐いていないと信じていたかった。

 裏切ってなどいないと、信じていられたら。

 妹の嘘を被るのは自分だけで良かった。

 トウマやボスも巻き込んで待っていてもらったけど、二人とも口を出さずに待っていてくれた。

 だが知ってしまった。

 妹の些細な嘘により、命をもって自分を罰しようとしている少女の存在を。


「信じていたかった……けど、そのせいであの子を巻き込んでしまった。あなたを信じて先延ばしにしていた私のせい。……だから私が」


 アリスの言葉を聞きながらわなわなと震えていたリリィは、繰り返す。


「姉面しないでって言ってるでしょ!!」


 怒号にも悲鳴にも聞こえる彼女の叫びは夜の空気に溶けていく。

 街に溢れる賑やかな声にかき消され、その絶叫はアリスにしか届かない。


「あんたが一番嫌いだった! いっつもいっつもあたしの上、あたしがどんなに頑張っても追いつけない、男と張り合えるあんたと違ってあたしは男と寝ることでしか優位に立てない! 女の武器? そんなのどうでもいいのよ、そんなもの何の自慢にもならない。あんたといるだけで、あたしの尊厳は全て踏みにじられるの!」


 気高く美しい女王蜂の叫びがアリスの胸を貫く。

 耳が痛い。耳を塞いでしまいたい衝動に駆られるも、それをしては意味がない。

 アリスは裁かれるためにここに来たのだから。


「あの何もないど田舎の施設にいた頃からずっとそう! あたしは今まであんたを一度も姉だなんて思ったことはない!」

「……そう」

「家族ごっこが好きだったあんたを絶望させられたらよかったのに、そんなことにもならなかったってこと? かわいいかわいい妹が無様にも死んで、それで少しでも心を痛めてショックでも受けてたらあたしは最高に嬉しかったのに!」

「……十分傷付いたわ」

「じゃあかわいい妹をこのまま逃がしたらどう? そうしたら、少しはあんたのこと好きになれるかもしれないしね。姉さん?」

「それは出来ない」


 ガチリと音を立てて撃鉄が落ちる。

 何の感情もなく静かな面持ちで拳銃を構えるアリスと、怒りと嘲笑と嫌悪感をむき出しにするリリィはお互いをまっすぐに見つめ合った。


「私はずっとあなたのことを妹だと思ってきた。だから、妹の不始末は私がしなければならないのよ」


 どれだけ否定されてもどれだけ拒絶されても、アリスの主張は変わらない。

 そしてそれはリリィも同じく、彼女の意志も心も感情も変わることなどなかった。


「あんたなんかいなきゃよかったのよ!」


 絶叫と銃声が重なり、そこに生まれた静寂が全ての収束を物語った。

 薄汚い路地の汚れた地面に、美しい女性が血を流して倒れている。

 アリスの背中からは街の喧騒が聞こえ、彼女の日常が戻ってきたことを実感させた。

 “殺しのアリス”は平和な社会に生きながら、手早く確実に手を汚して、この世に要らないものを排除する。

 相手がどんな人間であろうと例外はない。

 たとえそれが自分の身内であろうと、特別扱いは許されない。


「……私は、あなたがいてくれて幸せだったわ」


 否定も肯定も、怒号も歓喜も、いくら待っても何も返ってこなかった。



 ###



 今日からここにいる皆は家族よと、施設を営む夫婦は笑顔で子供たちを迎え入れた。

 随分な田舎だというのに少なくない孤児たちをこうして匿っていられたのは、この夫婦が実は資産家だった……ということは、大人になってから知った。


 同時期に孤児院に入ったことで、三人には兄妹という肩書が与えられた。

 不愛想でひょろりとした小生意気な兄と、お淑やかそうな外見にそぐわぬ頭の悪さと男のようながさつさのある姉と、常に人の顔色を窺い物陰に隠れるのを好む気の弱い小さな妹。

 容姿も似ず、性格もバラバラで、何が兄妹なのだろうかとずっと疑問に思っていた。

 兄妹として並べられては、自分の不出来さがより強調されてしまうではないか。

 体も肝も小さく、可能な限りひっそりと生きていたい。誰かの目に留まれば笑われるか、怒声を浴びせられるか、攫われて売られるかしかないのだから。

 日の当たる場所は息苦しい、放っておいて欲しい。

 どうせ自分なんていてもいなくても変わらないんだから……。

 

 なのにこちらのそんな気も知らず、姉という肩書を得た影響で自分をまるで配下か引き立て役として扱いたかったのだろうか……彼女はやけに構ってくるようになった。

 出来れば一人にして欲しい、静かにして欲しい、静かに死なせて欲しい。

 お腹が減っても気にならない、不衛生にしていても気にならない。

 元いた家でゆっくり衰弱し、あと少しで死ねたということろでここに連れて来られてしまったせいで、生きなければいけなくなった。

 だからまたあの時と同じように、誰にも気付かれずゆっくり消えて死んでしまいたいのに……。

 鬱陶しい兄姉達が、それを邪魔してくる。



 ――自分が可哀想みたいな面ずっとすんな。うざい


 ――今度皆で山の方の川に行くんだって! 楽しみだねぇ



 放っといて欲しいのに、どうしてあたしのお願いは聞いてもらえないの?

 味方なんてこの世界にいやしないんだとわからされた。


 体が少し大きくなった頃、体の大きな顔の怖い男の人が兄妹揃って親になってくれると言い出した。

 あたしだけ置いて行ってくれればいいのにと思っていたのに、「兄妹は一緒にいなきゃな」だって。

 大人なのに人の気持ちが分からない人もいるんだ。


 孤児院を出て大きなお屋敷に到着すると、兄妹の絆だとか何とか言ってネックレスを渡された。

 兄妹三人のものを合わせると、三角形が出来るようになっているらしい。


 やだなぁ…と、少女はネックレスを見つめながら思った。



 ####



「あ―――! オネーさんみっけ!」


 どれくらい時間が経ったかはわからない。

 アリスが細い路地で煙草を吹かしていると、煌びやかな世界から少女がこちらを両の目で捉えた。

 少女は通りがかった通行人から声をかけられて軽く手を振ると、すぐさまこちらの世界へ足を踏み入れてくる。

 そうして辺りを見回して、首を傾げた。


「あれ? 妹さんは?」

「掃除屋が連れて行ったわ。ずっとここに寝かしっぱなしじゃ目撃者も出るだろうし」

「へぇ~やっぱりすごいねぇそういうの。校庭で死んでたはずのシバリエも、ボクらが外に出るまでに全部片づけちゃったんでしょ?」

「えぇ。普通の学校敷地内に死体やら大量の血痕やらあったらニュースになるでしょう。そういうプロもいるわよ」

「すっご~~~~~い! えぇ~見て見たかったな~~~~」

「静かな人だからあんまり首突っ込むと嫌われるわ。やめときなさい」


 コンクリートの壁にもたれたまま、アリスは煙草をゆっくりと吹かす。

 するとその隣に姫崎が並んで、無言で両手を揃えて前へと差し出した。


「……未成年」

「つい最近帰国したオネーさんは知らないかもしんないけどね、成人の年齢ってもう二十歳じゃないんだよ?」

「十八歳でしょ、あなたはまだ十六歳」

「えぇ~~~~知ってたのなんで~~~~ずる~~~~い」


 どや顔から一変転落、姫崎は一口だけ味見をとアリスを揺さぶるが取り合うことはなかった。


「そんなことより、陽動作業ありがとうね。おかげで最期にゆっくり話すことが出来たわ」

「えっへん、このノノ様にお任せなさい! ついでに登録者数もまた増えたからwinwinって奴だね~~~! っていうか、オネーさんがお礼言うのはちょっと違くない?」

「?」

「だって、これはボクからの三人目の依頼だったんだから」


 ぽかんとしてからそういえばそうだった、とアリスが軽く笑うと姫崎はウインクをして右手でピースサインを作る。

 全くこの子には敵わない……つくづくそう思わせる。


「それじゃあこれで契約は終了ね。バイクを貸してくれた子にもお礼を伝えておいてもらえる?」

「もっちろん! いや~初めてのバイクがオネーさんに後ろに乗せてもらうだなんて、ボク……一生忘れない」

「さっさと忘れなさい、雇った殺し屋のことなんて」


 学校で姫崎がリリィの居場所を突き止めてから最速で向かうためにどうしたものかと考えた矢先、姫崎の友達の中にバイク好きの走り屋がひとりいるという話があがり、連絡をつけるとすぐさま飛んできてくれたのだ。

 一晩だけ借りる許諾を得て、リリィが特定場所から動かない内にとアリスは姫崎も乗せてこの場所へとやってきた。

 バイクは指定の駐車場に置いておいてくれればあとは自分が迎えに行くと持ち主から聞いているため、この後アリスが帰り際にそこまで運転する予定である。

 バイクに相乗りしたという輝かしい思い出に姫崎はうっとりと浸っているが、アリスは煙草を消すと体を起こした。


「それじゃあ、これで依頼完了ということで大丈夫かしら? クライアント」

「うん、ボクとしては満足。オネーさんは?」

「?」

「ボクにとってはどうでもいい妹さんだけど、オネーさんにとっては大事な妹さんでしょ? だったら仲直りは……ま、出来なくても。決着とやらはつけられた?」


 姫崎のその顔を見る度に、大人びた表情をする子だとアリスは感心してしまう。

 その表情は子供らしくない、本来ならまだ出来なくていいものではあるが、姫崎の身の上を知ってしまった今では持っていた方が良いものではある。


 今回は自分の失態が招いた不祥事だった。

 彼女はただそれに巻き込まれてしまっただけに過ぎないというのに、関わっていたことには変わりないとずっとこんな調子だ。

 こんな小さな少女に助けられてしまうなんて、やはりまだ気が抜けているのかもしれないとアリスは自嘲する。


「そうね、決着は……ついたというか、どうというべきか」

「えぇ!? 決着ついてないの!? ど、どうする!? 妹さん一回蘇らせてもっかい話する?」

「蘇生なんて出来るか。大丈夫よ、すべきことはしたし、私がされるべき罰はもう十分食らったわ」

「へぇ~オネーさん何も悪いことしてないのに」

「してるわよ、人をたくさん殺してる」

「でもそういう仕事じゃん? それでご飯食べてるって言ってたじゃん?」

「その理屈でこの仕事を肯定出来るなら、この界隈の人手不足は問題にならないわよ」

「あ、やっぱ人足りてないんだ……それは予想通りだなぁ」


 他愛もない話をしながら二人は並んで路地の出口へと歩いて行く。

 そうしてやっと外に出ると、相変わらず賑やかな人々は笑い、語らい、人の目も気にせず夜の街を行き交っていた。


「それじゃあ、これでお別れね」

「はーい、寂しいな~~~今日からまたひとり暮らしか~~~~」

「ルームシェアでもしたら? そういうの今流行ってるじゃない」

「えぇ~それはちょっとボクには無理! ボク友達多くてもプライベートには入ってほしくないし、それにデスゲームとか始まったらヤじゃん! どうする? 一緒にシェアハウス始めた人が皆実は殺人鬼でした~とかだったら!」

「何それ、B級映画の見過ぎよ」


 先に足を踏み出したのはアリスだった。

 姫崎から依頼されていた契約は終わり、もう彼女を駅や家まで送ることは出来ない。

 今はもう姫崎に雇われた殺し屋でも、ボディーガードでもない。

 一見何の変哲もない女性で、その正体は次の仕事を待つフリーの殺し屋だ。


「気を付けて帰りなさいよ、乃々」

「うん。オネーさんも気を付けてね」

「……何を?」

「ちょっとだけアイメイクが崩れてるから、ようにね」

「……」

「結構前から思ってたんだけど、オネーさんってもしかしなくても殺し屋向いてなくない? そう言われない? オニーさんにとか」

「…………」

「ほほう、図星ですなぁ~?」


 それで姫崎は満足したのか、最後に悪戯っぽく笑うとアリスを追い抜かして駅へと向かって歩き出した。


「じゃあね!」


 最後に手を大きく一回振って、それきり彼女は振り返ることなく人の波へと消えていく。

 アリスは鞄から小さな鏡を取り出して、念のため自分の顔を確認をした。

 姫崎から指摘された通りかすかにアイメイクが崩れてしまっているが、それは非常に些細なものであって普通の人なら気付かない程度だろう。

 流したのは一粒だけに抑えた。

 それでも、姫崎には見抜かれたということだった。

 アリスは大きなため息を吐き、ばつが悪そうな顔で眉間にしわを寄せる。


「全っ然、簡単な仕事じゃなかった……!」


 ヒールを鳴らして彼女も向かうべきところへと歩き始める。

 仕事用のスマートフォンが振動しているのに気付いていたが、それを無視してアリスもまた夜の街へと姿を消した。

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