5.ラストオーダー/中編
アリスがそう告げると、彼女は手にしていた拳銃を教卓の上へと置いた。
ゴトリという重い金属音が空気の重さを感じさせる。
身を乗り出していた姫崎もすっかり気が抜けて、近くの机に腰を下ろしていた。
「三年前、リリィが死んだという連絡と共にこのペンダントが送られてきたの。これは私とリリィとトウマ、三人のペンダントが一つになるときちんとした形になるもの。拾ってくれた親であるボスが、兄妹の証にとくれた大切なものよ」
「……うん、それはオニーさんが着けてるのも見たから。なんとなく、そうかなとは思ってたけど」
「仮に本当に、リリィが仕事中に何らかのトラブルに巻き込まれて死んだとする。任務失敗でも返り討ちにあったでも、不慮の事故に偶然巻き込まれて、災害に遭ったとかシチュエーションは何でもいいわ」
「……うん」
「あの子が死んだら、絶対に私たちには連絡は来ない。誰にもあの子の死の報せは届かないわ」
「ど、どうして? だって家族なんだから、家族のとこには普通連絡行くよね? え、殺し屋だからとか?」
「あの子は誰よりも人からの目を気にするからよ」
それはリリィ本人には自覚のない部分だった。
知っているのはアリスとトウマ、それからボスくらいだろう。
人の目を気にする、だから着飾ることが好き、どう見られているかを気にする、だから溶け込めるような話術を身に着ける。
無意識の自己防衛意識、家族であろうと彼女は自分の汚い部分は決して見せないような人間だった。
だから仮に彼女が命を落とした場合、どんな手を使ってでも彼女は自身の死を隠蔽すると決まっている。
自分の死体という、どうしようもなく穢れたものを誰にも見られたくないから。
「でもこのことをあの子は自覚していない。だから普通の人と同じように、死亡報告と遺品に相応しいペンダントを私の下へ送った。自分が死んだと思わせるためにね」
「どうして?」
「それは私にもわからない、この三年間ずっと考えていたけど答えは出なかった。きっと、私には考えが及ばないことなんでしょう」
ボスから「そろそろケリをつけるべきじゃないか」という連絡が来て帰国を決意した。
トウマから「リリィのことにいつまでも引っ張られんなよ」と釘を刺された。
それは妹の死から立ち直れという意味ではない。
「あの子がしたことは裏切り。身内を欺いて行方をくらますなんて、決して許されることではない。だから、私が決心しなければならなかった」
裏切り者は始末しなければならない。これはこの世界における絶対のルールだ。
アリスはそのルールと妹の裏切りという現実から三年間、目を逸らし続けていた。
「あなたから話を聞いて、私の中でリリィの裏切りが確信に変わってしまった。だから、そこは感謝しないとね」
「ボクの話?」
「リリィの居場所を探していた依頼人、すぐに特定出来た居場所、翌日リリィが始末されたと吹聴する関係者の話」
「う、うん」
「全てあの子の自作自演よ」
「……は!?」
同業者でもない限り人に名前を知られてはいけない。
仲間内でもない限り自分の居場所を他人に知られてはならない。
どんなことがあっても、自分の足跡を他人に知られてはならない。
それが殺し屋としてのマナーだ。
「新人だとか、なんちゃってで活動してる奴なら下手なことをしても不思議に思わないわ。そういう奴らから法や警察に見つかって姿を消していくのだから。でも私たちはプロ、あの子も端くれなんかじゃないのよ」
そうでなければお天道様の下で堂々と歩くことなんて敵わない。
結局日陰に居続け隠れ続けている奴らは皆、中途半端な連中ばかりだ。
「私たちだけじゃない、同業者で長年食べてる連中は皆そう。何の変哲もない学校に、教師という身分を詐称してるとはいえ普通に過ごしていたでしょう? これが当たり前なのよ私たちの世界では。普通の人間には私たち殺し屋が存在していることを知る術はまずないの」
「……つまり、ボクが自分で調べて妹さんの身の上を知ったのは、ボクの力じゃなくて」
「わざと掴まされたっていうことでしょうね」
とはいえ姫崎はその後アリスに依頼を送ることに自力で成功しているのだから、やはりその道の才能の片鱗はあるのだろう。
話が反れたとアリスは軌道を正す。
「とにかく、あなたが罪悪感を抱いていることの一連の出来事は、全てあの子のパフォーマンスでしかないのよ。リリィという殺し屋がある日何者かに殺されました、どのように死んだのかは不明です、でも確実に死んだのです。っていうね」
「……」
「私はそれを信じたくなかった。足を洗いたければ言ってくれたらよかったし、そもそも殺し屋なんていつでも辞められるわよ。やめる覚悟があれば誰だって辞められる。なのにあの子はそうはしなかった……何を考えているか、今の私にはわからない」
アリスは教卓の上に置いた拳銃を改めて手に取ると、乱れていた髪をかき上げてため息を吐いた。
姫崎の誤解も解けた今、殺すべきなのは彼女ではない。
三年間先延ばしにし続けていたリリィの、妹の始末をしなければ。
現在どこにいて何をしているかは一切不明だが、腹を括ったのだ。
一秒でも早く片をつけなくてはなるまい。
「そういうわけだから、乃々。ここであなたとの契約は終わりよ。三つ目の依頼までこなせなくて悪かったけど、あなたは表の世界に……まぁ、ブローカーからきっちり足を洗ってから戻るべきね」
それだけ言ってアリスはその場を去ろうと思ったのだが、姫崎の様子がおかしいことに気が付き足を止めた。
リリィに振り回されて怒っているのか、それとも自分が弄ばれたことに失望しているのか。
はたまた死ぬ覚悟が出来ていたのにそれが突然中止となり、やる気がなくなったのか。
どれかはわからないが、姫崎はがっくりとうなだれたまま動かなかった。珍しい状況だ。
何に対しても無敵だとばかり思っていた彼女のそんな姿を見て、アリスは何か声をかけるべきかとしばし考えを巡らせる。
「……許せないんだけど」
しかし、姫崎の口からこぼれたその一言でそれは杞憂だったと判明する。
「……悪かったわね、うちのが迷惑かけちゃって。あの子の代わりにあやま」
「ボクさあ、騙されたとかはどーでもいいの。ネットの世界じゃ詐欺とか誇張とかなりすましとか嘘だとか、そんなのゴロゴロ転がってるんだし?」
「……そ、そう」
先程までとは違う熱のこもった声音にアリスは気圧される。
姫崎が今腹の中で何を考えているか、大体の予想がつくのはしばらく身近で過ごしていたからだろうか。
「でさ、ボク、正直ね。妹さんのことはどーでもいいと思っちゃってるんだよね? ボクが自己満足で罪を償おうとしたのは『人を殺してしまった』という事実だったから。妹さんに同情とかは、してなかったわけ。……これ聞いて怒る? オネーさん」
「……人としての倫理的にはまぁどうかと思うけど、あなたがそう言うのならそうなんでしょうね」
「うん、そうなの、そういうワケなの。で、ボクは一目見た時からオネーさんのこと結構好きなの。かっこいいな~こんなにかっこよくて殺し屋なんて、漫画とか映画の世界の人みたいっていう、何だろう、羨望? そういう奴」
「……光栄ね」
「だから、許せないんだけど。妹さん、ボクの好きなオネーさんを騙してたってわけでしょ? 家族を騙してたんでしょ? 許せると思う?」
人の地雷とはどこにあるかわからないものだ。
だからこそ「地雷」という言葉が用いられるのだろうが、それを踏み抜いたのが自分でなくてよかったとアリスはつくづく思った。
ホラー映画さながらの様相で、姫崎は目を大きく見開きゆっくりと頭をもたげる。
「オネーさん、今から妹さんのこと殺しに行くんでしょ? ボクのことは殺してくれないのに」
「え、いやだから、あなたはそんなに死のうとしなくていいって言ってるじゃない。そこにまで嫉妬するのやめなさい」
「えぇ~~~??? そんなに叱られたらボクも反省しちゃうじゃんね~~~~」
「意味不明にデレデレするのもやめなさい……っていうかどうなってるのよ、あなたの情緒」
「んまあ許せないのに変わりはないので!? オネーさんが妹さんのこと実はあんまり殺したくなくても? ボクはそんなこと思ってないので!」
人の家族のことなのによくそこまで感情が動くな……と、口を出すのはもうやめた。
アリスが眉間に寄ったシワを揉む横で、姫崎はお気に入りのリュックから自分のスマートフォンと小型タブレットを取り出すとすさまじい速度で何かを調べ始めた。
一体何を始めたんだか、とアリスが腕を組んで待っているとほどなくして姫崎が顔を上げる。
「見つけたよ、妹さん」
「え!? 早っ……じゃなくて、見つかった!?」
「妹さん殺し屋辞めたんでしょ? 殺し屋の足跡が辿れないのは当たり前でも、もう引退した人ってやっぱりそこらへんルーズになるよね~~~~」
「でもだからって、どうしてそんなことっ」
「だってボクが許せないんだもん、オネーさんのこと傷つけた妹さんのこと。それにもう裏切者なんでしょ? 裏切者には鉄槌を―――! でしょ?」
「それあなたが昨日やってたゲームの台詞じゃない」
「今ボクもそんな気分なの。だからさオネーさん、依頼の変更していい? お金返さなくていいから」
「?」
姫崎はタブレットの画面をアリスにつきつける。
そこには繁華街のある一角が記されていた。飲食店が密集している、いわゆる夜の街の中心地。
姫崎は持ち前の大きな目を丸く光らせて、上目遣いでアリスを見つめた。
「ボクからの最後のお願い、やってくれるよね?」
提示された場所と彼女の言葉、その両方を受け取ってアリスはなるほどと大まかに理解する。
差し出されるタブレットを受け取って、小首を傾げる少女の顔を今一度確認した。
その顔を見て、なんて人におねだりをするのが上手な
「了解」
それだけ言って、彼女は白衣を脱ぎ捨てた。
##
夜の街は眩しく、煌びやかで、誰もを誘惑する何かがある。
美味そうな餌に釣られたか、華やかな人々に招かれたか、危険で魅力的な雰囲気に魅了されてか。
朝日が昇るまでは誰もが夢を見られる場所、自分でいなくてもいい場所だと、彼女は街を見据えて目を細めた。
耳に届くのは呼び込みの声やアルコールを摂取した陽気な人々の話し声や笑い声。
ここでは怒声や悲鳴が上がったとしても、そんなものはすぐに楽しいことに塗りつぶされてしまうだろう。
仕事仲間を飲食店の出入り口で待っていると、その楽し気な話し声の中から一段と興奮した声が聞こえてきた。
「ウソ!? 今来てるの!? すぐそこ!?」
「マジだってほら、これ! 今生配信中!」
「やべ~マジで実物シャレにならんくらい可愛かったな」
「なあ~飛び入り参加OKって。こんな場所でそんなこと言っちゃったら勘違いする奴出るぞ~!」
「だよなあ~……アレ? つかあの子女子高生じゃなかったっけ? こんなとこいていーの?」
何やら有名人でも近くに来ているのか、縦横無尽に練り歩いていた人々は続々とある方向へ揃って歩き出す。
騒ぎの噂が聞こえていない遠くの人間すらも、その人の流れを目にするとなんだなんだと興味の矛先が引っ張られてしまう。
まるで前を歩く蟻が分泌するフェロモンを後続の蟻が辿っていくように、次々と人間は流されていった。
「お待たせしました~……ん? 何か騒ぎでもあったんですか?」
「さあ……有名人でも来てるようなことを聞きはしたんですけど、詳しくは」
「へぇ~有名人ね。まぁ都心だし、そりゃ出るでしょうよ」
待っていた仕事仲間を迎えるも、彼もまた他の人間と同じように人が流れ行きつく先のことを気に掛けた。
しかし、彼女にとっては別段興味のわかないこと。
プライベートも兼ねた商談は上手く行きそうだし、今は目立つことなく家に帰りたい。
人の群れに紛れることは得意な方ではあったが、なんだかあちらには行かない方がいい気がして、この後の予定は全てキャンセルにしようと仕事仲間と話し合いその場で解散した。
この辺りの路地は大体把握している。
この時間帯に人の出入りがある場所と現在の人の流れをすり合わせて、一番人通りのない細い路地を選んで足早にその場を立ち去った。
誰の目にもつかないように、目立たないように、誰にもバレないように。
「誰にもバレないように気を付けるなら……と考えた道が本当に正解だったなんて。流石、同じ師を持つと思考が似るわね」
「……」
誰もいないことを確認してからこの細い路地に入ったというのに、いつの間にかアリスは拳銃を手に彼女の背後をとっていた。
「あなたは行かなくていいの? 人気配信者ノノのゲリラ配信、飛び入りゲスト可ですってよ」
「自分のことを調べていたようなミーハーちゃんのところにわざわざ姿を見せる気はないわ、姉さん」
彼女、リリィは鼻で笑いながらアリスのいる方へ振り返った。
三年間姿をくらませていた彼女は相変わらずの美しい容貌を保ち、誰もが目を惹かれるカリスマ性を身にまとっている。
変わったところといえば、少しばかりメイクの趣味が変わったことくらいだろうか。
「あたしが死んでいた間、元気にしてた?」
「激務に追われていたわ。殺し屋は万年人手不足よ」
「あら、姉さんさえいれば大丈夫じゃない? 百人力でしょ」
対峙するアリスとリリィは姉妹というには似ていない。
しかし、纏う雰囲気や立ち振る舞い、同じ環境で育てられたというのは見てわかる程度に一致している。
双方とも凛々しく、気高く、したたかに相手を窺っていた。
「あなたが死んだ後、どうしていたの?」
「どうって、殺し屋やめたのよ? それはもう羽を伸ばして好きなことをしてたわ。旅行なら仕事のついでに出来るけど、色んな人と出会ったり、友達を作ったり、やってみたい仕事もやってみたり」
「大手化粧品会社ね……書類選考さえどうにかしてしまえば、落ちるはずないわ。あなたなら」
「えぇもちろん。あたしこれでも人とお喋りするのは得意なので」
「自慢の妹よ」
「……血も繋がってないくせに姉面しないでくれる?」
アリスの口から出た「妹」というワードに、リリィは反応して声を低くした。
そうか、これが原因だったのか。と、アリスは眉間にしわを寄せる。
だからこの子は、ペンダントを送り返してきたのか……と。
「もううんざり! いつでもどこでも姉面して、トウマだってそう! あんな根暗でキモい男なんて誰が兄なもんですか!」
「それが理由? 私たちと縁を切りたいがために、殺し屋を辞めたの?」
「そうよ、悪い?」
「いえ、別に。……ただ」
それが本当なら、三年考えても自分にその答えがわかるはずもないか……と、アリスは顔には出さずに落胆した。
「あなたが死んだと聞かされて、悲しかったわ」
「本当? それなら嬉しいわ。やっと鬱陶しい姉さんたちから解放されて自由になれるんだもの、悲しんでもらわなきゃ頑張った甲斐がないってものよ」
リリィはニコニコと笑っているが、彼女が笑顔になればなるほどアリスの心は重く沈んでいく。
これが家族に裏切られることか、だからあんなにも姫崎は怒っていたのか……と。
アリスは何と無しに姫崎を感心した。
「リリィ、ひとつ聞いてもいいかしら?」
「なあに、姉さん」
「今回のことはどこまでがあなたの計画通り?」
「……へぇ、頭を使うのが苦手な姉さんがそんなこと言うんだ。いつも頭を使うのはあたしとトウマだったのに」
彼女の言う通り、リリィがまだ一緒にいた頃は基本的にはアリスは現場担当。
トウマとリリィがサポートや遠隔からの指示出しという風に分担していた。
任務によっては交渉や人心掌握などが得意なリリィも現場に駆り出されることもあったが、基本的にはアリスが一人で標的の始末を行っていたのだ。
そんな脳筋派なアリスがまさか自分にそんなことを聞いてくるなんて、とリリィはおかしくて笑いだす。
「そうね、ブローカーをしていたあのミーハーちゃんを利用してあたしが死ねたのは、ほぼその場の思い付き。いい機会があったらそれに飛びつかないと、いつまで経っても現状を変えることは出来ないでしょ?」
「足を洗いたければ言えばよかったじゃない。うちのボスは早く私たちにやめて欲しいっていつも言ってるんだし」
「あの人が言うように、本当にあの世界から簡単に抜けられると思う? 出来るはずないわよ、だってあたしたちたくさんの人を殺してきたんだから」
それは間違いのない事実であり、仕事とはいえその罪は拭いきれないもの。
アリスは否定も肯定もせず、口を閉ざしたままでいた。
「それで三年前の……冬かしら? あの頃めでたく自分を殺すことが出来たから、後はあたしの持ってた伝手で次の人生の土台を、身分証なんかをね、作ってもらってリスタートしたのよ」
「……それで?」
「そう、それで何やら昔お世話になったミーハーちゃんが最近こそこそしてるって昔の“お友達”から連絡を貰って、念のため確認したら姉さんに依頼なんかしちゃってたの。なにそれ、って」
自分を死んだことにする計画を立てていた頃にちょうどいい駒を見つけて、リリィは「自分が何者かから追われ、まんまと殺されてしまった」というシナリオを現実にした。
だが、その時都合よく使った駒が自分の素性を調べ上げていたのは計算外。
今になって一体何をする気だと調べてみれば、まさか自分が死んだとされるあの事件の責任をとるために
なんて滑稽で、くだらない、どうしようもないお遊戯だろうと笑うしかなかった。
「あたしは消えたくて死んだのに、あのミーハーちゃんは随分正義感が強いみたいね……ん? 慈悲深いって言うのかしら?」
「あの子が正義の味方に見えてるなら、あなたも腕が落ちたわね」
「あら、そんな子の? でも意外だったのはこの状況ね。どうしたの姉さん、あの子のこと殺さなかったの? というか、妹との感動の再会にそんな物騒なもの持ち出すなんて」
「残念だけどリリィ、あなたはひとつ見落としていることがあるの」
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