1.ガールズトーク/後編


 フラペチーノに夢中な姫崎の様子を観察していると、横からやや興奮気味の声が飛んできた。

 アリスと姫崎が揃ってそちらへ顔を向けると、そこにいたのは二人の女性。

 年頃はアリスと同じくらいに見えるので、女子大生だろうか。


「いつも動画見てます! こないだの新作メイク動画もめちゃかわいくて……!」

「先週の投げ銭でメッセ読んでもらえたの超~~~嬉しかったです! あ、でもあのコラボ動画」

「あ、そうそう。コウイチ、絶対ノノさんのこと狙ってると思いますよ。距離近かったし、全然カメラの方見てなかったし……」

「……ええと」


 呼びかけに反応したからか、途端に二人の女性たちは矢継ぎ早に話を展開していった。

 喜怒哀楽全ての感情をこうも瞬時に出し、切り替えることが出来るのは一種の能力ね……。

 などと、すっかり置いてけぼりにされたアリスはポカンと話を聞いているだけだったが、彼女達が「ノノ」と呼んでいるのはこの依頼人、姫崎乃々のことなんだろうということはすぐに理解出来た。

 とはいえヒートアップしていく彼女達を止めるのも躊躇われ、どうしたものかとアリスは姫崎の方へチラと視線を向ける。

 すると、何故か彼女と目があった。

 こちらを見ていたのか? ファンであろう彼女達を見てあげればいいのに。

 すると姫崎は顎に下げていたマスクを戻し、彼女たちの方を向いて手を振った。


「動画見てくれてるんだ~うれし、ありがとね!」

「そんな! 感謝するのはこっちの方なんで!」

「そうそう!」

「でもごっめ~ん、今からボク、マネージャーさんと大事な打ち合わせなの」

「?」


 ね、という姫崎の目配せを受け、アリスも即座に話を合わせることにした。


「そ、そうなのよ。ごめんなさいね、少し時間も押しているから……また今度にしてもらえる?」

「あっ、そうですよね! ごめんなさい!」

「え、てかノノちゃんのマネさんむっちゃ美人じゃないですか……!?」

「そう! それは本当にそう!」

「ちょっと、あなたまで乗っかってどうするのよ」


 それからもう二、三やり取りをし終えると、姫崎のファンとみられる女性たちはそそくさと退散していった。

 先程から視線を向けられていたのは、どうやら姫崎が原因だったらしい。

 嵐が過ぎ去りアリスは胸を撫でおろしたが、これではゆっくりコーヒーを飲むことも難しいだろう。


「あはは、ごめんねオネーさん」

「ああいうことになるのは初めて?」

「ううん、街ん中歩いているとしょっちゅうだよ」

「それなら少しはサングラスかけるなり、変装とかしたらどう? あんなのキリがないでしょう。っていうかそのためのマスクじゃないの?」

「マスクはノノのデフォなのである。んまぁ、別にボクは困ったことないし……あ、人だかりが出来て怒られるとか、そういうのもしたことないよ」

「現に私が困ってるのよ……」


 全くとアリスは大きなため息を吐き、姫崎は変わらずのんきにピースをしながらフラペチーノを吸っている。

 随分と神経の太い女子高生だ……という悪態は飲み込んで、アリスはジャケットのポケットからサングラスを取り出した。

 薄い色の入った丸グラスのサングラスを、姫崎へと差し出す。


「……?」

「貸すからかけておきなさい。これじゃあちっとも話が進まないから」

「……いいの?」

「何が」


 貸すって言ってるじゃないと、受け取らない姫崎を無視してアリスはサングラスをかけさせた。

 本当なら帽子も被らせたいが、あいにくそちらの用意はない。パーカーのフードでも被らせるか……。

 アリスがそう考えていると、サングラスから見える景色に姫崎は「おぉ~」と感動しながら店内をぐるりと見回し始めた。

 そうして一周すると、こちらへ真正面に顔を向ける。


「どう? 似合ってる?」

「似合ってる似合ってる」

「あー! 適当な相槌いけないんだー! ホントに似合ってる!? 変じゃない!?」

「大丈夫よ、可愛いんだから何着けたって似合ってる」

「うーそーっぽーーーーい!」

(やかましい……)


 そんなに大声を出したらまた注目の的じゃないか。サングラスの意味は、と拳を握りしめながらなんとか怒りを鎮める。

 これでも一応クライアントなのだ。

 そこのところは年齢性別関係なく、等しく接するべきである。


「わ、ホントだ。ちゃんとかわいい、ボクに似合ってる」


 どんなに面倒くさくても。


「それで姫崎さん、こちらとしてはまだ依頼を完全に引き受けると決めたわけじゃないの。詳しい依頼内容を改めて、あなたの口から聞くために私はここに来た。そこは大丈夫かしら?」


 いつまで経ってもこれでは話が進まない、とアリスが口火を切ると、姫崎はスマホを手にしたままこちらへ顔を向けた。

 「私もそんなに暇ではないんだけど」と訴えたのが伝わったのか、姫崎はそりゃそうですよね~といそいそとスマホをポケットに突っ込む。

 そして空になったフラペチーノを手にして、椅子から立ち上がった。


「じゃあ、移動しよっか」


 声を潜めてそう言う姫崎はゴミ箱へカップを捨てに行ってしまう。

 その後ろ姿を見て、アリスの眉間にはしわが寄った。


「……じゃあどうして待ち合わせをここにしたのよ」


 まさか、本当に新作のフラペチーノを飲むためだけに?

 と考えたところで、バカバカしくなりアリスは考えるのをやめた。



 ##  



「オネーさんが確認したいのは、ボクが持ち掛けた依頼の詳細ってこと? それともお金の話? あれじゃ足りない?」

「金額は人によってピンキリだから、こちらからとやかく言うことはないわ。あまりにも低い金額だとそもそも即お断りだけど」

「じゃあ第一次審査は通ったってこと!? やったぜ!」

「まぁ……大まかには、そう……かしら?」

「じゃあじゃあ、次は二次面接ってとこ? 動機とか話してオネーさんを納得させればいいわけだ。えぇ~、御社に応募したボクの動機はですねぇ」

「企業面接じゃないのよ、っていうかどうして『オネーさん』呼びなのかずっと謎なんだけど……」

「え? だって、オネーさんって感じじゃん! お名前は!?」

「知ってるでしょう、アリスよ」

「ご趣味は!」

「いつまで続ければいいのコレ」


 根負けして露骨に嫌な顔をすると、姫崎は楽しそうに笑い声をあげた。

 彼女はもしかしたらよくわからないのではなく、人をおちょくるのが好きな人間なのかもしれない。

 もしくはこの世で一番マイペースな人物か……。

 しかし一呼吸ついて辺りを見回すと、より目の前の女子高生の謎が深まるばかりだった。

 場所を変えようと提案した姫崎はここへまっすぐアリスを案内した。

 都内に建つ由緒ある高級ホテルのラウンジ。

 出入り口にはドアマンが背筋を伸ばして来客を待ち、宿泊の際には多額のデポジットを取るような、貧しかった頃の自分には考えられないような超高級ホテルだ。

 何食わぬ顔で彼女はここへ入るとさっさと居座る席をキープして、つい先程軽食とドリンクを注文したところ。


(とりあえず、彼女が提示していた報酬の方は疑わなくて大丈夫そうね)


 これがわかっただけでも依頼人の覚悟は計測出来る。

 支払えるはずのない額を吹っ掛けてくる依頼人はたまに現れるが、その大半は自暴自棄になっているだけのことが多い。

 しかし、依頼人にとって我々殺し屋は復讐の道具でしかないだろうが、こちらにとってはビジネスなのだ。

 信用の足らない仕事はまず受ける気にもならない。


「はい、オネーさんの紅茶」

「え? 頼まなかったでしょ私、水でいいって」

「えぇ~? でももう来ちゃったから、これはオネーさんの分。ノルマね」

「ノルマって……」

「そしてこちらは季節のパフェ~はぁ~おいしそ~~~」


 メニュー表の金額を見て血の気が引いたのでドリンクは断ったのだが、どうやら女子高生が気を利かせたらしい。

 運ばれてきたパフェとドリンク二杯の金額が頭をよぎり、アリスは目を瞑った。


「さて、いい加減本題に入りたいのだけど、いいかしら?」

「パフェ食べながらでもい?」

「それはご自由に」

「ん~オネーさん神」


 依頼人:姫崎乃々。

 職業:高校生、自由業兼業。

 依頼内容:三人の標的の排除。

 報酬:一人につき一千万、プラス契約締結時に一千万。全て前払い。

 以上が事前に提示されている依頼内容だ。


「まず、この三人というのは?」

「うん、一人はある配信者。ネットでは有名だし、ボクも多少関りはある人なんだけど、ちょっと目に余るというかー……まぁゴミくずってところかな」

「それが素性の判明している一人ね。他二人は?」

「二人目はネット名義しかわからない人。残念ながら男か女かわかんないんだよね~。でも、生きてられると困る人」

「誰が困るの?」

「ボクが困る」


 大きく開いた口でパフェを頬張る姫崎は、声音を変えずに答えた。


「で、三人目なんだけど~……」

「?」

「これが一番わかんない」

「わからない人を始末しろと言われてもね」

「ううん違う違う、名前はね、……多分『ナンバー』って名前」

「……ナンバー」

「なんて言うんだっけ、えーっと……闇ブローカー? 的な?」


 その一言でアリスは大方のことに納得がいった。

 たかが高校生がどうして殺し屋へ依頼を飛ばせたのかという疑問は、彼女がそういう世界を少なからず知っているかららしい。

 てっきり私怨による殺しの依頼かと思っていたが、それは撤回しなければならないようだ。


「その『ナンバー』という人物の存在はどうして知ったの?」

「んまぁ配信者仲間も色々いてね、そっちの方面に手足突っ込んでる人もいるってワケですのよ」

「その人物を始末したい動機は?」

「? そんなのひとつしかないじゃん?」


 ――悪い人だから


 アリスが請け負う殺しの依頼は大きく分けて二種類。

 多くは悲嘆にくれる依頼人から引き受ける、「復讐」の仕事。

 そしてもう一つは、この平和な世界に存在すべきではない人間を「駆除」する仕事。

 どうやら今回は後者の依頼だったらしい。


(まぁ、二人目は若干私怨っぽい感じもするけど……やっぱりこの子はよくわからないわ)


 たった一人の少女が、殺し屋に殺しの依頼をしてきた。

 それも世直しの為にと。

 タレントとも呼べる業種の世界に入り見たくないものでも見たのか、はたまた女子高生という立場からこの広い世界を見て要らないものの存在に気付いてしまったのか。

 どちらかはわからないが……彼女、姫崎乃々は何かを知ってしまったのだろう。

 世界の見なくていいところ、日陰であるところ、自分のような「殺し屋」という生涯関わるべきではない存在のこと。


「……最後の質問」

「! 社長面接だ!」

「いいのよもう、そういうのは」

「なになに? なんでも聞いて」

「正直、一人目と二人目まではまぁ普通に引き受けようと思っているの。でも、その三人目について」

「うん」

「『悪い人』っていう評価は、あなたの主観の評価? それとも周りからの客観的評価?」


 多額の金銭を稼ぎ、心身ともにもうじき大人を迎える時期とはいえ、アリスはまだ姫崎を子どもとして見なければならない。

 いわゆる多感な時期、特に周囲からの影響もまだ大きい年頃だし彼女の職業柄様々な大人たちと関りを持っていることだろう。

 だからこそ、彼女自身の答えを聞かなければいけない。

 アリスが腕を組んで姫崎の返答を待っていると、スプーンを手にした少女はキョトンとした顔で答えた。


「人を殺した人は、悪い人でしょ」


 至極、当たり前の答えだった。

 それを聞き、アリスはゆっくりと瞬きを一度する。


「わかったわ。あなたの依頼を引き受けましょう」

「……え!? ホント!?」

「えぇ。ただそうね、素性調査もあるから少し時間が欲しいわ。情報収集が得意な仲間にも声をかけたいし、それに」

「っ~~~~~! やった――――!」

「!?」


 よほど嬉しかったのか、姫崎は椅子から立ち上がるとその場でぴょんぴょんと跳ねだした。

 周りの目もあるし何より場所が場所なので止めたかったが、アリスが止めに入る前に姫崎はストンと再び椅子に座り直す。

 見かけによらず緊張でもしていたのか、彼女は何度もよかったよかったと口にしながらクリームソーダを啜っている。

 その様子を見てアリスはどこかホッとしたが、それもつかの間。

 姫崎がフロントに向かって手を上げた。

 それを合図に奥から一人のホテルマンがまっすぐこちらへやってくる。

 手には小ぶりなアタッシュケースが見られた。


「でね、オネーさん」

「……はい」


 仕切り直すような姫崎の声に、なんだか嫌な予感がした。


「ボクの依頼を受けてくれるってことだけど、実はもう一つお願いしたいことがあって~」

「それは契約外の話になるわ。殺しの追加はそう簡単には引き受けな」

「ううん違う違う! あのね、ボクのボディーガードもして欲しいの」

「……ボディーガード?」

「うん、付きっきり、二十四時間、ボクの家に住み込みで」

「住み込み!?」

「だってほら~。ボクつまり、これから配信者界隈の闇にメスを入れるってことでしょう? ワルモノ退治はそりゃやるぞ! って感じだけど、いつ報復があるかもわかんないし、そういう噂も流れたらボク夜しか眠れなくってぇ」

「そんな噂が流れるような下手な仕事はしないし、夜に眠れるなら十分でしょ」

「だからね、お願い?」

「専門外よ」

「オプション料も払うから~」

「そんなオプションはそもそも……」


 ホテルマンはこちらが取り込んでいるというこの状況を無視して、姫崎の脇に立つとアタッシュケースを開いた。

 猫なで声を出して可愛い子ぶる女子高生の脇には、実にかわいらしくない札束の山。

 まさか現金キャッシュとは。


「契約金の一千万に加えて、ボディーガードのオプション料の五百万! ……じゃ足りなかった? やっぱり一律一千万の方がいい?」

「…………」

「や、やっぱりダメか! 足りないか! ちょ、ちょっと待っててオネーさん! ボク今すぐ銀行行ってお金引き落としてくるから!」

「……ちょっと、時間をちょうだい」


 つい数分前に彼女の評価を変えたところだったが、それは忘れた方がいいかもしれない。

 やはり人とは第一印象が大抵正しいものだと、アリスは痛感する。


(何のために帰ってきたの、アリス。妹のこととケリをつけるために、仕事をしに来たんじゃない……)


 だからどんな仕事であっても、まずは向き合うことから……。

 項垂れていた頭を上げると、飛び込んできたのはやはり札束の山。

 幻覚ではなかったらしい。


「……もっと簡単な仕事だと思ってたのに」


 口の端から漏れたアリスの消え入るような声に、姫崎はパフェを完食しながら首を傾げるだけだった。


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