1.ガールズトーク/前編
妹は三年前に死んだ。
その報せを聞いた時驚きはしたが、悲しむことは許されなかった。
いつ死んでもおかしくない、そういう仕事をしているのだからそれは当たり前のことで、遅かれ早かれいつか聞く報せだったのだ。
そう頭の中で反芻しながら、アリスはこれから降り立つ母国を眺めながらため息を吐いた。
日本行きの国際便。そのファーストクラスの席で、アリスはタブレットを開いて仕事の確認をする。
この「アリス」という名前は仕事で使う名前であり本名ではない。
生まれは日本の小さな田舎。しかし物心ついた頃には既に両親はおらず、田舎の小さな施設で育てられた。
同じ境遇の子供らと一緒に家族同然に育てられ、貧しくも何とか勉強もさせてもらって、血の繋がらない兄妹も出来た。
そしてある時その施設をよく訪れていた人物に兄妹揃って拾ってもらい、今の自分がある。
この仕事に就いた時、その親代わりの人から「アリス」という第二の名前を貰った。
だがその大事な妹というのが三年前、仕事の最中に命を落とした。
骨は帰ってこず、何とか手元に戻ってきたのは兄妹三人が揃ってつけていたペンダントのみ。
三人のペンダントを重ねるとひとつの形が完成するという、三人が揃っていなければならないという願いを込めて親代わりの人がくれたものだ。
そのバラバラにあるべき三つのネックレスの内、二つが今アリスの首にかかっている。
二つのネックレスが擦れる小さな金属音が耳に届く度、アリスはわずかに眉間にしわを寄せてしまう。
(いや、いつまでも感傷に浸ってる場合じゃない。そのために海外(そと)で仕事をしていたんだし……それに)
妹の死からもう三年が経つ。
そろそろケリをつけるべきじゃないか?
親代わりのあの人からそう連絡が来て、躍起になって仕事をこなしていた日常から目が覚めた。
血の繋がらない兄も心配はしてくれていたが、あまりそういうことは口にしない人物なのでずっと自分をそっとしておいてくれた。
目を背け続けた現実に向き合い、躍起になっていた自分を省みて、結果今こうして帰国のために飛行機に乗っている。
タブレットの受信箱に表示された親と兄の名前を目にしてそんなことを思い返しながら、アリスは新規依頼の精査をしていた。
元々は国内での仕事がメインであるため新規の海外の依頼は全て断り、更に自分でなくても誰かが出来そうな仕事は適任であると思える知人に振り分けていく。
そんな中、ある依頼が目に付いた。
依頼人は女子高生らしいが、その名前にはどこか見覚えがあった。
どこで? としばらく思考を巡らせていると断片的に情報を思い出し、検索エンジンにその名前を入力すると関連URLがいくつも表示される。
やはり記憶通り、その依頼主は配信サイト等、ネットで知名度の高い女子高生だった。
「でも、どうして女子高生から依頼なんて……それに」
何事もなく平和に暮らしている一般人は、この業界に仕事を頼むコネクションがそもそも存在しないはずだ。
とすると、この有名配信者女子高生も何かそちらの、アングラな一面があると……?
(……ま、考えても仕方ない)
依頼内容はやや重め、報酬予算は依頼主の想定年収から計算した相応の金額。
話を聞いてみるのはアリと判断して、アリスはそのまま引き受ける手続きを開始した。
諸々の作業が終わる頃には機内アナウンスが鳴り、間もなく着陸の時間となる。
飛行機は予定通り昼前に着陸し、搭乗者は続々とエントランスへ流れていくが、アリスだけは別通路の方へと歩を進め、非正規の通路を何食わぬ顔で突き進んだ。
専用の荷物検査を通過し、荷物を引きながら専用の出口からロビーへと繰り出す。
その出口付近で鉢合わせた空港職員と目が合ったが、職員は即座にアリスの素性を理解すると会釈だけしてそそくさとその場を立ち去った。
(初めて見たのかしら、裏稼業専門のゲートから人が出てくる光景)
アリスは職員の後ろ姿を一瞥して、空いた隙間時間を埋めるために空港ロビー内の喫茶店を探しに歩き出した。
#
殺し屋という仕事を好きで選んだわけではない。
ただ、拾ってくれた親代わりの人、つまり現在の“ボス”の仕事が殺し屋だったというだけ。
もちろん最初はボスも私たちが同じ生業になることを拒んでいたし、こんな薄暗い世界とは無縁で平和な世界を生きてほしいと何度も言っていた。
それでも、何も持っていなかった私達なりにボスへ恩返しをしたくて。
最初の動機はそれこそ「役に立ちたかった」という単純なものだった気がする。
アリスが日本へ到着してから三日が経過していた。
平日昼過ぎの大手コーヒーチェーン店はまださほど人がおらず、若い学生が学校にいる時間ということもあって静かだ。
訪れる客の多くは新作のフラペチーノを注文する中、アリスはブレンドコーヒーを注文し窓際の席に腰を落ち着けていた。
甘いものが苦手なわけではないが、流石にあの量の甘い飲み物は飲み切れる自信がない。
スマートフォンの時計を確認すると、もう間もなく新しいクライアントが到着する時間だった。
新しいクライアント、例の有名配信者兼現役女子高生の彼女である。
詳しい依頼内容はこれから直接聞き、それから最終的に依頼を受けるか断るかを決めるつもりだが、ざっくりとした概要は既に把握していた。
標的は三人。
内一名は素性が割れているが、他二名に関してはネット上の名前しか把握していないため、そちらの方は素性調査からしなくてはならない。
報酬は成功報酬ではなく前払いで一人につき一千万円。
更に依頼を引き受けた時点で契約金として同じく一千万円を支払うとのこと。
合計して四千万円。
殺し屋の報酬としては並みよりやや上な額だが…正直なところ、この金額をいち女子高生が払えるのかというところが怪しい。
金額からしてただのお遊びで依頼をしているようには思えないが……よくわからないというのが今出せる結論だった。
(親族の仇のために……っていう依頼なら何回か子供から受けたことはあるけど、そうでもないっぽいし)
こういう仕事をしていると、最初に振られる簡易的な依頼内容を見れば依頼者の顔は漠然と浮かぶものである。
かつての恋人の始末を願う、人生が破滅している女性。
理不尽な会社に父親を奪われ、やりきれない気持ちを持て余す残された家族。
不慮か故意かわからない事故で子供を亡くした、傷の癒えぬ親。
法律で何とか出来そうな案件は基本的には請け負わない。
どれだけ巨額の予算を提示されても、そういうものは国が何とかしてくれるからだ。
ただ、それではもうどうにもならない、どうしようもない、八方塞がりになっているような案件をアリス達は引き受けている。
それともうひとつ、こういった復讐とは別の仕事もたまに受けることはあるが……。
「オネーさんが、アリスさん?」
思考の最中、不意に声をかけられて顔を上げるとそこにはセーラー服に身を包んだ女子高生が立っていた。
手には新作のフラペチーノを持ち、黒いマスク、セーラー服の上着にパーカーを着、背負っているのは学生鞄ではなく悪魔の羽根が生えた革のリュック。
その大きさじゃあ教材が入らないでしょう、とアリスは胸の内で呟く。
「私はアリスだけど、あなたは?」
「おぉ~! 本物? 本物だあ! えぇ~!! もっと厳ついおじさんとか、スーツでビシッと決めた強面の男の人だと思ってた!」
「……名前から性別はわかるでしょう」
「そんなの見て見なきゃわかんないじゃ~ん。へえ~すっごい美人さん! 髪キレ~いい匂いする~」
「……」
まぁ、現役女子高生には違いない。
彼女たちは独特なテンションを持っているものだ。
かつての自分もそうだったのだから……とアリスは咳ばらいをひとつして、彼女へと片手を差し出した。
「……?」
「…………」
「……握手?」
「身分証の確認。話はそれからよ」
「うっはあ! カッコイ♪」
(……テンション高いわね)
促すと女子高生はスマホケースに入れていた学生証を取り出してアリスへ渡した。
依頼人の情報と住所等も一致する。
正真正銘、彼女が今回の依頼人というわけだ。
タブレットにある情報との確認を終えると、向かいの席に座った姫崎に学生証を返す。
「ありがとう、確認させてもらったわ」
「いえいえ~ってオネーさんコーヒー飲んでる。かっこいい……」
「コーヒーにかっこも何もないでしょう。それより、待ち合わせがこんな場所で本当によかったの? これから仕事の話をするのに」
「え? だって、まだ今月のフラペ飲んでなかったから」
「……」
「それに~、こういう街中の喫茶店で秘密のお話、っていうの? 映画みたいでかっこよくない?」
「…………」
実際には映画に限らず、こういった場所を待ち合わせにすることはあるにはあるのだが、今は状況が違う。
真昼間から女子高生と成人女性がお茶をするなんて、家族や知人でないとバレたら宗教勧誘か何かと勘違いされかねない。
既に店内にいる若者からちらちらと視線を感じるし……。
「っていうか、今二時よね? あなた学校は?」
「ん~? 早退」
「華の高校生でしょ、早退なんてもったいない……」
「んーや、今のボクには高校生活より楽しいことが待ってるんだから! 早退なんて朝飯前よ」
「朝飯前じゃ困るのよ」
何をもってピースしているのかさっぱり分からず、アリスは額に手を当てる。
元々怪しい依頼ではあったのだから依頼人にもおかしなところがあると思っておくべきだった。
黒い髪にピンクのインナーカラー、ナチュラルな化粧もしている。
ピンクのネイルもしているのでピンクと黒のセットが好きなのだろうということは誰が見てもわかる。
それだけを見ればどこにでもいる可愛らしい女子高生だ。
配信業で有名らしいが、今時そんな若者も珍しくはない。
問題は、この可愛らしい女子高生は殺し屋に「三人の人間を殺して欲しい」という依頼をしているということだ。
その無垢な笑顔の下にはいったい何を隠しているのだろう。
「あ、あの! ノノさんですよね!?」
「?」
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