第9話 ハヤテの過去

ハヤテとリリスは炎の祭壇を後にし、森の外れで一時休息を取っていた。夜空には星が瞬き、涼しい風が二人の汗を冷やす。リリスはフェニルとの契約で得た新たな力を感じ、胸の炎の紋章をそっと撫でる。ハヤテは木の根元に腰を下ろし、剣を膝に置いて空を見上げている。シエルの気配が彼の周りを穏やかに包むが、どこか沈んだ雰囲気が漂う。リリスはハヤテの横に座り、焚き火に手を翳しながらチラリと彼を見る。


「ねえ、ハヤテ。あなた、さっきの試練で…なんか変だったわよね。炎の回廊で、幻影に動揺してたでしょ。何を見たの?」


彼女の声は軽い好奇心に満ちているが、どこか気遣うような響きがある。ハヤテは一瞬目を逸らし、苦笑する。


「…別に、大したことじゃねえよ。試練なんだから、誰だって心揺さぶられるだろ」

「ふーん、誤魔化すんだ。でもさ、あなたってほんと謎が多いわよね。風の精霊使いで、めっちゃ強いのに、なんでこんな森でブラブラしてるの? 何か…隠してるでしょ?」


リリスの鋭い視線に、ハヤテは少し肩をすくめる。シエルの声が頭に響く。


『ハヤテ、話してもいいんじゃない? リリス、信頼できる子よ。試練で証明したでしょ』


「…ったく、シエルまでそそのかすのかよ」

ハヤテは小さく呟き、焚き火を見つめる。リリスは黙って待つ。やがて、ハヤテは深く息を吐き、口を開く。


「まぁ、いいか。お前が自分の村のこと話したんだ。俺も少し話すのが筋かもな」


ハヤテの故郷は、風の谷と呼ばれる山間の小さな集落だった。そこは風のマナが濃く、風の精霊と共存する民が暮らす場所だった。ハヤテの家系は代々風の精霊使いの血を引き、村の守護者を務めていた。特にハヤテの父は、風の精霊と契約した強力な剣士として知られ、村人から尊敬されていた。


「俺がガキの頃、親父はヒーローだった。どんな魔獣が来ても、風の剣で一瞬で片付ける。俺もそんな風になりたくて、毎日剣を振ってた。親父に認められたくて、必死だったよ」


ハヤテの声は淡々としているが、どこか懐かしさが滲む。リリスは焚き火の向こうでじっと耳を傾ける。ハヤテが10歳のとき、シエルと出会った。風の谷の奥にある古い祠で、偶然剣に宿る風の精霊の声を聞いたのだ。シエルは気まぐれで少し皮肉屋だが、ハヤテの純粋な心に惹かれ、契約を結んだ。それ以来、ハヤテはシエルと共に剣の修行に励み、父を超える剣士を目指した。


「シエルと契約したときは、めっちゃ興奮したよ。親父にも見せたら、『お前も一人前だな』って初めて褒めてくれた。あの頃は、毎日が楽しかった」


ハヤテの口元に微かな笑みが浮かぶが、すぐに曇る。リリスは何かを感じ取り、身を乗り出す。


「…でも、なんかあったんでしょ? 試練の幻影、ただの思い出じゃなかったよね?」


ハヤテはしばらく黙り、焚き火の火花を見つめる。やがて、重い口調で続ける。


ハヤテが15歳のとき、風の谷に異変が起きた。穢れの影が谷を襲い、魔獣たちが異常な力で暴れ始めた。ハヤテの父は村を守るため戦いに出たが、穢れの力は予想以上に強く、村は壊滅的な被害を受けた。ハヤテもシエルと共に戦ったが、まだ若く、力不足だった。


「親父は最後の戦いで、穢れの元凶…でかい黒い龍みたいな魔獣と相打ちになった。俺は近くで戦ってたけど、親父を助けられなかった。村人も、友達も…ほとんど死んだ」


ハヤテの声が低く震える。リリスは息を呑み、言葉を失う。


「そのときの光景が、試練の幻影で出てきた。あの黒い龍が親父を飲み込む瞬間、俺が剣を握ったまま動けなかった瞬間…全部、頭に焼き付いてる」


ハヤテは剣を握る手に力を込める。シエルの声が静かに響く。


『ハヤテ、あのときはあなたも精一杯戦ったわ。誰もあなたを責めたりしない』


「…わかってる。でも、俺がもっと強ければ、親父や村を救えたかもしれないって思う。ずっとその後悔が離れねえんだ」


穢れの戦いの後、ハヤテは村を離れ、旅に出た。風の谷の生き残りは少なく、残った者たちは別の地に移った。ハヤテはシエルと共に、穢れの原因を追う旅を始めた。世界樹のマナが汚されているという噂を聞きつけ、各地を巡りながら手がかりを探している。それが、彼がこの森にいる理由だった。


「俺が森でブラブラしてるってのは、半分本当だ。けど、半分は穢れの元凶を見つけるため。親父が戦ったあの黒い龍…あれがまだどこかにいる気がするんだ。世界樹のマナを汚してる奴と関係してるかもしれない」


ハヤテの瞳には、静かな決意が宿る。リリスは焚き火越しに彼を見つめ、しばらく黙っていた。


「…ハヤテ、あなたの村も穢れにやられたんだね。私の村と同じ」

リリスが静かに言う。彼女の声には、共感と力強さが混じる。


「私も、村を救うためにフェニルと契約した。あなたと同じように、負けたくないって思ってる。だから…一緒に戦おうよ。穢れの元凶、絶対見つけてやる!」


ハヤテはリリスの言葉に少し驚き、笑みを浮かべる。


「お前、ほんと負けず嫌いだな。まぁ、悪くないぜ。相棒として、頼りにしてるよ」

「ふん、相棒って言うなら、ちゃんと私のペースに合わせてよね! 置いてくわよ!」


リリスは照れ隠しに笑い、焚き火に薪を投じる。火花が舞い上がり、夜空に消える。


『ハヤテ、リリスと一緒なら、あなたの後悔も少しは軽くなるかもしれないわね』


シエルの声に、ハヤテは小さく頷く。「ああ、かもな」


休息を終え、二人は立ち上がる。リリスの村を目指し、穢れの元凶を追う旅が始まる。ハヤテの過去は彼の心に重くのしかかるが、リリスの熱い決意とシエルの支えが、彼に新たな力を与える。炎の祭壇での試練を乗り越えた二人は、互いを信頼し、絆を深めていた。


「ハヤテ、村に着いたら、私の家族に紹介するわよ。…まぁ、変態呼ばわりされるかもしれないけど」

「変態はもういいって! ったく、お前も大概だな」


二人は笑い合いながら、夜の森を進む。星空の下、ハヤテの剣が月光を反射し、リリスの炎が道を照らす。穢れの元凶、黒い龍の影がどこかに潜む中、二人の冒険は新たな章へと進む。

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