終わり

「倒産前から、ずっと貯め込んでたって事だよね。いや、官報にあんたの名前が全然出てこないから、不思議に思ってたんだけど、こんなに貯め込んでたなんて思いもよらなかった」


 官報? と聞いて一瞬分からなくなったが、直ぐに「そういえば、自己破産すると官報に名前載るのだったな」と思い出した。


 つまりは、私が自己破産をするに違いない、と私の会社を潰した犀陵千秋は思っていた訳だ。本当に容赦がない。自分の目的の為なら、自己破産させても構わない、なんて思っているなんて。この兄弟の元にいるという伊吹は大丈夫か、本当に。


「……私は、ずっと私に集る親族達に、私も余裕はない、とか、その美術品は偽物だ、とか言い続けていたから。本当は溜め込んでいたのがバレたら、また集られる」


 私は、目を伏せてそう告げた。

 親族達が私や会社から、集っていた、寄生していた、というのは、倒産前は恥だし会社内部の事だし、誰に言っても仕方がない、と私は関係者以外は言わなかった。しかし、私が隠していた、親族達や私の会社の実態が既に世間に出ている。


 会社も有名な犀陵が関わっていた事、粉飾額が会社規模に比べて多額だった事、色々と大変な事になっていた親族の一人が、自分達のバカさ加減に気が付かずメディアのインタビューに応じて、一般常識から隔絶した、社会を舐めた自分達のことをわざわざ証言してネット炎上を起こした事で、既に明るみに出ている。


 返済に一番役に立ったのが、本家の広過ぎて正直不便だった土地だ。家屋の方は古いし、地下に何故か座敷牢があるし、隙間風も入ってくるし、とあまり価値が付かなかったが、土地は広かったのもあって、いい値がついた。


 が、たまに親族の集まりでやってくる親族達は、そんな自分達が住んでもいない本家の土地家屋も「自分達の特権階級の証」とかと認識していた節がある。会社の為とはいえ、もしも土地家屋を売ろうとしたら、「先祖代々の土地を売るなんて何事か」とか言われて、反対されただろう。下手すれば、私は代表取締役から解任される可能性すらあった。


 その事を告げるが、犀陵千秋は納得しなかった。


「倒産直前、その親族達はあんたに株を押し付けて逃げたんだろ。株の過半数は最終的にあんたが握ってた。なら、経営合理化して、これだけの金を運転資金に回せば、もしかしたら、とか、考えなかったのか?」


 その指摘に、私は一瞬息を呑む。

 犀陵千秋の琥珀色の瞳が、私を見つめている。奥底で、あいつよりも烈しい火が、ちりちりと燻っている。


「しかも、倒産の仕方も清算型。経営者に有利な方法で会社をたたむ事ができる再建型じゃなかった。独自技術を持っていたんだろ。なんで、この世から完全に会社を無くすなんて」


 犀陵千秋は、本気で理解できないように、頭を振った。


「会社のために、伊吹を探していたんだろ、ずっと」


 今度は、私が眉間に皺を寄せる番だった。


 考えはした。


 倒産の仕方も、清算型ではなく、再建型にしたらどうか、と勧められたりした。私は社長でなくなるが、従業員の雇用は守れるし、事業も無くならないかも、私が背負う負債は確実に減る、と。でも、私は、会社をこの世から跡形もなく無くす事を選択した。再建型にして、少しでも会社が残るなんて、考えられなかった。


 私は、思い出す。






 

 ――白い布。

 

 会社があるから、和樹から目を離すことになった。


 ――私から逃げる、伊吹の背。


 会社は、伊吹を縛るのに、なんの役にも立たなかった。


 あれだけ、私が不正までして維持してきた会社は、何一つ私に報いなかった。


 だから、全部、私の手で、長年続いてきた会社を潰したのだ。


 殺してやったのだ。


 この世から、跡形もなく。私自身の手で。






 私は、ため息をついた。


「独自技術があっても、時流に沿った商品を生み出せなくなっていたし、設備も古くなっていたからね。皆、余裕がないからハラスメントも多かった。潰してしまった方がいい」


 犀陵千秋の眉間の皺は、納得していないように取れなかった。でも、しばらくすると、はぁ、とため息をついて、顔を軽く振った。私をまた見つめるその眉間には、皺が残っていなかった。


「ま、そちらにはそちらの都合があるんだろう。俺だってこれでも社長だからね、一応確認しておきたかっただけさ」

「ならよかった。それで、ご両親の説得は」

「えぇ、諦めないな。まあ、話はしてみるけど期待はしないでよ。母さんも絡んでいる以上、もう望み薄だから」


 私は、その言葉に肩を落とした。

 本当に、なんなんだ、あの夫婦は。


「あ、そうだ、籤浜大志」


 犀陵千秋は、席を立ちながら言った。


「伊吹に会いたい?」


 硬い顔と声のその言葉。一瞬だけ反応が遅れたが、私はすぐに首を振る事ができた。


「私とて、恥を知っている」

 

 跡取りを強要しておいて、実際の会社経営は火の車で、結局会社は倒産して。


 伊吹の目から見た私が、どんな風に映っているか分からないほど、私はまだ朦朧していない。


「君がもし、伊吹と連絡が取れるなら伝えておいて欲しい。私が死ぬまで手出しは無用、とね」

「そう」


 犀陵千秋は、それだけ言って私から背を向けた。私が座っているテーブルの上には鍵がある。流石に、息子は私を監禁する気は無いようだ、と安心して息を吐く。そして、同じくテーブルの上の私のスマホを手に取ったとき、思い出した。


「君」

「ん?」


 私は、先程まで売ろうか保持しようか考えていた銘柄の会社名を口にした。


「この会社。知っているかね」

「うちの取引先だった気がするけど。何?」

「いや、私はこの会社の株を持っているんだが、この会社は、」


 言いかけた私に、犀陵千秋は、一気に呆れた顔になり、ストップ、と私に言った。その白い手のひらを広げて、私に見せている。


「言っておくけど、うちの取引先だって以上のことは教えられないからね。インサイダー取引に抵触したらどうするのさ」

「……」


 私は、それはそうか、と思って、素直にスマホをしまった。株は大事に。私の社長経験が教えてくれた大原則だったのに、社長職を離れてから大して時間は経っていないのに、案外すぐ忘れてしまうものだ。


「これ以上もう無いよね? なら、俺行くからね」

「ああ。ご両親の説得を期待しているよ」

「そうだね、俺にインサイダーの片棒担がせようとした、と言っておくよ。直ぐにあんたの事、見限るかもだし」


 そうなったら本当にいいな。


 私は心からそう思うと、犀陵千秋が出て行くのを見守った。


 程なく、外から車が動く音がする。エンジンの音が鳴り、遠ざかって行く。


 さて、私も帰るか。


 私は、ベッドの枕元に置いてあった私の荷物を手に持って、鍵を開けて部屋から出ていった。鍵は、扉の近くの棚に置いておく。


 すっかりと間取りを覚えた家の中を玄関を目指して歩く。玄関に着くと私の靴は、下駄箱の中にしまってあった。そういえば、犀陵時次は靴に凝っているらしく、私も一緒にオーダーしないか、と昨日言われた。今更、そんなに靴に凝るつもりはないし、犀陵時次に奢られるのも嫌なので、強く断ったが。


 私は、誰にも邪魔されず家を出る。


 慣れた帰り道に、高級住宅街の景色。その中を、真っ直ぐに歩く。


 猫は、大人しくしているだろうか。毎月、一泊二日、監禁されているから、その間、1匹にして申し訳ない。犀陵時次の事が大嫌いで、犀陵時次の首元を直ぐに狙ってくるから、犀陵時次は、私のアパートには現れなくなったのは、大変ありがたい。帰ったら、たくさん撫でて、遊んでやらなければ。私が死ぬまでに、人慣れ訓練をして、貰い手候補も探してやらなければ。

 

 私は、しばらく歩いてから、立ち止まって、犀陵時次の家の全体を見た。


 犀陵時次は2代目の社長だ。しかし、創業者を大きく凌ぐぐらい会社を大きくして、上場を果たして、こんな高級住宅街に広い家を建てて、美人な妻に優秀な息子達にも恵まれた成功者である。


 私とは違う。


 譲られた財を保つことに精一杯で、先代の尻拭いばかりで、私は何一つ会社に積み上げる事が出来なかった、無能な社長だ。家庭でも、失敗ばかりの父親だった。私が会社に、家庭に築いたものなど、何一つない。

 

 あいつのように、自ら積み上げたものがあれば違ったのか。


 そうすれば、会社は、私に報いて、もしかしたら、和樹と伊吹が私の近くにいてくれる未来もあったのだろうか。そんな、夢のような、幸福な世界があったのだろうか。


「……馬鹿だな、私は」


 私は、馬鹿馬鹿しくなってため息をついた。

 こんな変な事を考えるのはよそう。まだ金を返しきれていないのにまた直ぐにでも死にたくなってしまう。伊吹にこれ以上、迷惑をかけては駄目だ。もう、愛し方を間違えてはならないのだから。全ての籤浜の事を、私の代で終わらせなければ。伊吹が、自由に生きる為に、私のできる事を全てやらなければ。


 私は、前を向いて歩き出した。

 私が一から作り上げて、手を掛けたアパートに帰る。


 修繕工事の計画を立てて、住人アンケートの内容を記録して、庭木の手入れもしっかりと。ああ、ゴミステーションの掃除もやらなければ。そういえば、インターネット回線の調子が悪い、というクレームが来ていた。それもきちんとチェックして、対応して。今は満室とはいえ、不動産仲介会社への売り込みの為の資料も作成して。良さそうな不動産仲介会社をピックアップして。入居前審査の項目をチェックし直して。


 手を掛けたら掛けただけ、あのアパートは価値を生む。そうして生み出した価値や財が、少しでも伊吹の為になると、私は信じたい。少しでも、私の行いで喜んで欲しい。私が死んだ後、伊吹がこれからも生きていくための、助けにしなければ。少しでも、あいつの時間を奪った償いをしなければ。


 ――和樹。


 私は、歩きながら空を見上げる。雲も浮かんでいるが、でも、綺麗な青空だった。


 伊吹の為に生きたら、次はお前の為に死ぬから。


 あの世で、たくさん謝るから。上手く愛せなくてごめんって。顔を見れなくてごめんって。会いにいくのが遅れてごめんって。死なせてしまってごめんって。


 だから、もう少しだけ、待っていてほしい。


 絶対に死ぬから。もう、失敗しないから。


 ――お前を愛してるって、ちゃんと伝えにいくから。




 



 籤浜大志は、そう心に誓うと、浮かんだ涙が溢れる前に指でぬぐった。そして、しっかりと前を見据えて、歩いていくのだった。







 そして。






「!!!!」



 私は、慌てて街路樹に隠れた。

 しかし、道路を走る車はキキーッと、音を立てながら止まる。ヤバい。戻るか。いやだめだ。まだこいつの家のすぐ近くだ! 戻るとまた家に監禁される!


 止まった車の後ろの席のドアが左右どちらも開く。


 道路側から出てきたのは私の自称親友、犀陵時次だった。


「やっぱりか大志! いつのまに息子と通じているんだこのジゴロ!」


 ずんずん、と私に近寄ってくる。やめろ。こんな閑静な高級住宅街で大声を出すな。不穏なことを言うな。ジゴロではないはずだ私は。


「あなた方が息子にも黙って変な事をしているからでしょう! 私は帰ります! というか仕事はどうしたのですか!」

「ちょうどいた刹那と秘書に任せたわ、大志さん。別に私たちがやるような仕事でもなかったから」


 カツカツとビールを鳴らし、歩道側のドアから降りて私に近寄ってきたのは犀陵玲奈である。大きなつばの帽子にサングラスをかけてくる。似合っているし、目元がよく分からなくても立ち振る舞いで己の美を周囲に伝えている様だ。


「先ほど、千秋の車とすれ違って。おかしいと思って車を停めて話を聞いたのよ」


 あの好感度乱高下男!!

 

 私は、心の中で犀陵千秋を思いきり罵った。


「大志! 帰るぞ!」

「戻りません! 帰るって表現はやめて頂きたい! 私は私のアパートにかえ、ちょ、まっ!」


 ずんずん、と、私の正面から、犀陵玲奈が、迫ってくる。


 女性に、人妻に、気軽に触れるわけには行かないから、私は下がるしかないが、私の背後には犀陵時次がいる! 私の肩を掴んで、車に押し込めようとしてくる!


「夫婦2人揃って! 妙な事を! しないでくだ、」


 ばたん、と、無慈悲に車のドアが閉められた。

 道路側の席には、犀陵時次。歩道側の席には、犀陵玲奈。中央には、私がいる。


「出してくれ」

「……はい」


 犀陵時次の声に運転手が、引き攣った様な笑みと共に頷いた。それに、より居た堪れない。


「大志さん。ちょうど、私たち旅行に行こうと思っているの」

「ああそうだな。ちょうど、お前がくる日と被りそうで」


 両隣から、頭を抱えた私に、夫妻はそう告げる。しかし、その言葉に、私は希望を持った。なら、その旅行に行く月は、こいつらに監禁されない!


「お前もついていくよな?」

「なぜですか!!」


 私は、思いきり叫んだ。


「なぜ部外者の私があなた方の旅行についていくのですか! おかしいでしょうに!」

「もう、大志さん。主人と私で、今までどれだけの場所を行ったと思っているのかしら」


 サングラスの隙間から、今日見た犀陵千秋とそっくりの瞳が私を見つめる。


「2人だと、1日で飽きるわ」

「ならそもそも旅行に行く必要はありません!」


 私は、思いきり突っ込んだ。


「大志ぃ。あのな、これも仕事の一環なんだ。うちの会社の本業、分かるだろう。ちゃんとお前の分も金は出すから」 

「だからって私があんたらに着いて行く必要はない! それとそんな所に金を使うくらいなら、早く私に金を返させろ!!」

「大志さん。ちょうど、主人は向こうで用事があって、私が1人になる日ができそうなの」


 付き合ってくださらない、と犀陵玲奈が、私の手に触れようとしてくる。慌てて避けた。私は分かっている。犀陵玲奈は、自分の美をよく分かっている。それを使って、私を意のままに操ろうとしている。それに乗っかってなるものか! 私は自分の手を握りながら、犀陵玲奈を睨んだ。


「あら。やはりね」


 犀陵玲奈は、サングラスを外した。琥珀色の瞳が美しい。


「女性に随分と慣れているわね、大志さん。過去に相当、女性とお付き合いがあったとお見受けするわ。面白そうだから、お話を聞かせて頂戴」

「おっ俺も聞きたいな、それ」


 私は、2人の言葉に、顔が真っ青になった。


 やばい。このまま、家に戻されてまた部屋に監禁されたら、私の過去の経験が根掘り葉掘りされる! 絶対に嫌だ! 逃げなくては!


 しかし、車は走行中。両隣には訳のわからん頭のネジの吹っ飛んだ夫婦2人。片方はタチの悪い女神の様な顔で私に微笑んでいる。もう片方は、私の肩に腕を回して豪快に笑っている。


 私は、頭を抱えた。そして、自分の過去を告白せずに済む方法を、必死になって、考えたのだった。

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