終わり
また、こういう夢か。
刹那は、そう思うと、ゆっくりとその瞼を開けた。
起き上がって、顔を擦る。ベッドの枕元のスマホを見ると、時刻は夕方になっていた。9月の夕方の空を窓から見る。やはり、昼間は夏と比べて、短くなっている。
ついでに、手に持ったままのスマホで伊吹からのメッセージを確認する。特に無い。だから、刹那の方から「好きだよ」ってメッセージを送った。すぐに既読が付いた。本当に好きだ、伊吹、とスマホを見ながら、海外留学中の伊吹からのメッセージに微笑む。伊吹は照れていた。可愛い。
何度かメッセージをやり取りして、ベッドから起き上がる。今となっては、昼寝も久々な実家のベッドの上だ。刹那だって一人暮らしをしているから、部屋は昔使っていた家具があるだけで、荷物は少ない。
伊吹とのメッセージのやり取りで頭が冴えてきた。だから、あの夢の内容を冷静に思い出す。
伊吹の父、籤浜大志が、自殺した。
伊吹は、そのことを深く悲しんでいた。籤浜大志を追いかけるように、刹那の側から、離れようとしていた。
最後の伊吹とのセックスは興奮したが、でも、伊吹が刹那の側から離れようとするのはいけない。海外留学だって渋々だ。それが終わったら、伊吹は刹那と一生を誓い合う仲だというのに、離れようとするなんて。
それに、あれだけ悲しんでいる伊吹は、やはり嫌だ。
でも、どうすればいいのだろうか、本当に。
伊吹と籤浜大志を仲直りさせる? いや、下手に仲直りさせたら、伊吹が籤浜大志の元に向かいそうだ。それはダメだ。最悪、籤浜大志を拉致して死なせないようにどこかに閉じ込めるしかないだろうか。金も手間も人手も掛かるから、あまり取りたい手段では無い。全く、犯罪はコストがかかりすぎだ。やはり、皆、犯罪は避けようとする訳だ。日本の治安が良い理由はこれだと思う。
というか籤浜大志、貯め込んでいたんだな財産、と刹那は遠い目になった。
籤浜大志が死ねば、莫大な額の負債を伊吹に引き継がせて、伊吹を金の力で首輪をつけられる、なんて思ったりしていたが、あの夢の内容的に、甘い見積もりだった様だ。腹が立つ。やはり、伊吹は籤浜大志にはやれない。刹那のものだ。千秋なら、散々お互い協力し合った関係なので、なんとか許せるが、籤浜大志は、ダメだ絶対に。お義父さんだとしても、嫌なものは嫌だ。
千秋に相談してみるか、と刹那はベッドから降りた。千秋は、まだこの家にいるだろうか。
リビングに戻ると、そこには1人しかいなかった。恰幅のよく、大柄で、白髪混じりのその背中。父だった。テレビに対して斜めに置かれた、半ば父専用となっている一人掛けソファーに座って、新聞を読んでいる。
「父さん、千秋は」
「玲奈と買い物だ。荷物持ちをしろと連れ出して行ったから、夜まで帰ってこない」
「へえ」
「お前は、夕飯の支度と終わった後の皿洗い、だそうだ」
父が、経済新聞を真剣な目で読んで、めくっている。
今日、伊吹の事に関して報告をしろ、と両親に千秋と共に呼び出されたのだ。
加賀美から色々やらかしたと聞いたぞ、と、両親2人揃って怖い顔で追求された。つい加賀美の口の軽さに舌を打ちそうになったが、その前に千秋にテーブルの下で足を踏んづけられて色々耐えた。
加賀美は、立場的には千秋の部下だし、普段はそう振る舞っているが、本質的には両親の部下なのだ。だから、何か千秋と刹那揃ってのやらかしがあれば、加賀美を通じて両親に話がいく。
だから、洗いざらい両親に伝える羽目になった。伊吹と刹那と千秋のあれこれを。ちゃんと、伊吹と刹那は両思いになって、伊吹が大学卒業後、千秋の下に、刹那の側にいてくれると約束したし、首輪も付けた、という話をした。両思いになった事は物凄く強調した。
母は真顔だったが、父は眉間の皺が酷かった。どちらも怖い顔だった。それに、舌打ちを打ちたくなった。あの様子だと、もしも、また伊吹が刹那の側を離れて、千秋と刹那が強引な手段を取ろうとした場合、両親は千秋と刹那を止めるかもしれない。今からでも、両親の弱みとかを集めたり、いざという時身動きが取れないように、手を打っておくべきだろうか。
とはいえ、説得の甲斐があり、両親は「二度とこんな強引な手段を使うな」と千秋と刹那に誓わせてから解放してくれた。
なので、流石に精神的に疲れた刹那は久々の実家の、刹那の自室だった部屋で昼寝をしていたのだった。その間、千秋は母の買い物に付き合わされているらしい。母の買い物は長いしブランド品ばっかりの店に行く為、着いて行く方は気疲れがひどいのだが、今回の事は、千秋への仕置きの一環なのだろう。普段家政婦がやっている食事の支度と食後の片付けが刹那の仕事なのも同様だ。千秋の方が仕置きが重たいのは、「仮にも社長が仕事ほっぽって何をしている」という、千秋へのメッセージなのだ。
やはり、社長は千秋しかいないな、と刹那は納得した。
とはいえ、千秋がいないのは仕方がない。刹那は刹那で、どうすればいいか、案をまとめておくか。
そう考えて、刹那もソファーに座る。ソファーに向かい合うように置かれたテレビにはただ暗闇を写し、三人掛けソファーに座っている刹那と、その横の1人掛けソファーの父を写していた。
そういえば、と、テレビの中の父を見て、思い出した。
「父さん」
「ん?」
「父さんって、伊吹の父と、なかよ……同級生、なのか?」
千秋が言っていた、と付け足すと、父は驚いたような顔で、読んでいた新聞から顔を上げた。老眼鏡を掛けている。
「千秋が言っていたのか? 私は、特にその事は千秋には言ってなかった気がするが」
「父さんが忘れてるだけで、なんか言った事があったんじゃないか?」
刹那は、適当に言った。
本当は、千秋に「伊吹のクソ兄が生きていて、なんか父親共々伊吹と和解した夢を見た」と教えられた時に一緒に伝えられた。
なんか、こう、我が父ながら、大分一方通行だが、なかなかに重たい好意を、伊吹の父親に向けていた、と。
籤浜大志は、一言で言えばイケメンだ。伊吹は浮気相手の子だが、浮気相手も愛人もそりゃいただろうな、というぐらいのイケメンだ。
綺麗すぎて引かれる母とか、千秋とか、刹那とは違い、まだ周りが手を伸ばしやすい程度の顔の良さなので、恐らく、部下達の熱狂具合の理由の一つとなっているのかもしれない。こう、「顔が良くて優しくて、でも不器用なんて放っておけない!」みたいな。
伊吹は、そこまで父親似じゃなくてよかったな、と思う。優しくて穏やかで家事がうまく面倒見がよく、その上イケメンなんて、ライバルが増えるだけだ。伊吹は、童顔なのもあって格好いいというよりは、客観的に見て、可愛い、なのでこれ以上、ライバルが増えたら、それこそベッドに拘束して刹那にメロメロになるまで体を繋げるしかなくなる。
父は、そうか、と、刹那の適当な言葉に納得してくれた。
「千秋は、私の母校に通っていたし、伊吹くんと仲が良い事も話には聞いていたから、その時に言っていたのかな」
「そうだと思う」
「……大志はね、幼稚舎からの持ち上がり組で、穏やかで、真面目で、貧乏くじを引きがちでもあったが、仕事熱心で、教師からも信頼されていてね」
父は、完全に新聞を膝の上に置いて、老眼鏡を掛けたまま、虚空を見ながら話している。
「家は、長く続く会社の跡取りだったから、習い事も色々と通っていて。茶の湯とか、日本舞踊とか、生花とか。色々詳しかった」
「……和、なんだな」
「そうだな。逆に、洋風の事はあまり詳しくない、と言っていたよ」
父は嬉しそうに、微笑みながら語っている。
「所作も丁寧でね。でも、それでいて、男らしくて。一度、頼み込んで日本舞踊の発表会に連れて行ってもらったら、もう美しくて、優美という言葉が相応しくて。袴姿もまた、似合っていてね。高等部に上がる時に習い事は全て辞めた、と言っていたが、勿体なかったな」
和服か、と刹那は想像する。
伊吹は姿勢が良いし、似合うだろう、着物。そういえば、着物って紐が多い。すぐはだける。端的にいえば、性的だ。用意したら、着てくれるだろうか、着物。そのまま、押し倒されてくれるだろうか。
「頭も良くてね、よく勉強を一緒にしたよ。理数系は理解が早くて、よく教えてもらっていた。いやあ、いい友人だった」
父は、老眼鏡も掛けているのに、白髪もあるのに、まるで、憧れの人のことを話す、中高生の様な態度で、伊吹の父について語っている。
伊吹の父の事は、どんどん出てくる。それだけ、籤浜大志の事を、知っている。
思い入れが、ある。
そして、金が、ある。
ある程度の正義感とか倫理感も、ある。
相手の都合を無視して、自分の我を押し通す、強引なところも、ある。
刹那は、こんな近くに逸材がいたんだ、と感動をする思いだった。
伊吹が、夢の中みたいにならない様にできるような人間がいたんだ、と純粋に驚いた。ていうか夢の中でもしろよ役立たないな父さん、と口には出さないが思った。
そういえば、父が千秋を初めて殴った時、あれは、自分を侮辱されたから殴ったのではなく、籤浜大志を侮辱されたから殴ったのではないか。なるほど、なるほど。
――都合がいいな。
だから、そっと刹那は父に囁いた。
「父さん」
「ん?」
「俺たちが、籤浜の会社に――伊吹の父にした事、どう思っている?」
籤浜の会社の内情を調べ尽くし、金とせいぜいの口約束で株を譲りそうなゴミ達に近寄って株を奪い、伊吹の父を揺する様に株と引き換えに黒字事業を犀陵の物として、籤浜の会社を倒産させた。
客観的に見て、倫理的に考えて、決して良いことではないのは分かっていた。バッシング対策も取らねばならないくらいの行いだった。奪った黒字事業も、そこまで要らなかったのに。
でも、父は今日、その事について、何も触れなかった。
「お前達の行い程度で、潰れる様な会社と、その経営者が悪いんだろう」
父は、瞬時に膝の上の新聞を持ち上げてこう言った。先程まで中学生の様だったのに、年相応の冷たさを身に付けた、大人の男になっていた。でも、声が、硬い。
何か隠しているな、とすぐに分かった。
「本心か、それ」
「何が言いたい、刹那」
新聞と老眼鏡の隙間から、父が睨む。少し怯みそうになったが、刹那は伊吹を夢の中の様にしたくない、という強い目的があるし、父が何かを誤魔化しているのは明らかだ。だから、父の瞳をじっと見ながら、刹那はまた口を開いた。
「……例えば、俺は伊吹があの会社を継いで、それを理由に俺から離れたら、そんな会社なんて、いらない、と思う」
父のことをよく見ていたから、父が息を呑んだのが、すぐに分かった。
「潰れても構わない。俺の大切な人を、俺から遠ざける物、全ていらない。千秋もそうだ。だから、潰したんだ」
加賀美は、籤浜の会社について話が出ると、暗い顔をする。
加賀美は優しいし、交渉の前線に立っていてくれていたから、色々見聞きしたのかもしれない。でも、刹那はそれがなんだ、としか正直言えなかった。
籤浜の会社のせいで、伊吹は刹那の側からいなくなったのだ。
伊吹が、刹那から離れてしまう理由なんて、いらない。
全部、全部、壊してやる。
「父さんも、そうじゃないのか?」
刹那は、父をじっと見つめた。
父は、刹那の瞳を見つめて、動かなかった。だから刹那はまた口を開く。伝える、父に。
――籤浜大志の、銀行からの損害賠償請求の判決が、そろそろ出る。
――きっと多額だ。自己破産でも、損害賠償は免除されない。
――死ぬしか、自殺をするしか、逃れる方法はない。
でも。
「誰かが、助けてくれるのなら、籤浜大志は、死なないかもしれない」
父の手から、新聞が落ちた。
呼吸が浅い。何かを、耐える様に、吸って、吐いて。そして、新聞をまた、持ち上げた。
適当なページを大きく開いて、顔を隠すみたいにする。
「……刹那」
「なに、父さん」
「例えば、の、話だが」
「うん」
刹那は、穏やかに、伊吹が刹那の話を聞いてくれた時のことを思い出しながら、父を促す。
「止められる立場だったのに、止めず、親友を恐らく、傷つけてしまった時。謝っても、許してもらえないだろうって時」
うん、と刹那は頷く。
伊吹も、こうやって刹那の話を聞いてくれた。
「仲直り、するには。どうしたらいい」
「分かってくれるまで、閉じ込めればいいんじゃないか?」
刹那は、なんだそんな事、とあっさりと言った。
「……閉じ込める?」
父が、思わず、と言った様子で新聞を下ろして刹那を見つめた。刹那は、ああ、と頷いた。
「流石に、向こうが音を上げるまで閉じ込めれば、向こうも分かってくれるだろう」
「いや、その。流石にそれは」
「相手は長年の粉飾を誰にも言わず抱え込んだ頑固者だぞ。それだけ、周囲を信用してない。なら、こっちもそれだけの手段を取らねば信用されない」
父は、新聞を膝の上に置いて、腕を組んで唸った。
「……一理、あるかもしれない」
「逆に、そんな頑固者を他にどう説得するんだ。閉じ込めないままなんて、すぐ逃げられるぞ」
父は、うーん、と唸った。しかし、少し黙り込んだ後、「どうすれば」と言葉を続けた。
「どうすれば、閉じ込められる」
「俺たちの不始末を拭いたい、でいいだろ。この家に誘き寄せて、部屋に閉じ込める」
「部屋?」
「一階の客室は良さそうだ。奥まった所にあるし、窓も小さいし、トイレもある。閉じ込めるには最適だ」
「……そういえば、あそこ、全然使っていないしな……。使わないと……」
うんうん、と、刹那は頷いた。
「トイレの窓は大きめだから、何か対策をしないと。柵をつけるのはいいが、あえて、逃げやすい様にしてから逃亡に失敗させると、人間って諦めやすくなるんだと、この前読んだ本に書いてあった。監禁者の手のひらの上だった、というのが効くらしい」
監禁事件のノンフィクションの本から得た知識を父に教える。伊吹を閉じ込める時に役に立つかな、と買って読んでおいたのだ。役に立って良かった。
「そういえば、千秋が折角、顧問弁護士がいるのに使う機会がなくて勿体ないって言っていたぞ」
「弁護士か……。確かに、必要だ」
「うんうん。頷いたら、即座に手続きに入らないといけないしな」
刹那は、後は、と、母の事を思い出す。
「母さんには、協力してくれたら、何か望みを叶える、でいいと思う。母さんも父さんに何も不満がないわけじゃないだろうし。もしかしたら、母さんも伊吹の父を気に入るかもしれないぞ」
「確かに……。玲奈は、美形や美人が好きだし、大志は、顔がいい……!!」
父に、活力が満ちている。早速、目的の部屋に鍵を付けようと業者に連絡しようとしているのを、刹那は穏やかに見つめる。
悔しいのは、確かだ。
刹那には触れられない、伊吹の本心に触れられる唯一の人間、籤浜大志。嫉妬もするが、でも、伊吹の父だし、あいつが伊吹を育てなくては、伊吹は今頃、刹那と出会っていない。それに、刹那から離れようとする伊吹はダメだから、何が何でも、籤浜大志には生きてもらわないと。
「長丁場になりそうだが、私は体力には自信がある。きっと、どうにかなる……!」
「ああ、そうだな。案外、物事ってどうにかなるよ、父さん」
刹那は微笑みながら、父に言う。
そして、伊吹を監禁するために溜め込んだ知識を、父親に伝えていく。
日はもう落ちる。きっと、母と千秋がもうすぐ帰ってくる。その間に、伝えられるだけの知識を、刹那は、堂々と、父に伝えていくのだった。
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