第2話

 籤浜大志は、自殺した。


 どこでも売っているような消毒液と注射器を用意して、自分で自分の血管の中にその消毒液を何回も注射して、中毒症状を起こして、死んだ。


 旅行というには、違和感のある寂れた地方の公園のベンチの上で、死後の手続きが纏められたノートと、手持ちの財産とその運用の方法が書かれたノートの2冊と、遺書と、身分証明書と財布だけ入った鞄だけ残して、籤浜大志は死んだ。


 表向きは旅行先での心臓発作という事になっている。でも、実際は自殺だ。司法解剖した検死官は、こんな自殺の方法は珍しい、なんて言っていた。殺人も疑われていた。でも、直筆の遺書があったし、注射器には籤浜大志の指紋しか残っていない事から、自殺と断定されたのだ。


 その時、伊吹は、海外留学から帰ってきて、ビジネススクールに通いながら千秋の下で、刹那の側で働き始めたばかりだった。


 忘れもしない。


 あの日、伊吹は千秋に連れられて、取引先との打ち合わせの最中だった。社内での打ち合わせだから必要ないし、と置いてかれた伊吹のスマホが、何度も、何度も、その音を鳴らしていた。そして打ち合わせから戻った伊吹が、昼休みになってから折り返した。その電話は、警察からで、そして伊吹は、父親が亡くなった事を知ったのだ。


 千秋と刹那は、驚愕した。


 籤浜大志の事は、伊吹に内緒で定期的に調べていたのだ。伊吹に接触しようとしたら、すぐに対処できる様に対策も取っていた。

 でも、定期的に調べている中でも、籤浜大志が自殺するなんて思ってもみなかった。


 だって、自分の持ちアパートで管理人兼大家をしながら、元部下たちに請われ元部下達が働く探偵社でパートタイムの事務の仕事をして、町内会の地域活動もきちんとして、暮らしていた。


 穏やかな暮らしだった。贅沢な暮らしではないが、ゆとりがあって、彼の事を未だに慕う部下達がいて、近所の評判も良くて、アパート経営も躓いた所はなく、ある意味理想的な余生を送っていた。それを知った時は、千秋と二人、なんでか釈然としない気持ちになったものだ。でも、伊吹と距離を取っているならいい、と放っておいたのだが、籤浜大志は、ある日突然、自殺をした。


 彼を最初に見つけたのが、警邏中、籤浜大志がいた公園をたまたま通りがかった警察官達だった。青い顔で、呼吸が苦しそうで、ベンチの上に疼くまる籤浜大志を見つけたのだ。


 彼らは、近くにあった注射器と空のラベルが剥がされた消毒液のボトルを見て、籤浜大志は違法薬物を接種したに違いない、と思い込んだ。籤浜大志は、病院も嫌がり、救急車も求めようとしなかったのが、よりその誤解に拍車を掛けた。でも、それならそれで、薬物専門の刑事を連れてくればいいのに。そこで、注射器とかボトルの中の液体の検査をして貰えば良いのに。なんでか、その警察官2名は、自白にこだわった。


 何の薬物だ、答えろ、と、籤浜大志に詰め寄った。籤浜大志は、何も答えなかったのが、より彼らの気を苛立たせた。無理矢理立たせて、答えろ、と詰め寄った。


 籤浜大志は、何も答えず、ただ、苦痛に耐えていた、という。


 結局、そばで見ていた住人が、籤浜大志の尋常ではない様子に、救急車を呼んだ。救急車が着いた時、籤浜大志は、もう立っていられなかった。


 病院に運ばれたが、もう、手遅れだった、と。


 そして、籤浜大志は死んだ。伊吹になるべく迷惑がかからない様に、と、一人で、全ての準備をしてから、死んだ。


 

   









 刹那は、自分に縋りながら泣く伊吹をよそに、遺書に目を落とした。


 1枚目の遺書は、彼が持っている財産についてだった。概要と、詳しくはノートにまとめておいたから、とある。事実、財産とその運用方法について書かれたノートは、生真面目な程、よく纏められていた。読む人間のことをよく考えられていて、アパートを経営する場合はどうしたらいいか、とか、手放す場合は、とか、色々、項目別に綺麗にまとまっていた。死後の手続きについてまとめられたノートも同様だった。


 負債なんか、全く残っていなかった。あれだけあった債務の個人保証も、損害賠償も、全て綺麗に完済してあり、税金対策もできうる限り取っていた。全て、自分が亡くなった後、伊吹が困らない様に、と。


 2枚目に目を落とす。そこには、謝罪だらけだった。


 金だけしか繋がれない親ですまなかった。長男を優先して、虐めを止められなくてすまなかった。就職の時、お前の進路に反対してすまなかった。お前の祖母に頼りきりですまなかった。お前の事を、うまく愛せなくてすまなかった。


 許す必要はない、と、最後に書かれていた。伊吹が、どう思っているのか確認もせず、許されないものだと思い込んでそんな風に書いてあった。一人で、勝手に決着を付けていた。


 3枚目に、目を通す。


『和樹が亡くなってから、馬鹿な妄想が頭から離れなかった』


 書き出しは、そこから始まっていた。


『側に置いてお前を守ってやらないと、お前まで亡くなってしまうと、私は思い込んだ。自分が病んでいるのに気が付かず、お前が私の事を嫌っているのを分かっていながら、私は自分勝手にお前を追いかけ回して、お前の若い時間を散々奪った。


 お前が会社を潰した事はお前からしたら当然の事だ。私は一切お前を憎まない。当然の報いだと、受け入れている。


 お前は、私とは違ってよくできた息子だ。アパートと今後の人生の元手になるだけの金は遺しておいたから、どうか受けとって欲しい。


 最後に。


 お前が妊娠したと告げられた時、確かに戸惑った。でも、いざ生まれてお前を腕に抱いた時から、ずっとお前が可愛かった。


 生まれてきてくれてありがとう。


 伝えていなかった、お前の名前の由来を伝えておく。「祝福の息吹が、どんな時でもお前に吹く様に」だ。


 こんな親ですまなかった。私は、お前の唯一の汚点だというのは分かっている。


 これ以上、お前には迷惑をかけない。父親面は、もうしない。


 私は、和樹の元に謝りに行くから。


 お前は、私のことを忘れて、自由に生きなさい』


「刹那、頼む、やめて、やめてくれ……!」

 

 気がつけば、遺書に力が入りすぎて、ぐしゃぐしゃになっていた。

 

 伊吹は、刹那に縋り、涙を浮かべながら、頼む、頼む、と言い続けている。

 乱暴な事は出来ないのだろう。父親が自分のために書いた遺書を、破られたりしたくないから、刹那に縋ることしか、伊吹はできない。


 名前の由来。

 伊吹は、昔、父親に聞けなくて、名前の由来を知らないのだと、刹那にだけ打ち明けてくれた。その由来が書かれていた。こんな、最悪な形で。精一杯の祝福を込めた由来が。


 伊吹を見下ろす。

 涙目で、昔と逆転した様な様子で刹那に縋る。随分と痩せた。クマもある。うまく眠れていないのだ。こんな、家具家電は殆ど処分され、遺品なんてカーテン以外に残っていない部屋にいては、休めない。


 だから、刹那は交換条件を出した。返すから、直ぐにマンションに戻るぞ、と。


 伊吹は、まだ仕事がある、と言いたげだったが、でも、分かったから、とその両手を差し出す。早く返してくれ、と言葉がなくてもわかる。


 本当に、手の中のノートと遺書を、破り捨てたくてたまらなかった。






 

 にゃあ、と、可愛くない声が聞こえる。

 見ると、窓ガラスの向こう、カーテンの隙間から、目つきの悪い猫が部屋の中を覗いていた。

 

 不思議そうに首を傾げて、また、誰かを呼ぶ様に、にゃあ、と掠れて可愛くない声で、鳴いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る