第6話
見下ろす様に設置されたカメラと繋がっているモニターの中、二人の男の姿を千秋はじっと見ていた。刹那の住む部屋の、寝室のベッドの上。そこに、力が入らなくとも暴れている伊吹と、それを押さえつけながら、ベッドに拘束をしている、刹那の姿があった。
『せ、せつな、なに、のませた!』
伊吹の舌の呂律が、回っていない。
力が入らないのだろう、刹那の顔に伊吹の手があたっても、刹那は全く動じず、その腕を掴んで、また、伊吹の手に手錠を掛けていた。
足も、固定する。伊吹は、ベッドの上で大の字で固定されてしまう。まるで、標本の様だった。
『伊吹、教えて』
『な、に』
『伊吹は、俺の側にずっと、居てくれる気はないのか? クソ兄と父の元に、帰るつもりだったのか? ずっと』
拘束されているのに、伊吹の両手を抑え込む刹那のその言葉に、伊吹は、その目を見開いた。そして、すぐに、遠くを見る様に目が据わる。そして、頷いた。
『……伊吹!』
刹那は、拘束された伊吹に、縋りついた。
『伊吹は騙されてる! どちらも、酷い事をしたんだろ! 伊吹を無視したり、殴ったりしたんだろ! 真冬に、冷たい地下に閉じ込められたりしたんだろ! 目を覚ましてくれ! そいつらなんか捨てて伊吹!』
刹那は、涙を流している。本気の涙だ。
『俺と千秋がいるから、そちらを選んで、伊吹。大切にする。千秋だって、素直じゃないだけで、伊吹の事を、親友と思ってるんだ! 本当だ!』
そうだ。
今でも、親友だと、思ってる。初めて、夢見た男なのだと思ってる。親に言われるがままだった千秋の人生に、初めて、嫉妬と、夢を、教えてくれた。
『千秋が嫌な事言ったか? なら、謝らせるから! 土下座もさせる! 約束するから!』
兄の土下座を勝手に約束するんじゃない愚弟、と思ったが、何も言わずに、千秋はモニターを見つめていた。
『せつ、な』
薬を騙されて飲まされて、力が入らない中、伊吹は、穏やかに、微笑んで、刹那を見つめていた。その顔に、刹那も安心した様な笑みを浮かべた。
『伊吹……! そう! 俺たちの事を信じて、伊吹!』
『ごめん、せつな。おれ、和樹、と、親父、えら、ぶ』
伊吹の謝罪に、モニターを見つめる千秋も、刹那も、その琥珀の目を見開いた。
『だまされ、てても、いいんだよ』
『なん、で』
『……俺、さ。ばあちゃんが、居なくなってさ。相続の、事が、あるから。なんとか、俺の、生みの母、探してさ、あったんだ』
伊吹は、薬のせいで口が上手く回らない中、それでも、穏やかな顔で、語る。
『その人、何か、俺に、言ってくれるかなって。ごめん、とか、ずっと、想ってた、とか、言って、くれるかな、って、少し、期待、してたんだけど』
伊吹は、笑いながら、語る。
『何も、なくて』
モニターの中の伊吹は、そんな、千秋や刹那も、分かり合えない話を、淡々と、語っていた。
『ああ、俺、やっぱり、捨てられたんだなって、ショックで。結婚とか、したかったんだけど、その、勇気もなくて、大学の時は、彼女、いたけど、それ以降、彼女、とか、作れなくて』
『伊吹、いいよ。身内なんて。俺達がいる。俺達がいるから、俺達を、選んで、伊吹』
縋る刹那に、伊吹は、首を振った。
『でも、さ。親父と、和樹が、謝りに来てくれて。3人で、腹を割って、話し合って。親父の奥さんは、親父捨てて、逃げちゃったけど、親父と同居してくれてる、和樹の、奥さんに会って』
伊吹は、嬉しそうに、笑ってる。
『いいなって』
刹那は、その瞳を見開いた。
『もしも、さ。俺が、女に、騙されても、さ』
『い、いぶき……』
『親父が、和樹が、いるなって、思ったら、なんか、勇気が、湧いてきて』
伊吹は、語っている。なんてささやかな、夢の話を。
『だから、俺の、新しい、家族を、さ。作ろうと、思える、勇気、さえ、貰えたら』
あ、と、千秋は、気付いた。
スマホの中の、彼女の連絡先。彼女はともかく、千秋は年齢もあるし、立場もあるし、彼女とは話も合うし、仕事の話もできるし、きっと、彼女は両親ともうまく行くし、結婚を、考えていた。彼女は、同じオフィスで働く伊吹の事も気にかけていたから、きっと、仲良くやれる。——未来の、伊吹の家族とも。
『浮気相手の子って、真っ当な、生まれじゃない、俺でも。真っ当な、家族を、作れる、なら、おれ、は、だまされてても、いいんだよ、せつな』
——戻れる。今なら。
今すぐ、この部屋から出て行って、刹那の寝室に向かって行って、拘束を解いて、土下座でもなんでもして、謝る。株は、全部、全部渡して、伊吹の父にひどい事をした父も、同じ様に謝らせて。
そうすれば、戻れる。まだ。
伊吹と、仲直りして、籤浜の立て直しのアドバイスしながら、見守って、お互いの結婚式に、スピーチ頼み合って、昔の馬鹿な話を、招待客の前で、暴露されて。
子供が産まれたら、父同士みたいな完全一方通行な関係にならないように、幼い頃から家族ぐるみの付き合いをさせて。もし、千秋の子と伊吹の子が、男と女、だったら、結婚もするのかなって、そんな、夢を見て。
そんな。
そんな、夢を、千秋は、今確かに、見ていて。椅子から、たちあがろうと、して。
『——許さない』
そんな、刹那の深い声に、千秋の足が、止まってしまった。
刹那は、穏やかに語る伊吹の両頬を掴んで、冷たい瞳で見下ろしていた。
『へえ。伊吹、結婚したいんだ』
『せつ、な?』
『女が好きなのか。へえ。彼女もいたことあるのか。へえ』
刹那は、そのまま、伊吹に倒れ込んで、口付けをした。触れるだけの口付けだが、伊吹に、今彼が置かれた状況を分からせるのには、それで、十分だった。
『伊吹、俺、伊吹が好きだ』
『ま、待て、せつな!』
『伊吹が、俺から離れるのなら。俺の側に、ずっと、居てくれないのなら』
『止めろ!』
『俺は、伊吹の尊厳も奪うよ』
そして、刹那は伊吹の着ていたワイシャツの合わせを掴むと、強い力で引きちぎった。ボタンは弾け飛んで、天井に仕掛けられたカメラにまで当たる。その音に、伊吹はカメラに気がついて、顔を真っ青にした。
『止めろ、刹那! 目を覚ませ!』
『大丈夫。俺も、千秋も、伊吹に甘いから。籤浜は何とかする。株も渡すってさ。なあ千秋?』
『……千秋⁉︎』
伊吹は、カメラを見つめた。
『待て、そこにいるのか、千秋!』
千秋は、歯噛みをした。刹那は、千秋の存在をバラした。そして、問いかける。伊吹を逃すか、夢を逃すか、どちらにする? と。
伊吹の必死な声がする。今すぐ刹那を止めてくれ、こんな馬鹿な事はやめてくれ、と。初めて見る表情で、伊吹は、千秋に縋った。それだけ、必死なのだ。それだけ、今の状況が、嫌なのだ。
だから千秋は、選んだ。
「刹那。伊吹の口塞げ」
ヘッドセットのマイクから千秋がその言葉を告げると、伊吹は、その真っ黒な目を溢れそうになるくらい見開いた。
『口枷どこ?』
「サイドチェストの中だよ。全部、道具はな」
『あ、あった。準備がいいな、千秋』
「まあな」
カメラ越しに会話する兄弟に、伊吹はもう絶望的な表情になって、顔を真っ青にしている。嫌だ、嫌だ、と口では言うが、刹那は止まらない。千秋も止めない。
『千秋、助けて、助けて、千秋!』
『千秋の名前を出すな、伊吹。千秋は、手を出さないって俺と約束したから来ないぞ。俺のことだけ見てろ』
『くそ、くそ!! 会わなければ! お前なんかと、初めから、会わなければ、千秋!!』
「愚弟、うるさいから早くしろ」
『はあい』
刹那は、そうして、伊吹の口に口枷を付けた。んー! んー! と何度も唸るが、誰も、伊吹を助けないし、誰も、刹那を止めない。
伊吹は、睨んでいた。
刹那に体を好き勝手触られても、玩具を腹の中に入れられても、意に沿わぬ絶頂を導かれても、屈辱に満ちた顔で、千秋が見つめるモニターを、睨んでいた。
強い瞳。遠くを見る目。その先にある、大切なものの中に、千秋の姿はあるだろうか。
刹那に貫かれて、苦しそうな声を出して、頬を舐められても、殴られても、伊吹は屈服しなかった。
考えているのだろうな、と分かる。
こんな目に合わせた、千秋と刹那への復讐を。父と兄を巻き込まず、もしかしたら、犀遼を丸ごと潰してしまう様な復讐の方法を、考えているのだろう、と分かる。
だから、千秋はまた、ヘッドセットのマイクで弟に指令を出す。
「刹那、まだだ。そいつ、まだ反抗しようとしてる」
『流石に疲れた、千秋』
「玩具使えよ。何のために用意してあると思ってるんだ、愚弟。お前は休んでもいいけど、伊吹を休ませるな。あ、でも先に水飲ませろ。口枷の間からチューブ入れられるだろ」
自らの執着のために、自らの手を汚さず、弟を使い、親友だと思っていた男を汚す。
夢を、見ていたのに。でも、なんでかその夢がひどく遠くなってしまった様で、おかしいな、と思う。
気がつくと、頬が熱い。不思議に思って触れると、暖かな液体が、千秋の頬を滑っている。
それに、千秋は、引き攣った笑みを浮かべた。
伊吹。
俺さ、中等部の頃、初めて将来の夢ができたんだ。
お前と世界を支配するって夢。
馬鹿な夢だろ? でもさ、お前が俺を支えてくれるっていうなら、きっとなんでも叶うって、思ってた。お前と一緒なら、きっと、どこまでもいけるって、信じてた。
なあ、伊吹。お前が悪いんだ。
高等部の時、俺かなり頑張ってお前の進路を誘導しようとしたのに、お前さ、内部進学しないでよその大学行って。父親に許されたって、嬉しそうに、俺から、背を背けてさ。
今だってそうだよ。
お前さ、俺を見ずに、血の繋がった家族ばっかり見てさ。俺の事、信用してくれなくて。似合わないタバコも吸うし、全然、お前の持つ優秀さや厄介さを、俺のために使ってくれない。それが、悪いんだ。
謝ってくれよ、伊吹。そうしたら、俺も謝るから。
親友なのに、素直にならず、酒に逃げて、刹那の企みに乗った事、全部謝るよ。その後で、俺が、どれだけ、お前の事を認めているか、ちゃんと、ちゃんとさ、恥ずかしがらず、素直になって、話すよ。ちゃんと、伝えるから、お前に。
だからさ、伊吹。
「伊吹……俺、と……」
モニターの中の、涙を流して、拘束されて、素っ裸で、でも、強い瞳で遠くを見る様にカメラを睨む、伊吹の姿に、手を置く。
無意識に溢れた言葉が聞こえたかどうか分からない。でも、伊吹は、まるで、千秋を殺すような目で、千秋を見つめている。
——ああ。
後悔が、一雫、頬を伝って、落ちて行った。
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