第2話

 千秋、と名前を呼ばれて、千秋は面倒くささを思う存分に出して、座っていた応接ソファーの上から、声の方向に顔を向けた。

 

 社長室のデスクに座る、正直自分とはあまり顔の似てないし、母とも見た目のレベル的に合わない父は、眉間に皺を寄せて、両肘をデスクに置き、両手を組んでいる。そうしてると、一企業を大きく成長させた、敏腕やり手社長っぽさは出る。出るけども、開いた口から出てきた言葉はなんとも情けなかった。


「仲違いした友人と仲直りするには、どうしたらいいんだ」

「俺、帰っていい? 父さん」


 千秋の言葉に、父はなぜだ、と眉間に皺を寄せたまま、千秋を睨む。先ほどの言葉を聞かなければ、何か、会社の行く末を左右する様な、何か重大なことを思案している様に見えるだろう。いや、父にとっては重大な事なのだと思うが。


「昨日も、飲みに誘ったんだ。でも、断られて……」

「よく断ってくれたねあの人。俺なら全部無視するよ、あんたの連絡」

「なんでだ、千秋」

「分からないのが問題だよこのクソ父が」


 千秋は、思い切り父親を吐き捨てた。さすがに、いくら親子同士といえど、会社の中で馴れ合いはいけないので、ちゃんと誰かがいる時は父の事は「社長」というし敬語も使う。千秋と刹那は、見た目が母似なので、「犀陵」と書かれた名札さえなければ、親子だとすら思われないだろう。まあ、会社に篭りっきりの刹那はともかく、次期後継者として交渉の場にも立つ千秋は顔も広いので、すっかり、広い社長室の中のデスクに座る社長とは親子なのは社内外に知れ渡っているが。


「すごいよ、父さん。もうツッコミどころしかないよ、あんたの発言。……ハッ」


 千秋は、思いっきり父親をせせら笑った。その中に、物事が自分の思う様に行かないままならさの苛立ちも少し含めてやる。千秋の態度に、父、犀陵時次は、ぎゅう、とその瞳を耐える様に力強く瞑った。そして、重々しく口を開く。


「……言ってくれ。耐えるから」

「じゃあ言うよ。まずね、家に監禁して度数強い酒を無理やり飲ませた人間を飲みに誘うって何? 普通警戒されるだろうよまた」

「だって……! 私は、ただ、大志と腹を割って話したくて……!」

「後、あの人、脳梗塞で倒れたんだよ。なら、再発させないようにって健康に気を使うだろうよ。しかも、足悪くしてトイレも行きづらくて、もしかしたら介助も必要なのかもしれないのに、信用してない人間と知らん店に行きたくないだろ」

「分かった……! 次は、バリアフリーの店に誘う……!」

「根本的に、誘って来てくれるだけの仲を築いてると思ってるのが間違いだよ。監禁事件を起こして俺が理由を聞くまで、あの人と学友だったなんて聞いた事なかったよ。付き合いがあったのも驚いたよ。今まで疎遠だったくせに何考えてんだあんた」

「学生時代、よく話しかけてくれた……! 親友だと、思ってた……!」

「伊吹が言ってたよ。別にあんたと親友じゃなかったってさ」

「大志ぃぃ……」


 父は、恐らく父しか思ってない親友の名前を呼びながら、両手を祈る様に握っている。息子の目から見てもとても女々しい。還暦近いんだから止めてほしいと思う。


「私が、大不況の最中、籤浜の会社を支援しなかったから……!」

「祖父の言い分はものすごくわかるから、それに関しては何も言わないけども、あんた昔の思い出に胡座かきすぎだったんだよ。せめてコンスタントに連絡取り合えよ。あの人が死にかけたの知ってから今更連絡取ろうとして。しかも、その連絡の取り方が最悪だったよ。『もう無理するな、俺が会社をなんとかしてやる。株渡せ』って。何堂々と会社乗っ取り宣言してるんだこのアホ親!」


 千秋は、ソファーから立ち上がって父のデスクまで近寄ると、だん! と両手でデスクを叩いた。しかし、父は負けずにくわっと目を見開いてきた。こいつに顔似なくてよかった、と千秋はとても思った。


「お前だって! 伊吹くんに内緒で株を集めてたくせに!」

「こっちはこっちの計画があったのに、馬鹿正直に言うんじゃない! もっと穏便な手段考えてたんだよ! 俺だって!!」


 千秋は、こちらもくわっと目を見開きながら父親を怒鳴った。


「大筋は変わらんだろう! 株集めて! あっちに渡す代わりに伊吹くんをうちに連れてこようとしたんだろ!」

「そうだね! でもさ、交渉のやり方ってもんがあるだろ!! もっとあっちも納得する様な言い方とかあるだろ! 他のやり方山ほどあるだろ! 知らんわけじゃないだろ何年社長やってんだこの馬鹿!」

「親に向かって馬鹿とはなんだ!」

「じゃあ子供に突っ込まれること言うなよするなよこの暴虎馮河!」


 2人してぎゃーぎゃーと言い合う。もちろん、内容は発展しない。一上場企業を率いる社長とその次期後継者の話す内容にしては、低レベル過ぎた。ああしておけば良かった、とか、なんでああしなかった、とか詰まるところ、そういう話ばかりだ。まったく未来に繋がる話は出てこない。


「お2人とも。うるさいです」


 そのしっかりとした声に、親子喧嘩はぴたりと病み、2人揃って扉の方を見た。開いた扉。そこには、社長秘書を務める、加賀美の姿があった。


「加賀美。ノックは」

「勿論しました。ですが、予想通り、聞こえてなかったようですね」


 加賀美は、ため息をつきながら扉を閉めて社長室の中を歩く。歩きながら、時次の背後の、すっかり陽も落ちた窓を見ていた。ブラインドの隙間から、夜闇が見える。


「籤浜の会社について話すのは、他の従業員がいない間しかできないのは分かりますが、お2人ともよく1日働いた後にあんな喧嘩できますね、呆れます」


 加賀美は、時次の座るデスクの前で立ち止まった。初めて見るくらい、本当に呆れた顔だった。それに、千秋の口の端がひくり、と動く。


「加賀美さん、オブラートって知ってるかな。ここ、会社の中だよ。俺たち、君の今の上司と未来の上司だよ」

「申し訳ありませんが、今は半ばプライベートと思っています」

「なんでだ、加賀美。理由は聞こう」

「お2人とも、私情が過ぎるからです」


 加賀美は、一気に何も言えなくなった親子に、頭を抱えて、また、はあ、とため息をついた。一言で上司2人を黙らせる事ができる頭の良さは、さすが千秋の母と時次の妻である、犀陵玲奈の後輩といえよう。まあ、玲奈も「協力すれば、夫は見返りに浮気は一切辞めてくれる」という私情で、籤浜大志の監禁に手を貸したりしたが。いや、父の浮気癖は確かに女性として思うところがそりゃあったと思う。子供の頃、家に父の浮気相手が押しかけた時は、浮気相手を見事追い払った後、数時間父を硬いフローリングに正座させて叱っていたのを見た事があるくらいだ。正直、「ずっと浮気は嫌だった」と告白する母は、父とは違い、珍しく可愛げもあったし、父もなんか「えっ、嫉妬してたんだ、お前……」みたいに、なんかこう……、よそでやれやお前ら……、みたいな雰囲気も出ていた。でも、その為に、人一人って監禁なに考えてる? としか言いようがない。籤浜の面々は警察沙汰にしなかったが、でもその理由は「金の力で揉み消されそう」という、こちらに対して全く信用がない理由である。流石に、警察もそこまで腐ってないだろう。


「その私情に巻き込まれて大変な思いをしているのが、籤浜大志さんと伊吹さんな訳です。……社長、千秋さん。今日も聞かれましたよ。籤浜の会社の株を集めているって本当か、とか、伊吹さんってなんなんだ、とか」


 籤浜の会社の買収騒動の事は、本来限られた人間しか知らない。けれども、噂はどこからか漏れるものだし、伊吹が千秋の側で働いているのだ。次期社長である千秋の側で働く、という事は、代替わり後、経営の深部に携わる可能性が高く、時次も千秋も認めた人材、というわけだから、皆優秀な人間ばかりが揃ってる。会社への献身も深い、と判断された人間ばかりである。扱っている仕事の内容も、おいそれと外には出せない内容の物も多いのだから、本来、伊吹の様に外部からやってきた人間は、千秋の下で働かないのだ。


 なのに、千秋は籤浜からやってきた伊吹を完全に、私情で、ゴリ押しで、自分の下に置いた。伊吹が出向、という形で働いているのは千秋もいちいち他の社員に言ってはないが、入社後即次期社長の下で働く、という時点でやっかみを受けるものだし、伊吹も、本当はそんなやっかみを華麗にスルーしたり、いくらでも職場の中の居心地を良くする術も心得ているはずなのに、「どうせ程なく籤浜に戻る」と言わんばかりに何もしないし、聞かれれば出向、というのも正直に話す。流石に、千秋に半ば脅されてきました、とは言わないが、でも、周りに不審に思われるのは、仕方がない事だった。


「思うのですが、なんでちゃんとおふたりで腹を割って話し合わないんですか。そうしたら、もっとスムーズに交渉がまとめられるように、共同戦線を敷けたのではないですか? そこを後悔するべきですよ」

「だって……青春の青い時期を息子に話すの恥ずかしいだろう、加賀美」

「あんまり素直になって伊吹に伝わって、『仕方がないな、付き合ってやるよ』と生暖かい目で見られるのがプライドが許さない」

「捨てなさい、その無駄な見栄とプライド」


 加賀美は、思いっきり「ああ、こうして普段、家で子供達を叱ってるんだな」みたいな口調で、千秋と父を叱ってきた。


「ただでさえ、異種業種で、あちらは経営が不安定で、今の時点で買収するとこちらの株主の反対も必須な状態で、買収に反対する社員も多い状態なんですよ。籤浜の皆さんもこちらを敵と思っているんですよ? 誰もあなた方を応援してないんですよ? じゃあ協力しなければ駄目でしょう。今からでも話し合って、ちゃんとした協力体制を整えるべきです。後、あちらが嫌がっている以上、買収、というやり方も、見直してみては?」

「子会社化したら、いつでも大志に会えるかなって……」

「社長、いい加減にしてください。子会社化は、大志さんを横に置くための手段ではありません。分かりましたね? そういう、事の、ためでは、ありません」


 加賀美は、父を思いっきり見下している。初めて見た、加賀美のそんな顔、と千秋はついまじまじと見てしまった。


「加賀美。思うんだが、私も千秋もこれまで私情を挟まず頑張ってきたんだから、その、これくらい、私情を挟んでも、」

「だから、望んでいるならともかく、あちらが嫌がっていて、伊吹さんも早くあちらに帰りたがっている、というのがご理解いただけませんか? ねえ?」


 父、懲りないな、と千秋は呆れて父親を睨んだ。年の功だろうか。こんな歳の取り方は嫌だとしか言いようがない。


「言っておきますが、千秋さんの前では何も言わない社員がほとんどですが、伊吹さんをよく思わない社員も多いんですよ。伊吹さんは仕事はしますが、周囲とろくに関わろうとしませんし、千秋さんと刹那さんが近くにいるおかげで、兄弟に媚を売って取り入った、と専らの噂なんですよ!」

 

 流石に怒鳴った加賀美の言葉に、ますます、千秋は何も言えず、視線を泳がせた。


「千秋さん。親友だと思うのでしたら、もう少し素直になってください。いくら待遇が良くても、人間関係が悪い職場で働きたいなんて人はそうそういませんから。分かりましたね?」

「……分かったよ」


 千秋は、まるで反抗期の息子の様に加賀美から目線を逸らしてぼそりと言った。

 加賀美、と父の縋る様な声が聞こえる。聞きたくないな、そんな父親の声、と千秋は父から背を背けて両手で耳を塞ぐが、無意味だった。


「私にも何か助言をくれ。大志と昔の様になれるような助言をくれ」

「そうですね、大志さんからしたら、そもそも社長と昔過ごされた記憶はほとんど忘れられている様ですから、まず昔の様に、という理想は捨ててください」

「…………大志ぃぃ」


 こんな歳の取り方、嫌だな、と千秋は改めて思い直し、少し、自分の振る舞いを見直したのだった。

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