第7話
後悔。
後悔だらけだ、私の人生は。
「う、うぅぅぅぅ」
私の中のまだ冷静な私が、「ほれみろ、やっぱり無理だっただろう」と囁いてくる。うん、やっぱり駄目だった。ダメ人間だ。無能だ、私は。
「おー、ほら水だほら」
いつの間にやら、隣の席に移動した犀陵時次は、私の背を軽く叩きながら、水が入ったグラスを渡してきた。それを受け取って、ぐいと、一気に飲む。
「経費といえば、浪費が許されるわけではないんだぞ!」
「うんうん」
「女子社員はキャバ嬢じゃない! 密室で2人きりになろうとするな! 無闇矢鱈に体に触ろうとするな!」
「ひどいなぁ、ひどいなぁ」
「就業時間に会社のパソコンでエロサイトを見てウイルス感染って、どういう事だ! せめてスマホで見ろアホ親族どもが!」
先ほどから、記憶がぐちゃぐちゃになって、支離滅裂な事ばかり口から出てくる。
「好きとできるは違う! 興味があるとか浅い理由で新しい事業を始めようとするな!」
「大変だったなぁ、お前」
「ううぅぅぅぅ」
こうなると、分かっていたのに。
酔いがなければ、こんな昔の事で情けなく管を巻くなんて事、しなかったのに。
「なんで父は株を社長1人に集めなかった! おかげで俺は散々苦労した! 親族仲良くとか夢物語だぞ! あいつら、俺と会社に集るときだけ結託しやがって……!!」
「やっぱり親父さんかぁ……」
「くそ、くそ……! 俺が、俺がちゃんと、父を見ておけば……」
酒は、嫌いだ。
少しならともかく、飲み過ぎれば昔の、どうしようもない後悔ばかりが浮かんで、今のままならさとか、自分の無力さばかり思い浮かぶから。
「なんで、設備投資したタイミングで大不況なんだ、なんで……なんで……」
そう言っても、答えは出ない。
全部全部、俺が悪い。俺が天運に見放されていたから。初めからうまくやれていなかったから、全て、俺が悪い。
「銀行も、粉飾に昔から気づいていれば、せめて、言ってくれれば」
銀行だって、金融のプロの集団なのだ。
嘘の決算書だって、すぐに見破れる。でも、多少の粉飾は見逃すのが銀行の常だ。担当者の責任問題になるし、指摘した方が面倒ごとになるから。でも、言ってくれれば、その時に会社を畳む決断ができたのかもしれないのに。
「すまない、こんな親で、すまない、和樹、伊吹……」
「……和樹?」
「妻の、子だよ。長男だよ、俺の」
隣の誰かの質問に答える。
ああ、思えば、あの子は私そっくりの、普通で、並な子だった。別に、出来が悪かったわけではなかったのに。
「ごめん。伊吹と比べて、本当にごめん、和樹……」
伊吹が、でき過ぎたのだ。
ただでさえ、私のせいで複雑な兄弟関係なのに。ちゃんと、和樹のフォローを私が一番に考えなければならなかったのに。
「辛かったよな、苦しかったよな。お前だって、たくさん頑張っていたよな。俺、知ってたのに」
一度、2人が小さい頃に和樹の前で伊吹を褒めた事がある。その時のあの子の顔が、忘れられない。今まで信じてきた人間から、裏切られた顔をしていた。正しくそうだったのだろう。妻は誰かのフォローなんて、できる人間ではなかった。私が、ちゃんとフォローするべきだったのに。あの子が普段、どんな言葉に囲まれて過ごしていたか、ちゃんと考えるべきだった。
「兄弟仲が悪くなったの、俺のせいだ。俺が、おれが……!!」
和樹は、伊吹をいじめた。でも、私は止められなかった。伊吹を庇って、和樹のあんな顔、もう見たくなかったから。でも、2人の事を思えば、彰にばかり仲裁を任せるのではなく、ちゃんと、私が止めるべきだったのに。
「ごめん、ごめん。すぐ、謝りに行くよ、和樹。ごめん」
「亡くなっているんだろう。どうやって?」
「金を全部返したら、死ぬ」
私は、鼻を啜りながら言った。
「死んで、あの世であの子に詫びる。伊吹には、アパートを遺す」
和樹は、家の外でも問題行動をした。たくさんの人に迷惑をかけた。だから、きっと、天国には行ってない。
自殺した人間は、天国には行けない、という。なら、それでいい。たとえ地獄でも、和樹がいる場所に行って、和樹に心の底から詫びなければ。あの子の代わりに、私が罰を受けなければ。それで、あの子には天国に行かせなければ。
「…………」
誰かが、私の肩を強く掴んでいる。
和樹は、バイク事故で死んだ。
自損事故で、警察から連絡を受けて私1人で霊安室に向かった時、和樹の顔には、白い布がかかっていた。その布は、不自然に凹んでいた。
顔を見たい、と、私が言っても、立ち会った警察官は苦々しい顔で首を振った。欠けてますから、と。
それ以降、和樹の事を思い出しても、最終的にはあの、顔が見えない、白い布ばかり思い出してしまう。葬儀の時も、顔は見られなかった。棺の蓋は、閉じたままだった。
ああ、でも、見てやるべきだったなぁ。
和樹に、ちゃんと、直接謝るべきだったなぁ。
その後悔が、唯一残された伊吹への執着の根源だ。
親族の目があるから、一応2人とも跡取り教育、とかいって色々教えたし要求もしたが、私は、私と同じ苦労を、2人に押し付けたくなんかなかった。倒産するかもしれないし、継承するにしても、2人以外の適当な親族に押し付けようと思っていた。
伊吹が社会人になる時、出来のいい伊吹を新しい寄生先にしようと伊吹を狙った親族達がいて、私は一芝居打って、まだ話が分かる親族達と協力して、伊吹を希望の会社に行かせる為の演技すらしたぐらいだ。伊吹の未来への道行を、あの時、確かに私は陰ながら応援していたのに。
でも、私が目を離した隙に、子供は死ぬ。
顔も見れないほどの酷い状態で、死ぬ。
だから、側に置かなくては。守ってやらねば。ずっと見てやらねば。自由になんかしちゃ駄目だ。
その本音を覆い隠す為の方便が跡取りだっただけ。
馬鹿だな、私は。自分が病んでいた事に、早々に気がつくべきだった。
そうしたら伊吹は、あんなに逃げ回らなかったのに。ずっと希望していた分野の会社で、きっと、活躍していたのに。私の事を、昔から伊吹は嫌っていたのに。
こんな。
こんな、子供達2人と向き合えなかった親なんて!
こんな、子供達の人生の足枷となる親なんて!
早く地獄へ堕ちるべきだ!
早く、はやく、死ななければ!!
そう叫ぶ。そして、やっと頭がすっきりとした。
酔いで、頭がまだふわふわとするし泣き疲れて頭が痛い。でも、先程よりも頭がちゃんと動く様になった。
グラスに水はない。飲みたいな、水。できれば炭酸水ないかな。口の中をスッキリさせたい、と突っ伏していたテーブルから身を起こすと、目の前のジョッキが、空になっているのを見て、私は目を見開いた。
そうだ、犀陵時次は、このジョッキを飲み干せば解放する、と言っていた。
やった!! これで、解放される! やはり、苦しみに耐えれば解放はすぐそこなのだ! 自殺と一緒だ! 早く金を返して和樹の元へ行こう!!
私は、隣の席の犀陵時次の方に勢いよく振り向いた。そして、
「ひっ!」
犀陵時次の恐ろしい顔に、思い切り情けない声を出した。
「大志」
両肩が掴まれる。痛い。おかしいな、言う通りにしたのにその顔はなんだ。なんだその真顔は。冷たい瞳は。深いよ。燃えてるよ、瞳が。
狼狽する私に対して、犀陵時次は、明らかな作り笑いを浮かべてきた。
「ちょっと、話し合おうか」
ああ、聞いた事がある。
元、直属の部下の1人が、所謂オタク、というやつで。ネットスラングにも詳しくて、こういう状況をなんていうのか教えてもらった。
曰く、無限ループ、だと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます