第4話

 まあ、考えてみれば、結果的に今のタイミングが一番スムーズに会社をたたむ事ができた時機だったのかもしれない。


 口うるさい上に何もしない、経費と浪費の区別もついていない親族達は、自分達が何も考えず、騙されて自社株を犀陵に渡してしまった事とその結果を直面すると、一斉に顔色を悪くした。


 皆口揃えていうのは、少しだけならいいと思った、まさか、他の面々も株を売っていたなんて思ってもみなかった、との事だ。


 大体、なんで株を売ったのか、というのも、皆騙された、と口にしていた。私からすると「お前らのスキルとか経験とか、もう少し客観視していたら、そんなうまい話はないってことに気が付かないか?」としか言いようのない、薔薇色の未来を——本人達の認識では——約束されていた。本家での話し合いの時に居合わせた、ちゃんと外の世界の厳しさも知っている彰は、そんな馬鹿な親族達をみて、心底から失望して軽蔑した顔をしていた。私もそうしたかった。譲渡制限株式って知っているか? うちのもそれだったんだが、と言うことすらできなかった。


 なんでそんなに騙されて株を売るくらいなら、私に株を譲らなかったのか。私に無茶を言いたいが為にずっと手放さなかった株だったのに。そんなに犀陵時次の息子達が新しい寄生先としてよく見えたのか。そんなに、いくら若いとはいえあの兄弟が甘く見えたのか。どこまで馬鹿で世間知らずなんだ、と頭を抱えたほどだ。


 でもまあ、結果的に、負い目があるから、口うるさい親族達は何も言えず、逃げるように私の近くから、会社から、消えていった。心配していた本家の財産の権利も主張せず——というか、主張したら、債務とか損害賠償も自分達に降りかかってくるとでも思ったか、何も言わず、私の側から消えていった。だから、私は何の邪魔もされず、会社をたたむ事ができたのである。だから、一周回って感謝してる。ようやく、あの生き地獄から抜け出せたのだ。一連の最中、あまりにも馬鹿馬鹿しくなって自殺を図ったりしたが、でも、あの経験も今後の自殺に役立つと思えば悪いものではない。ちゃんと、伊吹の今後の為にも、金銭関係は綺麗にしてから死ななくては。


「貴方には、感謝すらしていますよ、本当に。私の人生に、いい踏ん切りを与えてくれた」

「なら、」

「書きません。本当に、書きません」


 ずい、と机の上で滑らせられた契約書に、私は片手を上げて首を振った。


「日付も変わりました。今日はこの辺りにして、休んだらいかがですか」


 私は、視線を壁の時計に向ける。

 長針はあっという間に6時を示している。現在時刻、0時30分。早く、帰りたい……。


「どうしてもご納得いただけないのなら、また後日話しませんか。お互い、ムキになっているやもしれません」


 私は、妥協案、という名前の逃亡案を口にした。とにかく、向こうが納得せずとも、この家から逃げ出せたら私の勝ちだ。後日は後日。日付は指定しない。指定してきても無視してやる。とにかく、この家にもういたくない。犀陵時次がここまで無茶ができるのは、この家が彼の牙城だからであって、外でこんな無茶はできないだろう。


「……そうだな。私も、少し疲れたよ大志。泊まっていってくれ」


 よし、納得してくれた。私は、ぐ、と拳を隠れ握った。泊まり、という言葉は聞かなかったことにした。


「だが、寝る前に少し晩酌に付き合ってくれないか。昼間もワイン、全然飲んでいなかっただろう」

 

 犀陵時次の、まるで縋るような瞳。だから、なんでこいつは演技の道に進まなかったのか。そりゃ息子達と違い、美男子、というわけではないが、でもテレビの中の俳優は美男子ばかりではないし、演技派俳優としていい線いったと思うのだが。


「……分かり、ました」


 私は、頷いた。


 犀陵時次は、嬉しそうな演技をしてから席を立ち、ポケットから鍵を取り出して扉の鍵を開けた後、部屋から出て行った。外からまた鍵もしっかり掛けられる。


 私は、すぐさま行動に移った。

 隣の席に置いていた私のカバンから、財布とスマホの2つを取り出してズボンのポケットにしまう。残りは裁判資料ぐらいで、これは原本ではなくコピーされたものだから、まあ、個人情報ではあるが仕方がない。ここに置いておこう。時間稼ぎになるだろう。そして、カバンをそのままに、私はこの部屋に備えつけてあるトイレを目指した。


 トイレに入り、トイレの小さな窓を見つめる。倒産劇の最中、散々痩せた私の体であれば、なんとかそこから脱出できそうだ。というか、ここからじゃないと逃げられない。先ほどいた部屋にも窓はあったが、大きくはない上げ下げ式窓であったから、そこからでは出られなさそうだった。なので、私はトイレの扉の鍵を掛けてから、トイレの窓に手をかけた。柵はない。防犯上問題ありだが、運がいい。


 靴はないが、これも仕方がない。どうせ深夜だし、靴下のまま歩いても目立たないだろう。警察の職務質問で見つかったら、「友人の家で酒を飲み過ぎて忘れました」とでも言おう。あちらも笑って解放してくれるだろう。


 そして、私はトイレの窓を開けた。


 びーーーーーーーーーーーー!


 私は、反射的に窓を閉めた。


 この閑静な高級住宅街に、相応しくないブザーの音が、鳴り響いたの、だが。

 なんで? おい、なんでだ、犀陵時次。


 がたんがたん、という音が、外からする。


「大志」

 

 こんこん、と、トイレの扉がノックされた。

 

「音がしたぞ」

「その」

「開けるぞ」


 鍵穴から何かが入れられる音がして、鍵のつまみが、くるりと回る。


 扉が開き、現れた犀陵時次は、なんか、その、作り笑いの演技がまたうまいな、という感じで笑っていた。


「……その」


 私は、思い切り目を泳がせた。


「換気を、しようと思って」

「…………」


 犀陵時次は、黙ってぱちり、と換気扇のスイッチを押した。狭いトイレの中、換気扇の音が響く。ごー、という換気扇の音が、沈黙の中、よく響く。


「大志」

「なん、ですか」

「伊吹くん、本当に逃げ足が早いし逃亡スキル、とでもいうのかな、本当にすごいな」

「…………」


 知ってる。

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