終わり

 審判は、あっさりと終わった。

 元々民事裁判は、弁護士同士が書類のやり取りをして終わり、というのも多い。大志は、静かな態度だった。嘘の黒字決算書で銀行から融資を引き出した、という事実を素直に認めて、反省していた。銀行からの損害賠償請求を、素直に受け入れた。素直すぎるぐらいだった。

 まあ、そのような態度が、粉飾額が多額でありながら、刑事告訴にまでいかなかった理由なのだろう、と思えば、複雑な気分にはなる。


 傍聴席では、私と瀬川以外にも人がいた。中には、籤浜の会社の元社員らしき人間の姿も多く、彼らは、大志の姿に涙をこぼして、悔しそうにしていた。私は、それを見てまた安心する。だって、大志は決して悪い人間ではないと、大志なりに頑張っていたのだと、会社の中でも見ていた人間が少なくない数いたのだ。それが、嬉しかったのだ。瀬川も、彼ら彼女らの姿を、神妙な顔をして見つめていた。


 大志を訴えた相手方も、複雑な顔をしていた。理由はわかる。籤浜の会社は、確かにビジネス的な問題も多くあったが、大きく足を引っ張っていたのが、多額の役員貸付金――ようは、籤浜の親族の面々の資金の私的流用や、本業に関係のない赤字事業だった。赤字事業は、親族がただやりたかったから、という舐めた理由で続けていたものばかりだった。


 大志が止めようとしても、取締役から解任してやる、なんて脅されて止めきれなかったのだ。大志一人では、過半数の株も、持っていなかったのだから。確かに大志は一番多くの株を持つ筆頭株主ではあったが、役員達が協力すれば、大志を社長の椅子から追い出す事は、いつでもできた、というぐらいの株しか持っていなかった。籤浜の会社は、ひどく、歪んだ状態だったのだ。


 大志は、他に味方が碌にいなく、頼る相手もないまま、信頼なんてできない親族達に囲まれて、ずっと、1人で頑張っていたのだ。だから、大志ばかり責任を負わせるのは酷だ、と大志に損害賠償を請求した銀行側も分かっていたのだ。大志の弁護士も、役員であった親族達の責任を強く主張していた。裁判長もそれを認めた。私も同感だ。親族達へは、確か、民事でも責任を追及できたし、税務上も問題ありとのことで、税務署も動くらしい。思う存分やってもらいたいものだ。私も、まだ体は動くのだから、息子達のことをちゃんと見ておかないと。


 裁判が終わり、私と瀬川は外へ出た。


 建物の中ではなく、外に出る。裁判所の建物はどうしても威厳がありすぎて圧迫感がある。だから、外に出た。外は変わらず澄んだ青空でいい陽気だった。


 2人して、腰くらいの高さの花壇の縁に座る。私たちの間には、重い沈黙が満ちていた。


「もしも」


 瀬川が、ぽつり、とこぼした。


「俺が、兄さんを支えていれば、こうはならなかったんでしょうか。俺が、そばに居たら、伊吹だってあんなに逃げ回る事はなく……」


 それに、私は返答ができない。

 責任を感じるのは仕方がない。けれども、大志が抱えるものは、一個人が抱えるには大きすぎた。瀬川は勤め先では経理部に所属し、会計の知識も深いとはいえ、籤浜の会社を立て直すのは、相当難しかっただろう。まず、株を持ち、身分不相応な贅沢ばかりの親族達を経営から締め出す事から始めなければならない。


「……もしも、君が責任を感じるというのなら」


 私は、瀬川と向き合った。


「大志に、たまに顔を見せてやって欲しい」

「……そうですね。また、自殺されたら困ります」

「そうだな。私も、旧友が自殺なんて勘弁だ」

 

 私は、久々の煙草を取り出す。妻が嫌がるから外で吸わねばならぬから、何か頭をスッキリさせたい時しか吸わない様になった。ニコチンには耐性があるようだ。

 瀬川が傍聴席にいるのを大志が見た時、大志は暗い顔に、僅かに笑みを浮かべた。その笑みはすぐ消えてしまったが、でも、やはり大志にとって、瀬川は特別なのだと思う。私には、何もなかったのが、やはり、寂しかったが。


「瀬川くん。聞いてもいいかな」

「なんですか」

「大志は、君がずっと、伊吹くんに協力していたのは、知っているのかな」


 私の言葉に、瀬川は、いいえ、と首を振った。


「知りません。今も言ってませんから」

「ならよかった。なら、ついでに頼まれてくれ」


 私は、紫炎を吐きながら瀬川を見つめる。


「君が、大志を裏切っていた事、墓場まで持っていってくれるか」

「…………」


 瀬川は、眉間に皺を寄せた。


「どうせ、伊吹くんの連帯保証人だって、家族には墓場まで持っていくのだろう。ついでだ。その事も、大志には絶対に言わないでくれ」


 さもなければ、と、言いかけて、私は口を噤む。私の手持ちのカードでは、瀬川に対しての脅しには足りない。


「この通りだ。頼むよ」


 私は、煙草の火を持ち歩き灰皿に潰してから、深々と頭を下げた。それに、瀬川は大志そっくりの目を剥いて、思い切りたじろいだ。


「あ、頭を上げてください。わかりました。言いません。私は、伊吹にも兄さんの事は任せろ、なんて言いましたし」


 一先ず頷いてくれた。私は安堵に胸を撫で下ろした。


「……また一つ、ついでに。老婆心ながら、言わせてくれ」

「もう何がきても驚きません」

「それは頼もしい。じゃあはっきり言うが、君のその、伊吹くんに対する思いは、ちと行き過ぎだ」


 瀬川の顔が歪んだ。


「連帯保証人がどんなに危ないか、君も分かるだろう。それなのに、あっさりとそれに応じるなんて」

「でも、犀陵さんにお約束していただきました」

「君は、最初に加賀美に接触したが、加賀美が私と繋がっている事なんて、伊吹くんも君も知らぬはずだったろう」


 私は、しっかりと瀬川を見つめた。大志とよく似た、けれども違う顔を見る。


「君は、私の約束が無くとも、連帯保証人を引き受けていた。違うかい」

「……」

「いくら伊吹くんが誠実な人柄でも、もしも君の細君にその事を知られたら一体どうなるか。それぐらい、君だって想像できたはずだ」


 瀬川は、何も言えないように俯いて、膝の上で拳を握っている。


「瀬川くん。妻に絶対に言えぬ事は、今回の事で終わりにするべきだ。いくら伊吹くんが大事でも、そればかりではいけないよ。君はもう、父親なんだから。ちゃんと、自分が作り上げた家族と、向き合いなさい」


 きっと、と、大志から見せられた写真の中、千秋と刹那のやり取りを楽しそうに、幸せそうに見つめていた伊吹くんの姿を思い出す。


「伊吹くんも、それが嬉しいはずだよ」


 瀬川は、目を見開いた。


「……そうですね。俺も、そろそろ甥っ子離れをしなければならないみたいです」


 瀬川は、目を伏せて、どこか、寂しそうに呟いた。


「伊吹、ちょくちょく、娘が好きな物は何か聞いてくるんです。向こうから帰る時には、娘が喜びそうな物を買って帰るなんて」

 

 瀬川は、穏やかに笑っている。


「娘もあっという間に思春期になって、父親を嫌がるようになるでしょうから、今のうちに、ちゃんと、関わって、おかないと」


 瀬川は、どこか吹っ切れたような顔をして、笑っていた。


「ありがとうございます、犀陵さん。お子さん達とは似ていませんね」

「まあ、息子2人は見た目は妻似だからね」

「中身も似ていません」

「……」


 褒めているつもり、なんだろうな、きっと。まあ、息子達の瀬川への態度の悪さは、加賀美から聞いている。息子達が悪い。ちゃんと分かってる。金額を書いていない小切手を出して縁を切れって、千秋、それはどこで覚えた? いやな金持ちそのものだぞ?


 刹那の方はともかく、そんな千秋にちゃんと嫁は来てくれるのか、今からでも見合いを勧めるか、と思っていると、隣の瀬川から、「あ」と声がして、私もそちらを見る。


 裁判所から、大志と大志の弁護士が揃って出てきた所だった。弁護士はまだ司法試験に合格してそう年月が経っていない若者らしいが、大志の弁護もしっかりとやっていた。将来有望で何よりだ。弁護士は、何かを話した後、一足早く大志から離れて歩いていく。私達に気付くと、大志から事前に何か聞いていたのか、軽く会釈して去っていく。


 1人残された大志は、私たちを――いや、瀬川をじっと見つめていた。疲れ切った顔に、僅かに安堵の色を混ぜて、瀬川を見ている。私の事は、見ていない。


 まあ、いい。私に原因がある。会社倒産のきっかけになったのは息子達だし、そもそも、私が遠い過去ばかり見て、大志から背を背けた後悔とちゃんと向き合わなかったせいだ。仕方がない。これからどうにかしていこう。


 私は、そう思うと、瀬川と向き合った。


「瀬川くん。今日は私に譲ってくれ」

「え?」

「……今まで、私も親友を支えてこなかった、償いをしたいんだよ」


 妻から今朝渡された、ラムネが入った袋の紐の持ち手を強く握る。流石に、今自分がしようとしている事を思うと、手が震える。粉飾をしていた期間が長かったせいか、相手方が請求する損害賠償も、私でも躊躇う額だったから。それと借金をあわせた金額は、と、考える。


 まあ、予想から外れていない事を祈ろう。


「大志の事は、私にも任せて欲しい。できる限りのサポートをする。その為の金だ。だから今日は私に大志を譲って欲しい」

「……もしかして」

「多分、君が思っている通りの事を、私は大志にするよ。20年越しの決意と勇気だ」


 だから、と私は生唾を飲み込んで、私を見ていない大志を見つめる。


「君は、早めに帰ってご家族と過ごしなさい。今日はきっと、有給を取ったのだろう」


 私の言葉に、瀬川は表情を引き締めて、頷いて、一礼した。出会った時と同じく、気持ちのいい礼だった。


 そして、瀬川は立ち去った。大志は、その背を追いかけるのでは無く、ただ、見送っている。私の事は、変わらず見ていない。


 だから、気づいてくれるように、一歩、私は足を踏み出した。






 

 



 なあ、大志。


 伊吹くん探してたのはさ、別に押し付ける為とかそうじゃなくて、支えてくれる人間が、欲しかったんじゃないか。


 本妻の子だって、出来は悪かったのかもしれないけど、でも、お前なりに向き合おうとしたんじゃないか。


 でも、時間が足りなかった。1人きりで、抱え込まなきゃいけないことばかりで、誰かと向き合う時間が足りず、息子達2人と、すれ違ってしまったんじゃないか。

 

 そもそも、会社だってさ、元々の原因は、お前の父親じゃないのか? お前が会社の業績を悪くしたのでは無くて、父親の代から、その火種は燻ってた。違うか? 


 お前は、その後始末に必死だったんじゃないか?


 お前の事、買い被りすぎかな。でもさ、俺はさ、お前に夢を見ていたいんだよ。


 大志。妻がな、珍しく料理を作るって言うんだ。美味いワインも用意するってさ。

 ああ見えて、料理は美味いんだよ、あいつ。完成まで時間はかかるけど。


 でも、その前にさ。


 あの頃みたいに、ラムネを一緒に飲みながら話そう。昔話して、息子達には勝てないなって話を、お前としたいんだよ、大志。


 なあ、大志。


 お前と、あの頃みたいに、なりたいんだよ。


 





 

 一方の靴は、まるで地面に縫い付けられたように動かない。

 もう一方の靴は、勇気を出してまた一歩踏み出す。


 どちらが先に口を開いたかどうかは、彼らだけが知る話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る