第4話

 その日、出席した経営者同士の交流会の場に、大志がいた。私はその姿を見た途端、目を見開いて凝視してしまった。


「どうしたんですか、時次さん」


 話していたどこかの経営者が、私の視線の先を見る。そして、ああ、と、何でか興味のなさそうな声をあげた。


「あの人、籤浜の会社の。何でこんなところに」

「……来てはいけないと言うのかね?」

「……そうですね」

 我ながら、不機嫌の色が滲み出たその声にあっさりと同意されて、私は思わず、え、と声を落とした。しかし、話していたその男は、「だって」とまるで子供が唇を尖らせるかの様に続けた。


「確かに会社は長く続いてますけど、もうビジネスモデルが古くなっています。他の事もやっているみたいですが、ちゃんと利益が出ているかどうか。この場所に来るなんて、ふさわしく、」


 私は、最後まで話を聞いていられなかった。目の前の男の名前を瞬時に忘れて、無視して、私は大志の横を目指して歩く。貰った名刺は帰りの車の中のゴミ箱に入れてやる、と誓って、手に持ったままの名刺を他の名刺と混ざらない様にスーツのポケットに無造作に入れる。そして、慌てて追いかけた男が私に話しかけるより前に大志の横まで行き、「久しぶり」と声をかけたのだ。


「珍しいな、こんな場にいるなんて。元気にやってたか」

「……」


 大志は、昔よりも老けたが、でも涼しげな切れ長の瞳を驚いた様に見開いた後、ちらり、と私の後ろを見た。私も一応確認してやると、大志に対して失礼な口を聞いた名前も代表を務める企業名も忘れた男が焦った様な愛想笑いと揉み手で追いかけてきた所だった。


「その、私の事は後でも、」

「ああ、そうだ、あっちで話さないか、積もる話もあるし」


 と、私は遠慮する大志の肩を組み、無名の男をひと睨みして動きを封じ、近寄ってきた察しのいいウェイターから2人分のドリンクを貰い、片手で持ちながら歩いた。周囲の人間達の視線を感じるがどうでもいい。久々に大志と会ったし、一通り挨拶はし終わったし、今日はそれで十分だ。残りは大志と色々話そう。大志が誰かお近づきになりたい相手がいれば、後で私の口添えでなんとかなる。そう思って、居心地悪そうにする大志を引きずって、会場から出た。


 会場を出た外にある喫煙スペースは、無人だった。だから、そこの長椅子に大志を座らせて、ドリンクを差し出す。大志は、遠慮がちにドリンクを受け取って、口元まで運ぶが、飲まずに灰皿とセットになっているテーブルの上にグラスを置いてしまった。スパークリングワイン、というか、炭酸系の飲み物は全般好きだったはずなのに。

 

 私の方はもう口をつけている。スパークリングワインで、黄金色が美しいし味も美味しい。飲まないのか、と横に座る大志に尋ねれば、大志は「ええ」と、なぜか他人行儀に頷いた。


「車、ですので」

「そうだったのか。すまないな。何か他にソフトドリンク貰ってくるよ」

「いえ、長居する気はありませんから」


 私は苦笑した。久々に会ったというのに、長居する気はないとはどういう事だろう。それに、その他人行儀な口調はなんだ。昔の様に話そう、と腕を掴もうと手を伸ばすが、その前に大志に睨まれた。


 初めて見る顔だった。それに、私の笑みが強張ったのが分かった。大志は、育ちがいいから、他人に対して感情を乱すのを見せるのをよしとしない上に、その切れ長の瞳は、とても疲れた様に、膿んでいた。


「息子が、世話になっているみたいですね」

「息子……?」


 一瞬、何のことかわからないが、でも記憶を辿ると、確かに大志の息子と千秋は確か中高の同級生で、仲が良かった。千秋が中学の頃、授業参観から帰った妻からその事を聞いた時、とても嬉しかった。血は争えないな、なんて、思ったものだ。


 けれども、千秋が高校を卒業してから5年以上経っている。いや私と大志の息子達なら、高校を卒業後自然消滅、なんて事もなく、きっと仲良くやっているはずだ。私と大志の様に。


「ああ、そういえばうちの千秋と仲が良かったんだったな」


 私の言葉に、大志の眉間に皺が寄った。


「いやお前、息子に聞いて驚いたよ。愛人の子なんだって? 千秋と仲良くしてるのは。ハハッ! お前もなかなか元気だなぁ!」


 私は、大志の背中を昔の様に叩く。けれども大志のピンと伸びた背は崩れず、ただ体が揺れている。


「お前、妻は見合いだったんだって? 結婚も早かったし、そりゃあ遊びたいよな。相手はどこで、」

「いい加減にして下さい、犀陵さん」


 その硬い声と、睨む、疲れた、クマの浮かぶ眼差しと、犀陵さん、なんてひどい呼び方に、大志の背を叩いていた自分の手が止まった。


「あなた、他人の家庭や会社のことを、裏から手を回して引っ掻き回すなんて、随分な趣味をしていますね」


 大志は、立ち上がった。そして、自分を冷たい目で見つめてくる。睨んで、くる。他人? 私たちは、そんな仲じゃ、ないだろう。


「息子は――伊吹はどこにいるんです。私から逃げた息子をあなたが匿っているのは知っているんです。わざわざ息子達まで巻き込んで、どういうおつもりか」


 何を言っているんだ、大志は。


 他人行儀な口調と、大志の怒りと、疲れと、その顔。色んな事が分からなくて、私はただ、大志に見下ろされるがままになっていた。大志の冷たい瞳に映る私の顔が、引き攣っている。


「犀陵さん。伊吹を返してください。あれは私に唯一残された子供だ。跡取りなんです」


 伊吹。

 そう、確か、愛人の子の名は、伊吹、といった。


「た、大志」

「……いい加減、その呼び方もやめてください。昔とは違うのですから」

「いや、その。わからない。分からないんだ、お前が、何を言っているのか」

 

 私の言葉に、大志は苛立ったように片眉を上げた後、はあ、と、呆れた、と言わんばかりのため息を溢した。


 それも、分からない。

 同い年で、学友で、親友だったのに、長年の呼び名を否定される意味がわからない。昔とは違うって、何が違うんだ。その敬語もやめてくれよ、なあ。


「あなたの次男の、刹那くん、でしたっけ。彼の護衛をさせているのでしょう? 伊吹に」

「え……?」

「ただ大学に通うだけなのに、随分と過保護ですね。伊吹に護衛をさせて、刹那くんに不埒な輩が近付かないように守る、なんて」


 刹那の護衛?

 そんなの、私は頼んでない。


「ま、待ってくれ、何のことだか」

「これでも、まだしらを切りますか」


 見せられた大志のスマホ。そこには、正しく刹那と、一見似ていないが、でもよく見れば大志と同じ切れ長の目の青年が写っていた。彼は、大志と背格好がよく似ていた。刹那の方がノートを広げて、青年の方が穏やかな顔でノートを指差せながら話している。勉強を、教えているようだ。

 次に見せられた写真には、千秋も写っていた。千秋の車から、刹那と、先ほどの青年が降りようとしている。背景には、千秋の住むマンションの名前が書いてある。

 次の写真は、また大学の構内と思しき場所で、青年は刹那の頭を笑いながら撫でている。刹那は、嬉しそうな顔をしていた。

 

 写真は何枚もあった。どれも、青年は千秋と刹那の側にいて、とても、仲が良さそうだった。私の息子達と同居もしている様だった。


「彼が、息子、なのか。お前の」

「……本当に、白々しいですね」


 大志は、冷たい目を私に向けたままだった。それが、嫌だった。白々しい、なんて言葉、大志に言われたくなかった。


「刹那くんと同じ大学の、親切な友人の息子がいましてね。私に教えてくれました」

「……友人?」

「言いませんよ、誰だかは。友人にも仕事と家族がいる」


 何だその言い方は。

 まるで、私がその友人を害そうとしているみたいじゃないか。しないよ、そんな事。お前の友人なんだろ。確かに、少し、嫉妬をしたけども。


「とにかく。早く伊吹を返してください」


 大志は、スマホをしまって、じっと私を見下ろして睨んでいる。私は、なんで大志にそんな目で見られなくてはならないのか分からなくて、混乱していた。


 確かに、おかしいな、とは思っていた。

 2年前の大学入学直前になって、刹那は大学に行くのを嫌がった。妻と私で散々その甘えた根性を叱ったのだが、刹那は私達から逃げて、一人暮らしをする千秋の部屋に転がり込んだのだ。でも、安心していた。千秋ならば、刹那を甘やかさず大学に行かせる事ができると。実際にそうだった。千秋の部屋に転がり込んでから、刹那は素直に大学に行った。大学から送られてくる試験の成績も悪くないし、やはり千秋に任せておいてよかったな、と思ったものだ。たまに実家に顔を見せる時、視線は合わないが、以前は家の中でも被っていた帽子をかぶらなくなった。いい変化のはずだった。でも、それは、千秋のおかげではなかったのか。大志の息子、伊吹くんが側にいて、付いていたからなのか。


 刹那は、そんなに誰かの事を、信頼する事ができたのか。千秋は、家族以外の誰かを、家に住まわせるなんて事ができたのか。


「わ、悪い、大志」


 私は、大志に深々と謝った。


「本当の、本当に知らないんだ。管理が不行き届きで申し訳ない。まさか、伊吹くんが、息子2人の側にいるなんて、本当に知らなかった」

「下手な演技はいい加減に、」

「演技じゃない!」


 私は、正面に立つ大志の腕を掴んだ。


「本当だ! い、伊吹くんが息子達の側にいるんだな? 今日にでも直ぐに息子達を呼んでちゃんと帰す様に言うよ。本当に、本当に悪かった、この通りだ」


 私は、頭を下げた。


 大志は、何も言わない。なんて顔をしているのかも分からなかった。でも、本当に信じてほしい。私は大志を裏切ってなんかない。今でも、大切な親友だと思ってる。本当なのだ。


 大志は、黙っている。しかし、あ、と声が溢れた。


「……頭を上げてください」


 私は、大志の言葉にゆっくりと顔を上げた。大志を見上げる。けれども、大志は、私の方を見ていなかった。私の後ろを見ている。私も振り向くと、同じ交流会の出席者と思しき人間が、煙草を片手に引き攣った顔をしてこちらを見つめていた。大志は、それを見ていたのだ。


「説得してくださるのですね」

 

 大志は、早口で言った。視線はちらちらと、喫煙所に用事がある人間と私とを交互に見ている。……まさか、私の事を信じたのではなく、人が来たから、頭を上げる様に言ったのか?


「分かりました。直ぐにそうしてください」


 大志は、そう言って踵を返した。


「お時間を取らせて申し訳ありませんでした。私は帰ります」

「た、大志」

「言っておきますが」


 大志は、私を振り返って、小さな声で確かに、こういった。


「もう立場は違うのですから、昔の様な話し方は、よしてください」

「え……」

「あなたは気にしなくても、下の人間は、気にするものですから」


 では、と、大志は他人行儀な一礼をして立ち去った。私は、その背中を見つめることしかできない。今、気付いた。大志が着ているスーツ、それが随分と昔の型で、とても古びている。久々に引っ張り出して着たみたいだった。それに、なんでか置いてかれた気分になる。おかしい。私は、大志の横に立つために、今まで頑張ってきたのに。


「犀陵時次さん」


 話しかけられて振り向くと、先ほどやってきた人間が、半笑いで煙草を取り出しながら話しかけてきた所だった。


「なんなんですか、あの人。随分と慇懃無礼ですが」

「そ、その」

「スーツも大分くたびれてましたね。無理してこの交流会に来たんじゃないんですか? 全く、それで犀陵さんに喧嘩を売るなんて、何を考えているんでしょう」


 頭がおかしいんじゃないんですか、と、大志を嗤う人間。それに、私の頭が一気に真っ赤になった。


「お前に何がわかる!!」


 私の怒声に、先ほど大志が座っていた場所に座ろうとしていた男は、ひっ、と情けない声を出して、咥えかけていた煙草を落としてしまった。


 私はそいつを無視して立ち上がる。携帯を取り出して、千秋の名前を電話帳から開く。今頃千秋は仕事中のはずだ。まあいい、直ぐに家に来させて、説明させて、伊吹くんを大志に返す様に言わなくては。


 そうして、千秋の名前を押そうとした時だった。先に、私の携帯が鳴ったのだ。

 なんてタイミングだろう。その相手は、千秋だった。


「――もしもし」


 気付けば、横に居たはずの人間が居なくなっている。ちょうどいい。空気が読めるのは良いことだ。私は、怒りと共に電話を出る


『父さん⁉︎』


 千秋の、初めて聞く様な焦った声。


「……なんの用事だ」

『伊吹に、何か言ったのか!』


 本当に、なんてタイミングだろう。大志が伊吹くんの事を私に頼んでから、直ぐに千秋からその伊吹くんの話が出てくるとは。


 しかし、私はまた、何が何だか分からない。伊吹くんの事を知ったのは今さっきなのだから、私が何か言う事もないのに。


「どういう事だ」

『刹那から連絡があって! 伊吹が家にいないって! 俺の所にも、親に居場所がバレたからもう側にいられないって、メッセージが!』


 私は、思い切り舌打ちを打った。

 なんて逃げ足の速さだ。大志に居場所が割れたのを知られてから、あちらではどのくらい時間が経っているのか知らないが、でもこんなに早く逃げるとは。


 でも、まだ逃げて時間は経っていないから、その辺にいるはずなのだ。それに、あの写真達のこともあるし、メッセージを残すくらいなのだから、伊吹くんは千秋と刹那を信頼しているはずだ。2人を使えば、また誘き寄せられる。


『ッ! その舌打ち、やっぱり父さんか!』

「千秋。仕事はその辺りにして、今すぐ家に来るんだ」

『ああ、行ってやるよ! 説明してもらうからな!』

「説明してもらうのはこちらだ千秋」


 私は、それ以上何も言わずに電話を切った。そして、駐車場で待っているだろう運転手に連絡を取り、直ぐに帰ると伝えたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る