第3話
どんな会社だって、まだ少しのきっかけで直ぐに潰れてしまいそうなくらい不安定な時期は、最初の頃、必ずあるものだ。
我が社の場合、まだ父が社長の頃は本当に不安定だった。
父の事は、尊敬しているし、裸一貫から旅行会社を立ち上げる勇気はすごいと思っている。自分が父の跡を継ぎ、会社を大きくしてやるんだ、と当時の若い私は燃えていた。父の背中を見つつ、いつかその背中を超えてやるのだと、そう思っていた。
きっかけは、父に連れられて行った高級ホテルだった。そこで働く従業員の優雅な立ち振る舞いに私は感銘を受け、彼らの仕事の一助になるような仕事をしたい、彼らのもてなしに見合う人間になりたい、と私はそう、夢を見ていた。
けれど、金銭的に無理をして入った、中高一貫校では、そんな私の熱意は浮きがちだった。学友達は皆、育ちが良くおっとりとした人間ばかりで、話す内容といえば、乗馬とかクラシックとか海外のこととか、優雅な金のかかる趣味の話ばかりで、海外はともかく、乗馬もクラシックも知らない私は、まったく話について行くことができなかった。
いじめを受けたり露骨な悪口を言われたわけではなかった。皆、育ちがよかったから。でも、私は無理をして学校に入ったから、全く話について行くことができず、同級生達も明らかに自分たちと毛色の違う私に、憐憫じみた思いを抱いているのは直ぐに分かった。
いつか、こいつらを凌ぐぐらいのすごい男になってやる、なんて、1人教室に残って勉強していた私に話しかけてくれたのが、籤浜大志だった。
大志は、顔立ちもあって一見冷徹な雰囲気を持っていたが、他の同級生達と同じく、育ちが良くて穏やかな、真面目な性格だった。けれども、他の同級生達とは違い、自分の優雅な生活を自慢する事なく、いつか、長男として自分も跡を継ぐのだから、と人知れず努力をしている様な男だった。厳しく躾けられたからと、礼儀作法は完璧で、立ち振る舞いも洗練されていた。曰く、茶道も日本舞踊も仕込まれたから、と、どんな所作も丁寧で、顔立ちもあって、見ていて惚れ惚れとするような男だった。
一見冷徹そうな顔立ちだったから、放課後の教室で2人きりで過ごしていた時に笑いかけられると、自分にだけ素を見せてくれたんじゃないか、自分だけに笑いかけてくれたのかって、よく自惚れた事を思っていた。
大志は、お互い向かい合って勉強をしていた放課後の夕日が差し込む教室で、私に「尊敬している」と、言ってくれた。がむしゃらに、父を越えようと頑張っている私がすごいと。自分も頑張る原動力になると。お前が友達でよかった、と。
初めてだった。そんな事を言われたのは。だって、周りの同級生からしたら、私は「身分不相応な学校に入ってきた哀れな野良犬」であったのに、大志はまっすぐに私の事を「麒麟児」だ、と言ってくれた。それが、とても嬉しかった。家族や父に褒められた時よりもずっと、ずっと、嬉しかった。大志がそういうなら、と私は調子に乗って頑張った。大志の言葉を違えてはいけない。いつか、私の会社は大志が継ぐ老舗企業と並び立つような会社になる。絶対に、なってやる。
そう、誓ったのだ。
学校を卒業してからも、大志と会う事があれば、必ず話しかけた。出席したパーティーで集合写真を撮る、なんて話になれば、必ず私の横には大志がいた。それが、とても誇らしかった。
誇らしかった。その何枚もの写真は宝物だった。自分の成功の証だった。若い頃の私が、ずっと夢見ていた夢が、叶った瞬間の数々だった。
なのに。
いつからか、大志の姿は、私が出席する場に、現れなくなっていた。
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