終わり
私は、会長からの電話に、私は胸をなでおろした。
「籤浜大志さんへの、ご援助、ですか」
『ああ。本人からは遠慮されたが、なんとか理解してくれた』
電話の向こうの会長は、穏やかな様子だった。なぜか電話の向こうで、ドンドン、と何かを叩く音が聞こえるが、そんな事よりも会長の言葉に、安堵が隠せなかった。
『息子達は、乱暴な手段を取ってしまったから。私もね、気にかけていて』
「その、お元気でしたか、籤浜大志さんは」
『……ああ。元気だよ』
ドンドン、と音が聞こえる。
だせ、とか、はんざいだ、とか男の声が聞こえる気がする。なんだろう。テレビの音だろうか。どこかで聞いた事のあるような声だ。こんな俳優いただろうか。
まあでも珍しい。会長が、電話をしているのに、テレビとか見ているなんて。
『すまない。猫の為に、色々と家を改装していて』
「猫ですか。いいですね」
『まあ、うん』
会長は、どこか照れくさそうだった。
『籤浜の会社についても調べた。酷かったよ。大志は、よくやっていた』
「そう、ですか」
籤浜の会社の実態は、私も耳にした。本当に、籤浜大志は、頑張っていた。本当に。
『加賀美。このまま電話を息子達に代わってくれないか。今、昼休みだろう』
「かしこまりました。少々お待ちください」
今は昼休み。
オフィスでの食事休憩は禁止されているから、社長室メンバーはほとんど出払っていて、食堂とかランチスペースにいる。だから、社長室には私しかいない。社長室併設の会議室には、千秋くんと刹那くんがいるはずだ。だから、その中に入ろうと、と思っていた、のだけれど。
「伊吹、最近ちょくちょく報告に上がる、この、スミス、という男はなんだい」
『いや友達だよ』
「友達? はっ。SNSも確認したが、随分と卑しい顔をしている。持ち歩いているブランド品は全て本物の様だが、センスが悪いな。きっと成金だから、縁を切れ」
『い、いやいやいやいや!! せっかくできた友達と縁を切れとか言うな千秋!!』
千秋くんが、電話の向こうの伊吹くんの、留学先で出会った友人に、難癖を付けている。
「伊吹。昨日と一昨日、なんで、部屋から一歩も出ていないんだ? GPS、忘れたんじゃないだろうな?」
『いや、勉強が大変なんだよ!! 予習復習レポートに! 土日と、ずっと部屋にこもって勉強してたんだよ!!』
「伊吹は優秀だから、そんなに勉強に苦労しない。嘘、吐いている……?」
『こっちは現地語混じりの英語で講義なんだぞ! いくらなんでも片手間に勉強できないから!!』
刹那くんが、やっぱり伊吹くんにGPS付けさせて、伊吹くんの行動を、監視している。
「伊吹。勉強の記録、毎日ご苦労様。でもね、この記録で、3年で卒業できると思っているのか」
『大学は4年ある! 確かに、最短3年で卒業できるけど!!』
「伊吹は、俺達と早く働きたくないのか? 俺と、また一緒に住む気はないのか?」
2人して、伊吹くんの都合をガン無視して、伊吹くんに最短で大学を卒業しろ、とプレッシャーをかけている。
「………………」
私は、手の中のスマホを保留状態を解除すると、そっと、私の耳に当てた。
「……申し訳ありません、会長」
『ん?』
「お二人とも忙しそうなので無理です失礼します切りますね」
『え? ちょ、加賀美? なんでそんなに早口なん、』
私は、そのまま電話を切った。
そして、会議室の中の、入り口に背を向けて座っている、千秋くんと刹那くんの背中を見つめる。
ああ、尊敬する先輩である奥様。
そして、その伴侶たる会長。
あなた方は、子育てを間違えました。
その為の犠牲となっているのが伊吹くんです。いや、彼もまた、物好きと言わざるえない。
「ふ、ふふふ……」
押し殺した笑い声が聞こえて、そちらを向く。そこには、いつの間にランチスペースから戻ってきたのか、私の部下で、社長室付きの、小山由香里がいた。少し開いた会議室の扉から、中を覗いている。目線の先は、千秋くんと刹那くんの隣り合った背中である。
「小山さん」
「あ、加賀美さん。すいません、その、面白くて。社長と、刹那くんが」
そしてまた、千秋くんと刹那くんの姿を見て、笑いを押し殺してニヤニヤしながら部屋を覗いている。
普段の私なら、きちんと止めるべきだ。でも、今はその気が、一切わかない。
『だから、GPSは忘れてない! 勉強してたんだよ! 本当だって!!』
伊吹くんは、会長の瀬川さんへのフォローを知っているはずだ。お金に執着心があるタイプとは思えないし、お金だけ置いて、いっその事、逃げてしまえばいいのに。私は、てっきりその気で、あの契約書があると思っていたのに。
でも、なんでか、千秋くんと刹那くんの下だか側だかにいる覚悟を決めてしまったらしい。
うまくまとまった? そうかもしれない。でも、私は呆れるしかない。
私は、また会議室を覗いてニヤニヤしてる小山さんを止める気力すら無かった。だから、彼女を置いて、私の机の上の、旦那が作ってくれた弁当を持って社長室から出る。
廊下を歩く間、私は自分のスマホを取り出す。そして歩きながら操作をして、メッセンジャーアプリを起動して、旦那の名前を押す。
明日も、仕事がある。
けれども、私はそんな事なんて気にせず、思い切りお酒を飲んで、誰かに話を聞いて欲しかった。
旦那は口も硬いし、その相手に最適だ。だから私は、旦那に連絡をする。そろそろ次作の構想を練らなければ、と言っていたから、もしかしてネタにされてしまうのかもしれないけど。
でもいいや。こんな話、いったい誰が信じるのか。そして、面白いのか。それに、旦那もプロなのだから、ネタにするにしても、この馬鹿馬鹿しい顛末に、うまいことフィクションのベールを張ってくれるだろう。
そう思って、私は文字を打つ。返ってきた返事に、私は、笑みを浮かべて、私が長年働く会社の廊下を、歩いていくのだった。
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