第8話
私は、耳に入れたワイヤレスイヤホンを耳の中に入れ直して、耳を澄ませた。
『そもそも、千秋。お前は何を思っているんだ』
久々に聞く、伊吹くんの声。それに、注意深く、耳を澄ます。
『何をって?』
『刹那は、その、恋愛感情で納得できる。でも、千秋。お前は分からないんだ。俺の事を、どう思っているか。教えてくれ』
私も、気になっていた。だから、今、千秋くんと瀬川さんと、そしてモニターで繋がっている刹那くんと伊吹くんがいる場に仕掛けられたレコーダーから聞こえてくる音声を聞く。
私が今いる場所は、会社の最上階の、半ば倉庫となっている部屋だ。重いから最上階から下ろすのも億劫で、つい部屋の一室に押し込めてしまった、古い備品の数々。その中で、私はノートパソコンを叩いていた。コピー機もあって、私のノートパソコンと有線で繋がっている。隠れて契約書を作らなければならないので、こんな場所で、こっそりと私は4人の会話を聞いていたのだ。
本当は、契約書は昨日、作ることができた。昨日の午後、千秋くんが会社にいない間に、契約書を作る事ができれば、こんな倉庫で古いコピー機を動かす必要はなかった。でも、こんな契約書を作る事が、伊吹くん、そして、瀬川さんに本当にいいのか、と思ってたら何度も手が止まってしまった。だから、今になって、こんな大急ぎで作っている訳だ。
刹那くんが千秋くんを話そうとしたのを遮って、……その……確認?、の後に、千秋くんのため息が聞こえた。
『誰かから押し付けられた人生がクソッタレって、君も知っているだろう?』
私は、どくん、と心臓が鳴った。
『俺さ、母のお腹にいた頃に既に性別が分かってて、第一子で長男だったから、生まれる前から後継者になる道が決まっててさ』
ぎしり、と椅子が鳴る音がする。
『今、会社は祖父から数えて3代目。会社が今後も存続できるかどうかの正念場だよ。だからさ、もう幼い頃から早期教育、習い事、帝王学と後継者教育を受けていたわけだ』
そうだ。
千秋くんは、物心が付いてから、奥様が主導して、家庭教師を付けたり、たくさんの習い事をしたり、会長自ら教鞭を取り、社長としての心得を習っていた。私も、何度か習い事の送り迎えを頼まれた事がある。
『でもさ、思うだろう? なんで自分には将来の夢を決める事ができないんだろうって。幼稚園の頃、周りはさ、無邪気にスポーツ選手とかヒーローとか馬鹿な夢を語っている訳だよ。でも、俺だけ語れない。将来は決まってる。うちの会社を継ぐ。それだけ。夢を見ることもできない』
千秋くんは、吐き捨てる様だった。
刹那くんは次男だったから、それなりに習い事や家庭教師は付いていたが、千秋くん程ではなかった。兄の告白を、どう思っているのだろうか。
『幸か不幸か、俺は優秀だったから、両親の望み通り育った。婚約者も決めてやるからな、とか言われて、そんなもんなんだ、と半ば諦めて小等部を卒業して、中等部に、伊吹、君がいたんだ』
そんな事を、思っていたんだ。
かつての、中学に上がるまでの千秋くんを思い出す。奥様譲りの顔立ちで、美少年と言っていい程の少年だったが、奥様や会長の言うことに「はい、母さん」とか「分かりました、父さん」となんでも頷いていた。
可愛かったけど、あまり人間味を感じなくて、まるで人形のようで、正直、私は千秋くんの将来が、心配だった。
『君は知っていたか知らないが、もう君は籤浜の跡取りと周囲から思われていたんだよ。本妻の子の駄目っぷりは有名だった。暴れん坊で、何校も受験に失敗していて、やっと金を積み上げて入学した私立も素行の悪さで退学になるくらいで、あれは駄目だと周りから思われていた』
ふー、と、瀬川さんのため息が聞こえる。心当たりのある様なため息だった。瀬川さんは、本妻の子とは僅か3歳しか違わないという。色々と、苦労したのかもしれない。
『最初に近寄ったのは、同じ跡取りとして俺の役に立つかなってそれだけ。でも君は、こう言ったね、言いやがったね、俺の目の前で!』
がたん、と大きな音が聞こえた。
『跡取りになんかなりたくない、いつか必ず父から逃げ出すと! 俺には! 逃げ出す選択肢すらなかったのに!!』
私は、より胸が痛くなった。
そんな事を、思っていたんだ。そんなに、跡取りが負担だったんだ。
『その時の俺の気持ちが分かるか? 初めて嫉妬したよ。妬ましくて憎たらしいと思ったよ! 俺と同じ立場のくせに、俺の未来とは違う未来をキラキラと語るんだから!』
千秋くんの声が、熱がこもっている。
『中等部から入ってきたくせに! 勉強もあっという間に俺に追いついて! 俺の知らない事たくさん知っていて! 大人しくしていると思ったら気付いたら美味しい所もっていく強かさがあって! 俺が中高と生徒会長になった時は黙って一緒に生徒会に入ってくれて! そのおかげで死ぬほど生徒会運営がやりやすくて! 俺がどんなに自慢話をしても、普通の顔して聞いている! すごいな、物知りだな、と素直に褒められた時の俺の気持ちがわかるか伊吹!』
千秋くんは、はー、と大きく息を吐いた。
私は、中高の頃の千秋くんを思い出していた。
その時から、千秋くんは自分の意思を奥様や会長に伝える様になった。学校でも、会長譲りのリーダーシップを発揮して、誰かの上に立って、集団を導く役割を積極的にこなす様になった。中学の頃も、高校の頃も、生徒会長選挙では在校生の殆どの票を集めて、生徒会長に就任した。よく笑う様になって、どんな立場の人にも堂々と、自分の意思をためらわず伝える様になった。
でも、それは、伊吹くんのおかげだったのか。
伊吹くんが、友達になってくれたから、千秋くんはどんどん積極的になっていったのか。
——ありがとう、伊吹くん。
『だから決めたよ。君を、俺の思い通りの人生にするって』
あれ?
『俺の敷いたレールの上を歩いてもらうって! 俺の下で、俺を支える人生にするって!』
あれ? あれ?
なんで、そうなっちゃうの?
『俺が両親に初めて逆らったのも君の影響なんだぞ伊吹』
千秋くんは、はっきりとそう言った。
『結婚相手は自分で決めるって、宣言したのは君の影響なんだぞ!』
私は、思い切り吹き出した。
いや、確かに千秋くんが小学生の時、当時、社長だった会長が、「千秋に婚約者を探すか」と言っていたのを聞いたことがある。でも、一度聞いたきり、その後は何もなかったから、聞き流していたが、千秋くんが会長と奥様に始めて意思を伝えたのが、それだったのか。
分かる。分かるわ、千秋くん。
結婚相手、自分で決めたいよね。私も、プロポーズした時、旦那はデビューはしてたけど、小説で食べられる程の収入なんて程遠いし、旦那は男らしい、という訳ではなかったから、私の両親から結婚を渋られたわ。でも、私は私の両親を押し切って結婚したわ。全く後悔はないわ。千秋くんも、そうしたいよね。
『なら、君は責任を取るべきだ。いや取らなくちゃいけない』
でも、伊吹くんにその責任を押し付けるのは違うと思うわ。
『本妻の子が亡くなった時は絶好のチャンスだと思ったよ。すぐに助けてくれ、と俺に連絡が来ると思った。そのまま、俺の下にいさせようと思った』
せめてね? その事を素直に伝えよう?
自分の事を、支えてくれって、素直に言おう?
というか、自分から連絡を取ろう? そういうところだと思うよ?
『でも、来なかった。それどころか! 連絡がとれなくなっていた!』
うーん。
私は、悩む。
確かに、親友だと思っていた伊吹くんが、全く自分を頼ってくれないのは、寂しいしショックかもしれない。私も、旦那が私を頼ってくれないのは寂しい。
『物凄く腹が立ったよ! だからホテルで君を見つけた時は逃さないと思ったよ。ちょうど転がり込んでいた弟の世話を押し付けて! そのまま俺の下に、縛り付けようと、思ったのに』
千秋くんは、耳でしか聞いてなくても、分かるくらい熱が入っている。
『逃げた。逃げやがった。俺の下から』
千秋くんの歯軋りの音が聞こえる。
『あんな奴、口封じは簡単にできたのに、俺の力を信じず! 君は逃げたんだ!』
確かに、全く相談もなく頼る事もなかった事は、ショックだろう。
『なんとしてでも、籤浜よりも先に捕まえる。伊吹を俺に縛り付けると誓ったよ。弟が君によからぬ思いを抱いていたのも利用して、君を、俺の下にいさせると!』
捕まえる、とまで気持ちがいくのは、私には分からないけど。
でも、それってどうなの、千秋くん。
刹那くんが伊吹くんに恋愛感情を抱いたのは仕方がないかもしれないけど、伊吹くんの気持ちも確かめず、勝手に恋愛感情を利用していいと思っているの? 弟の初恋、なんだと思っているの。伊吹くんの貞操、好きにしていいと思っているの?
『そして今、君は刹那に捕まって雁字搦めな訳だ。ふん。いい気味だ』
というか、始めから素直になって。
そうすれば、こんなことにならなかったでしょ?
『俺に初めて嫉妬させて、決められた未来とは違う夢を見させた君を、俺は一生許さない』
いや、だからね?
伊吹くんのおかげで人生が変わったのはいいけど、その責任を伊吹くんに押し付けるのは違うでしょ?
どうして兄弟揃って、伊吹くんにそこまで重い感情を持てるの。兄弟だから? 会長と奥様、どちら譲りなの、伊吹くんにそんな感情を向ける血は。
『そのまま、俺の下で、ずっと生きてもらう』
男同士、だからなのかなぁ。
仕事で、自分の隣で、支えてくれって事になるのは。
伊吹くんが女性なら、結婚、ということになってたのかなぁ。いや、ダメだ。伊吹くんが女なら、伊吹くんを巡って千秋くんと刹那くんで大戦争が始まってしまう。男でよかった。……よかった? よくないわ。刹那くんは男の伊吹くんに恋愛感情を抱いているし、男女どちらでも、相手の気持ちを考えず、自分の気持ちを押し付けてはならないのよ、2人とも。
『分かったね、伊吹。君の人生は、俺と出会った瞬間に、とうに決められているんだ』
私は、頭を抱えるしかない。
ずっとお世話して、支えてきた千秋くんの、初めて知った折り曲がりすぎた感情に、ちょっと、頭が、パンクしそうだった。
私は、理解した。
千秋くんと刹那くんは、子供なのだ。
おもちゃが欲しい欲しい、と、親が折れるまで駄々を捏ねる子供だ。
その欲しがる対象が、おもちゃや物であるのならよかった。でも、2人が欲しがっているのは、人間である伊吹くんである。
本当に、どうしたらいいんだろう、これ。
いいのかな、会長はフォローを約束したとはいえ、こんな、契約書作って。千秋くんを納得させる為とはいえ、いいのかな。やめようかな、作るの。
『ああ、瀬川彰。君には幼い女の子がいるんだっけ? それは都合がいいよ。とても、ね』
『そうだな千秋。よく売れるからな、女の子は』
こいつらーーーー!!!!
私は、歯軋りをしてキーを叩く。
内容を碌に確認もせず、できた契約書を人数分コピーする。刹那くん用に、私のスマホにPGFファイルにして保存する。
伊吹くんへの脅しだとしても、瀬川さんのまだ小さなお子さんに手を出そうとするなんて何事か!! 人の心がないの!?
私は、契約書とスマホを持って、パソコンやコピー機の電源も落とさぬまま、千秋くんと瀬川さんがいる部屋に向かう。走る。ヒールをカツカツと鳴らしながら、猛ダッシュする。すれ違う社員が私の姿にぎょっとしていたが、関係ない。
私は、2人の子供のお目付役として、2人の鼻を明かす為に、走るのだ!!
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