第7話

 私は、早足で歩く。

 本当は走りたい。伊達に、長年ヒールを履いて仕事をしていないので、ヒールでダッシュも私はできるが、そんな事を会社の中や近くでやれば、まだ会社にいる千秋くんに見られたら不審がられる。だから、私は早足で会社のビルの中を歩く。


 思い浮かぶのは、籤浜大志の背中。そして、それとそっくりな、伊吹くんの背中。





 ——籤浜大志さん。



 伊吹くんの事を、何年も探した、という事は、貴方も伊吹くんの事を、思っていたのでしょう。


 親として、その思いは自分勝手だったのかもしれません。でも、伊吹くんの事を、何も思っていなかった訳ではないのでしょう。


 私だって、2人の子持ちとして、子供達の関係には何度も頭を悩ませました。貴方も、そんな苦労があったのではありませんか。


 出来が悪い子だって、可愛かったでしょう。


 唯一残された子に、執着する事もあるでしょう。


 なら、貴方だって、伊吹くんが千秋くんと刹那くんに酷い目に遭わされる事なんて、望んでないでしょう。


 伊吹くんは、私に任せてください。絶対に、助けますから——!





 そして、私は会社のビル、そして敷地内を出る。その先の、駅に向かう、一本道。その、最中。


 ほとんど走っていた私の足が、止まった。


「籤浜、大志さん……?」


 私の言葉に、路上に立っていた籤浜大志は目を見開いた。


 いや、違う。 


 籤浜大志は、会長と同い年で、もう還暦が近いが、私の視線の先にいる人は、せいぜい30代半ばだ。よく見れば、顔も、籤浜大志とは、少し違う。でも、よく似ていた。


 その人は、ゆっくりと私に近寄ってきた。


「加賀美さん、でよろしいでしょうか」


 その人は、厳しい顔で、私を見つめる。街灯の下、その人の、籤浜大志とそっくりな瞳に、焦って走っていた、すっかり乱れた私の姿が写っていた。


「私は、瀬川彰、といいます。伊吹の叔父で、その、籤浜大志の、末の弟です」

「弟……」

   

 私は、その言葉を繰り返した。瀬川彰は、頷いた。


「伊吹の事で、貴方にご協力していただきたい事があるのです」

「伊吹さん! そ、そうです、伊吹さんが、大変で……!!」


 私の様子に、瀬川は驚いた様に目を見開いた後、安心した様に息を吐いた。


「話が早いのは助かります。どこか、人目につかない場所で、お話ししたいのですが」

「でしたら、瀬川さんも来てください! ご案内します!」


 そして、私は近くに停めてあった、瀬川の車に乗り込んだ。

 終業時間もとうにすぎていて、会社から見えなくなったとはいえ、会社の近くで、結婚もしている私が、見知らぬ男性の車に乗り込んだ所を見られたらどう周りから思われるか、なんて分からない訳ではない。でも、今は私の事なんてどうでもいい。


 そして、私は促されるまま助手席に乗り込んで、瀬川彰に、会長の自宅の住所を、告げたのだった。

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