第4話

 歳を重ねるごと、季節は過ぎるのが早くなる。


 実際に科学的に証明されている事らしい。別に1日1日を、決して無為に過ごしているわけではないつもりだけど、私の年齢だと春から夏になる、なんて本当にあっという間なのだ。


 小さい子供は、様々な経験が全て新鮮で、強烈だから1日1日が長く感じる、なんてこともあるらしい。なるほど、確かに、私も新しい環境で過ごす時は、この年でも1日が長く感じるものだ。強烈な体験をした時も、時間が長く感じる。一瞬、時間が止まったようにも感じるものだ。


 だから。


「千秋。俺、伊吹にGPS付けたい」


 私は、刹那くんのこの言葉に、耳を疑って、時間が止まったような感覚におちいるのも、仕方がない事だった。


「……GPS?」


 千秋くんの、怪訝な声がする。


 いつも通りの、社長室併設の会議室の中。

 時刻は終業時間を少し過ぎていて、千秋くんはあと少し仕事は残っているが、でも大した残業時間にならず帰宅できるだろう。刹那くんの仕事が終わってるのは私が確認している。だから、刹那くんに誘われた千秋くんは、仕事の手を止めて、また伊吹くんについて相談しているのだ。


 私も、医者から言われた、伊吹くんの社会復帰の時期である夏に入ったのもあって、その相談かな、と同席していた。伊吹くんは最近受けた英語の資格試験のスコアはすこぶる良く、この結果がとれる程の頭の良さと本人の素直さがあれば、私も安心して仕事を教えられる、と思っていたのだ。伊吹くんの職歴については、私と千秋くんと刹那くんで相談した結果、他の社長室メンバーにはほとんど何も言わない、と決めている。とりあえず、英語が堪能で、元々異業種にいたので最初は慣れないだろうが、千秋くんも認める程の頭の良さがある、とだけ説明する、という事になった。一応、嘘ではない。


 これが通じるのは、千秋くんが普段、真面目に、努力を怠らず会社を経営して、結果も出していて、社員達からも認められているからだ。「社長が認めた人材なら、異業種からでも優秀な人間に違いない」という認識が当たり前にあるほど、千秋くんは社員達から認められている。その恩恵を、今回はフルに活用させてもらう。最初は伊吹くんの事を不審に思う社員もいるかもしれないが、仕事に慣れてくれば、そう思う社員も少なくなるだろう。


 だから、私は今日は、伊吹くんの具体的な入社時期についての相談かと思っていた。でも、刹那くんの口から出た言葉は、全く違った。


「うん。GPS」


 刹那くんは、私が聞き間違えしたのか、と思うほどあっさりと、その単語をまた口にした。


「GPS……?」


 私は、つい、「GPSってなんだっけ」と思ってしまった。


「一応聞く。なんでだ?」


 千秋くんは、片手をスラックスのポケットに入れて、軽く眉間に皺を寄せていった。


「……前に、夢を、見て」

「夢、ですか?」


 私の言葉に、刹那くんが頷いた。


「伊吹が、また俺達から離れて、海外に行って。で、ようやくまた見つけた時は、俺達すらも、届かない場所にいるって夢」


 刹那くんは、俯きながらいった。


 私は、どう反応すればいいのかわからず、千秋くんの方を見る。千秋くんは、私を見ず、刹那くんをじっと、先ほどと変わらない顔で見つめていた。


「どうやってつけるつもりだ? GPS」

「スマホに仕掛ける、とか。何か持ち物に仕掛ける、とか」

「スマホはな。あいつ、勘がいいから不審なアプリがあれば直ぐ見抜きそうだ」

「じゃあ持ち物には?」

「常に持ち歩いている物って何かあるか? それに、それにも直ぐ気がつきそうだな」


 あれ?

 私は、思わず2人をまじまじと見つめてしまった。でも、2人は真面目な顔をして話をしている。私は、片手をプルプルとあげて、声をかけた。


「す、すいません、お二人共」

「新しく何かをあげるか、千秋?」

「何かしら意味がないと、あいつも持ち歩かないだろ」

「お二人共!!」


 私は、外に声が漏れるなんて気にしてはいられないほど叫んだ。


 2人の琥珀色の瞳が私を見る。奥様似で綺麗だ。綺麗だけれど、先ほどの発言の数々は、全く美しくない。


「お二人共。落ち着いてください」

「加賀美だろう、落ち着くのは」

「珍しいね、加賀美さんが声を荒立たせるのは」


 やめて。

 そんな、無垢な目で「おかしいのは加賀美だ」みたいな風に見るのはやめて。一瞬でも私の常識を疑ってしまうから。疑いたくないから、私の常識を。


 私は、気を取り直し、咳払いをしてから口を開いた。


「あのですね、GPSは、駄目です。伊吹さんにつけるのは」

「盗聴器にするか?」

「盗聴器も駄目です! 他人のプライバシーを侵害するものは全て本人の許可なくつけては駄目です!!」


 私は、また大きな声が出てしまった。つい、扉の方を向いてしまう。どうせ聞こえていても、誰も来ないのは分かっているが、ついやってしまった。

 私は、もう一度咳払いをした。


「あのですね? 伊吹さんは小さな子供や徘徊老人でもないのですから、本人の許可なく勝手にGPSを付けて居場所を把握したり、盗聴したら犯罪になります。伊吹さんから、許可は取れますか?」


 私の言葉に、千秋くんと刹那くんは、お互い顔を見合わせて黙り込んだ。


「許可が取れないのならば、そういったものはつけては駄目なんです。もしもバレたら警察沙汰になったり、お二人の側から離れようとするかもしれませんよ」

「……でも、加賀美。夢を見たんだ」

「刹那さんが嫌な夢を見て、不安になる気持ちも分かります。ですが、そういう時ほど冷静になって、伊吹さんとは話し合った方がいいと思います」

「話し合うねぇ」


 私の言葉に、怪訝な声を出したのは、千秋くんだった。私は、千秋くんの方を向くと、千秋くんは、納得できない、みたいな顔を浮かべていた。


「素直に話すか? あいつが」

「……正直、伊吹が本気で俺たちに隠し事をしてたら、俺達は全く分からない」


 千秋くんと刹那くんの言葉に、私はため息をついた。


「誰だってそうですよ。誰も、他人の心の中なんて覗けません」


 私は、旦那を愛してる。旦那も、きっと私を愛してる。でも、それは私がそう信じたいからじゃないか、と言われても、否定はできない。でも、それは向こうも同じだ。心の中を覗けないから、愛情を信じない、なんて、馬鹿げた話があるものか。


「だから、話し合うのでしょう? いきなりGPSなんて直接的で、乱暴な手段を取らず、3人できちんと話し合うべきですよ」


 私は、腰に手を当てた。


「社長もなかなか素直ではありませんし、刹那さんも口下手でしょう? 何か、コミュニケーションの行き違いがあるのかもしれません」


 2人は、また顔を見合わせた。


「というか、確認しますけど、伊吹さんは、社長や刹那さんの、一緒に働いてほしい、と言う思いは、知っているんですよね?」


 2人は、きょとん、という顔で、私を見た。


 ……あれ?


「す、すいません、お二人とも」


 そ、と、2人は、私から目を背けた。


「答えてください。伊吹さんは、社長の、右腕になって欲しいという思いは、知っていますか」


 千秋くんは、顔を背けている。


「あのですね、社長。伊吹さんが我が社に入る、というのは、刹那さんより社長の意向が強いのではないですか?」


 千秋くんは、私と目を合わせない。


「社長。社長は、伊吹さんに、言いましたか? 自分の右腕になって欲しい、と。それくらい、伊吹さんを認めている、と」

「加賀美」


 そ、と刹那くんが、私の肩に手を置いた。


「千秋はその、素直じゃ、なくて」

「社長!! いい加減にしてください!!」


 私は、また外に聞こえるのも構わないほど叫んだ。


「伊吹さんがご自分のキャリアを気にしていらしたのは私だって気が付いてました! そこを! お二人でフォロー! したんですか!!」

「俺も?」

「はい!! フォローしましたか⁉︎」


 刹那くんは、きょとん、とした様子で私の方から手を離して、自分の顔を指差す。


「毎日、食事美味しいって言ってる」

「う、うーん……」


 私は、腕を組んで頭を傾げてしまった。


 私は、旦那の締切前以外、家事育児は旦那任せだった。毎日は言ってなかったが、でも、感謝を伝えられるタイミングがあれば、感謝は伝えるようにしていた。その時、旦那も嬉しそうにしていた。でも、正直、私が旦那の小説を褒めた方が、旦那は嬉しそうにしていた。ただ、面白かった、このキャラクターが好き、としか言えなかったし、具体的な指摘はできなかったけど、嬉しそうだった。


 私に置き換えてみるが、私は私の仕事ぶりよりも、たまに作る私の料理を褒められた時の方が嬉しかった。私が家庭の経済的主柱を担っているのは、私も旦那も子供達も納得していたが、心のどこかで、普通の母親や妻らしい事ができてない事に少し気にしていたから、私の料理が褒められた事が嬉しかったのだ。母親や妻としても、ちゃんと私を認められた気がして。


 なので、刹那くんの言葉には悩む。伊吹くんが女なら、料理を褒められて嬉しいかもしれないが、男なので、伊吹くんは。家庭内での役割、というよりも、仕事のような、社会的な役割で認められた方が、もしかしたら嬉しいのかもしれない。


 ちょっとこれは、本人に確認してみないと分からない。私が考えても仕方がないので、頭の横にこの疑問は置いておく事にした。


「社長」

「……何、加賀美さん」

 

 千秋くんは、変わらず私と目を合わせていない。


「その反応は、ご自覚なさっていますよね、伊吹さんに伝えていない事があると」

「……」

「社長は、刹那さんよりも長い付き合いで、大学で離れても縁が切れなかった親友なのでしょう。社長は、上場企業の社長として、毎日頑張っているのを私は知ってます。社長は優秀です。なので、刹那さんよりも、社長自身が認められた方が、伊吹さんは嬉しいのでは?」

「え、俺の褒め言葉、伊吹は、嬉しくない……!?」

「いや、そうは言ってません」


 私は、刹那くんの絶望したような声に、慌てて首を振る。


「でもですね、刹那さんは伊吹さんと5歳違いなのでしょう? でも、千秋さんは同い年。同い年の、社会的な地位もあり、優秀な親友から素直に認められた方が、伊吹さんも素直に、お二人の手が取れるかもしれませんよ」


 私の言葉に、千秋くんは少し、眉間に皺を寄せた。


「あいつが、入社してからじゃ、ダメかな」


 うーん、と、私は、困ってしまって眉間に皺を寄せた。


「なんでですか」

「いや。絶対逃げない場で言いたくて」

「ヘタレないでください、社長」


 私は、千秋くんを軽くだけど、睨む。


「どうしたんですか、普段の堂々とした感じは」

「千秋、俺わかる。伊吹が受け入れてくれるか、心配だよな。分かるよ。俺も、伊吹に初めてのキスをした時はすこし不安だったけど、なんとかなった」

「不意打ちのファーストキスと同列にするな愚弟」


 千秋くんは、軽く頬を赤くしてる。


「あ、じゃあ、誕生日!」


 千秋くんは、いきなり、誤魔化すかのように言った。


「あいつ、今月、7月が誕生日なんだよ! で、お祝いするし、誕生日プレゼントも渡して! その場で、言う! どうかな、加賀美さん!」

「…………」


 私は、また腕を組んで首を傾げた。


「誕生日祝い、と言いますと、私がいたらおかしいですから、私は、フォロー、できませんよ?」

「わ、分かってるよ! 加賀美さん!」

「お二人だけで、素直になって、伊吹さんへの想い、正直に、言うんですよ?」

「で、できる! できるってば!」

「素直に、なれますか?」

「誕生日プレゼントにGPS仕込むから! それを首輪だと思えば!」


「誕生日プレゼントに! GPSはなおさらダメです!!」


 私は、前途多難さに、頭を抱えたのだった。


 その時だ。千秋くんのスマホが震えた。千秋くんはそれに逃げるようにスマホを取って私から背を向ける。そして、「誕生日プレゼントにGPS! 流石だ千秋!」と言った感じの刹那くんに、しっかりと目を合わせて「それは、絶対に駄目です」と言い聞かせていた時だった。


 千秋くんが、ゆっくりと振り向いた。その顔は、先ほどの赤い顔から一転、血の気が引いていた。それに、私と刹那くんは驚いて、千秋くんの顔を見てしまう。


「籤浜、大志が」

「はい?」


 籤浜大志が、どうしたのか。

 嫌な予感に、心臓が冷たい手で鷲掴みにされたような感覚がした。


「自殺を、図ったって」


 私の目が、大きく見開いたのが、自分でも分かった。

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