第2話
「どうだった? 伊吹は」
4月も半ばも過ぎた頃、千秋くんと刹那くんの身に、大きな変化があった。
一つは、彼らの野望の一つであった、籤浜の会社を潰す、という目的が達成間近となった事。そして、もう一つが千秋くんと刹那くんが、ずっと探していた、籤浜伊吹くんが、とうとう、彼ら2人の元に戻ってきた事、だった。
「……社長のご学友にしては、良識そうで、安心しました」
先ほどまで伊吹くんがいて、籤浜の会社について説明していた、社長室併設の会議室。私は、そこで片付けをしながら、窓から、会社のビルを出入りしている人々を見下ろす千秋くんの問いに答えた。
私の問いに、千秋くんは振り返ってにやり、と笑った。
「加賀美さんがそう言ってくれてよかったよ。君が認めなければ、伊吹だって居心地が悪いから」
「伊吹さんが社長と刹那さんの側で働く事は、貴方方にとって決定事項でしょう? 私の意思を気にかける気があったのですか」
「随分と信用ないね? だって、伊吹に仕事を教えてくれる人が伊吹をどう感じるか、ぐらい、俺だって気になるよ」
2人は、ずっと伊吹くんを側に置く為に頑張っていた。それに、伊吹くんは、どう思っているか、先ほど会議室で見た時だけでは分からない。
籤浜の会社の事を説明した時、伊吹くんは瞬時に顔を真っ青にしていた。そして、2人がやった事の大きさをすぐに理解した様だった。
正直、少し、安心した。
千秋くんと刹那くんの口ぶりから、そんな人ではない、とは聞いていたけれど、でも、2人の頑張りを当たり前の様に受け取る様な人間でなくてよかった、と思っていた。伊吹くんは、途中で酷く動揺して、即座に父親の元に戻ろうとしたけれど、刹那くんが押さえ込んでいた。
父親。
私は、彼の姿を思い出す。
私が、彼が粉飾をしている事を告げた時、彼は、あっさり過ぎるほど——誰かに、指摘してもらいたかったのか、と思うほど、素直に粉飾の事実を居合わせた役員達と従業員の前で認めた。
役員達は動揺して、籤浜大志を責め立てた。籤浜の会社の会議室の椅子から立ち上がって、彼に向かって、ひどい言葉を——私が、止められる立場でもないのに、私でも、止めたくなる様な酷い言葉を彼にぶつけた。籤浜大志は、そんな言葉もただ、黙って受け止めていた。
けれど。
『あんたらが、社長1人になんでも押し付けるから、こんなことになったんじゃないか!』
居合わせた籤浜の1人の従業員の言葉を皮切りに、その場にいた籤浜の親族以外の社員達は、すぐに籤浜大志を庇った。
『気がつかなくて申し訳ありません』
『今からでも、力になります』
『社長、私たちがついてます』
そんな言葉を口々に籤浜大志にかけた。それでも納得ができず、籤浜大志に詰め寄ろうとした親族達を従業員達は協力して会議室から追い出して、私も一緒に出て行く様に言われた。
私が去る間際、従業員達は籤浜大志の周りにいた。彼を守ろうとするみたいに。自分達がいるから、1人じゃないから、と、ずっと、1人で抱え込んで、不正をしてしまった社長を、庇っていた。セクハラを受けた時、籤浜大志が助けてくれたから、というまだ若い女性社員の姿も、社長就任から、ずっと頑張りを見ていたから、という白髪姿の男性社員もいた。色んな人から、籤浜大志は慕われていた。
私は、その姿に自分でも嫌になるくらいだけど、安心してしまった。でも、同時に籤浜大志に、非常に苛立った。
だって、あんなに慕われているじゃないか。頼って欲しいと、そう思ってくれてる従業員に恵まれているじゃないか。なのに、なんで彼らにも打ち明けず、1人で抱え込んだのか、と。
だから、そんな籤浜大志とそっくりの、1人でケリを付けようとする伊吹くんの姿に、私は口を挟まずにいられなかった。穏やかな口調には、気を付けたけど。遠慮がちで、千秋くんと刹那くんのスーツ姿を羨ましそうに眺めていた伊吹くんには酷なことを、言ってしまった。千秋くんと刹那くんの手を、ちゃんと掴んで欲しくて、嘘もついた。
籤浜大志を顧みる人達は、ちゃんといた。それは、彼と血が繋がっている親族達では無かったけど。でも、籤浜大志は、ずっと俯いて机を見ていて、そんな彼らに、きちんと気がついたかどうか。
もうすぐ、籤浜は潰れる、と私でも分かった。
籤浜大志は、その事を覚悟してる、と。その後に自分に降り掛かる物のことも、恐らく、理解しているだろう。
きっと、会社が倒産した後も、従業員達は籤浜大志を気にかける。でも、当の本人がそれに気が付いて受け入れてくれなければ、何の意味もない。だから、私は、せめて伊吹くんに同じ轍を踏んで欲しくなかったのだ。
「加賀美さん」
「なんです、社長」
「伊吹、いつ入社させる? 5月でいいかな」
私の内心を知らない千秋くんは、そんな、楽しそうに奥様譲りの白い頬を赤らめている。まるで子供が、遠足を楽しみにしているようだった。
私は、少し考えてから、口を開いた。
「伊吹さん、はっきり言って痩せ過ぎです」
千秋くんの顔が曇った。でも、言わなくては。
「元々の顔立ちもあるのでしょうけど、最初見た時、まだ学生かと思いました。それぐらい、細くて、頼りなくて。もしかして、どこか身体を悪くしているのかもしれません」
会議室の扉が開く音がする。それに振り向くと、伊吹くんを送っていた刹那くんが戻って来たところだった。
「どうだった、伊吹は」
「……気にしてた」
千秋くんの問いに、刹那くんも顔を曇らせている。
「千秋。今日、早く帰りたい。伊吹の側にいてやりたいんだ」
「いいよ。フォローはきちんとしろ」
千秋くんの許可に、刹那くんは、うん、と頷いた。
「刹那さん。伊吹さんの入社時期の話ですが」
「ああ。3日後?」
違う。早い。
「そんな急には無理です。こちらも、きっと、伊吹さん自身も」
「でも。俺たちの側にいれば、籤浜を忘れられるかなって」
「いやその。社長とも話しましたけど、伊吹さん、痩せすぎです。病院には行かれました? 伊吹さん」
「……。行こうとしない。金が勿体無いって」
私は、ため息をついた。
「行ってください。検査をして、健康に問題がないか診てもらって。ある程度太らないと、私も心配で働く事を許可できません」
私の言葉に、兄弟達は顔を見合わせた。
「……分かった加賀美。すぐに連れていく」
「はい。数ヶ月ぐらいは、ゆっくりさせてあげた方がいいと思います」
彼の痩せた体と疲れた顔を思い出す。
伊吹くんは、籤浜大志と顔立ちは似ていない。母方の血が強いのだと思う。でも、その切れ長の瞳と背格好は似ている。だから、多くの従業員に囲まれても、じっと会議室の長机を見下ろしていた、あの眼差しが、いやでも思い浮かんでしまう。籤浜大志も、また、痩せていた。端正な顔立ちが、暗い色で染まっていた。
彼をそんなにした原因の一つが私たちだ。それに、親子といっても、伊吹くんと籤浜大志は別人格だし、連絡先も知らないぐらいの仲なのだから、あまり、一緒にしても仕方がない。
でも、せめて、と、思わざる得ない。
——籤浜大志さん。
あなたは1人で抱え込んでしまいましたが、私は、できる限り、あなたの息子さんを、1人にはしません。
千秋くんと刹那くんが言われずとも側にいてくれるのでしょうけど、私も、きちんとサポートしますから。
だから、あなたも——。
私は、籤浜大志の周りを取り囲む、私を敵の様に睨む社員達を、思わざるえなかった。
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