【番外編】 お前の側にはいられない〜再会した弟分が立派に育ち過ぎてて辛いので逃げてやる〜
くぅちょ
親の甘茶が毒になる 加賀美奈津
第1話 親の甘茶が毒になる
自分で言うのはどうかと思うけど、私は、恵まれた人生を歩んできたと思う。
私の生まれ育った土地と年代だと、女は高卒や短大で十分、なんて向きもあったのに、何も言わずに大学に送り出してくれた両親もそうだし、そこで出会った一生の伴侶にも恵まれ、仕事も順調だ。子供達も、そりゃ喧嘩や考え方のぶつかり合いもあったが、2人とも、立派に育ってくれた。今の所、私を含めた家族には健康に問題はない。この年齢だと、若い頃散々無理をしてきた知り合い、友人が心身の調子を崩したり、亡くなってしまったりしているのを見ると、自分がどんなに恵まれているか。
子供達と旦那は、私の仕事に理解がある。特に旦那は私の代わりに家事子育てをしてくれてとてもありがたい。旦那はいわゆる小説家だが、あまりメジャーとは言い難い。私と子供達は、ちゃんと旦那の小説を面白いと思っているのだけど。でも、トークショーとかサイン会に必ずきてくれるような、コアなファンがついてますよ、と以前会った旦那の担当編集に言われて嬉しくなった物だ。私が社会の中どんなに稼いでも、そこまで他人を感動させることは難しい。そこまで他人を魅了する旦那の仕事を、私は誇らしいと思っている。
今は、上の子はもう勤めていて、下の子は地方の大学にいるから、今は旦那と都内で2人暮らしだ。子育ても終わりが見えてきて肩の荷も降りてきた。でも、まだまだ私も旦那も隠居はする気はない。お互い支え合いながら、バリバリと働ければ、と思っている。
私の仕事は、いわゆる社長秘書である。現社長になってから新設された、社長室付きメンバーも束ねていて、なかなかやり甲斐のある仕事だ。しかも、それは尊敬する先輩から直々に任せられた仕事なのだから、気合いも入る。
現社長は、現会長、
「……またか?」
社長室に併設された会議室の中。そろそろ夕日が眩しくなっているからブラインドを閉めていると、不機嫌そうな千秋くんの声に、私はゆっくりと振り向いた。
同じく千秋くんの隣に、刹那くんがいて、椅子に座らず立ったまま、不機嫌そうに腕を組み、長机に置いたスマホを冷たい瞳で睨んでいた。
「同じ報告はいらない。いるのは結果だけだ」
冷たい刹那くんの声に、電話の向こうの相手が見るからにたじろいでいる。金を要求していたのだが、けれども、兄弟2人は、電話の向こうの、自分達よりも何歳も上で、口調が乱暴な男にも一切の譲歩は見せず、鼻で笑った。
「結果が出せない、というのなら、こちらは君たちを切るだけだよ。君達にはすでに十分な手付金は払った。時間も与えた。それなのに結果を出せないというのなら、もう君たちごと切るしかない」
千秋くんの言葉に、電話の向こうは悔しそうに歯噛みをして、後1週間の猶予を願い出た。それに、兄弟2人はため息を揃ってつく。
「千秋、どうする」
刹那くんは、横目で兄の千秋くんを見る。千秋くんはその視線を受けて、本当に、側から見て私も少し腹立つぐらいの態度と声音を作った。
「……仕方がないね。金は出さない。でも、時間は望み通り後1週間あげよう。でも、それで頼んだ人探しの結果が出ないなら、君達は切る。それを心してほしい」
電話の向こうは、舌打ちを残してから、電話を切った。
「こいつらも駄目だな、千秋」
「そうだね。全く、また無駄な時間を費やした」
千秋くんはそう言って首を振り、「そういう」相手用のスマホを操作してジャケットのポケットにしまう。刹那くんは、最後までそのスマホを冷たい瞳で見下ろしていた。
「社長、刹那さん」
昔は私も2人のことを「千秋くん」と「刹那くん」と呼んでいた。けれども、私は自分に課したルールで、仕事中に会う人間には、どんな相手でも敬語とさん付けを決めている。だから、社長である千秋くんはともかく、立場上、私の部下でもある刹那くんにもちゃんと「刹那さん」と呼び、敬語を使うのだ。たとえ新入社員やアルバイト相手でも、共に仕事をするのなら、最低限の敬意は払いたいのだ。
「なんだ、加賀美」
まあ、そんな私のルールなんて、知った事ではない刹那くんは、私とも長い付き合いなのもあって、苗字を呼び捨てして、タメ口をきいてくるけども。外でやらないなら私は許しているけど。
「また、その、裏の連中ですか」
「ああ。ま、こいつらも役立たなかったけど」
私は、眉間のシワが勝手に寄るのが分かった。
「千秋、ここは?」
「こっち方面はまだ手を出してなかったな。よし、次はこいつらだ」
とても、止めたい。
そんな輩と目的の為とはいえ、接触しないでくれ、と、とても言いたい。
けれども、私は開きかけた口を頑張って、ぐ、と閉じる。目をぎゅう、と瞑って、耐えてから、私は目と口を開いた。
「社長、刹那さん。約束、覚えてますね?」
「約束? 加賀美と何か約束をしたか? 千秋」
「あー。うんうんはいはい、覚えてるよ加賀美さん。あ、こいつらもいいかもしれないな」
「同時進行で行くか?」
「そうだね。向こうには黙っておこう。断られたくないからね」
やめて。
やめて、そんな、危ない連中をそんなに気軽に使うのは。
後、同じ依頼を複数の組織に出すのは、もしも現場被りをした場合、余計な火種になるから駄目だ、と言われていたでしょう。その事を教えてくれた人は、裏の世界でもまだ良識派で、ちゃんと表の世界と裏の世界の常識の違いも教えてくれたでしょう。その人のなけなしの良心をちゃんと汲んであげて。
「刹那さん。もしも、伊吹さんが見つかったら、ちゃんと裏の連中と縁を切る、という約束は覚えてますか?」
「そんなのしたか? 加賀美と」
「しました! 千秋さん社長就任日、早速裏の連中と接触しようとしたあなた方と私で! 確かに約束しました!」
私は、頭痛がしてきそうな頭を抱える。でも、刹那くんはすっかりと記憶の彼方の様で、「覚えていない」と言わんばかりに、なぜか私の方を眉間に皺を寄せて見つめていた。
「というか、聞きたいのですが、なぜ、現在行方不明中の伊吹さんが見つかった後も裏の連中と繋がろうとしているんですか。おかしいですよ」
「……だって。伊吹は、逃げ足が早いから。ちゃんと、捕まえておかないと」
「どうやって捕まえるつもりですか。どんな手段を使うつもりですか貴方方!」
私は、思い切りつっこんだ。
この2人は、ちゃんと会社の仕事はする。
いや、刹那くんは少し怪しいかもしれないが、でも、一応仕事はちゃんとする。けれども、たった一つ、この人が関われば、兄弟揃って大暴走しかねない人間がいる。その名前は、籤浜伊吹。
千秋くんの学友かつ親友で、刹那くんが大学生の時、まだ視線恐怖症で、大学にもまともに通えなかった刹那くんのお世話をずっとし続けていた人間である。
千秋くんは、半ばその為に社長となり、刹那くんもその為に働いていると言っても過言ではない人物である。
「まあ、捕まえた伊吹が俺達からもう離れないのいうのなら、別にもうこいつら使う理由もないしね」
千秋くんは、裏の連中と繋がるためではない、自分のスマホをいじりながら答えた。私は、決して安心できない事を知って背筋が震えそうになる。もしも、見つかった伊吹くんが、この兄弟の元を離れた場合、また裏の連中を使うと告白してきたのだ。
「社長、本当に勘弁してください。貴方方ね、若いし地位もあるしお金もあるのですから、狙われてる立場なんです。表も裏も、貴方方の弱みを掴んで寄生したい輩がごまんといるんです。その事をご自覚なさっていますか」
「母さん似の顔も付け足しといてよ、狙われてる要因の一つに」
「だから! 自覚してください! 気をつけてください色々と!」
私は、全く危機感を抱いてない自分の上司である筈の千秋くんに、軽く絶望したような気持ちで叫んだ。何が母似の顔なのか! 持って生まれた美貌を軽く自慢して! 流石に腹立つその発言は!!
「……俺は、父さん似がよかったな」
元視線恐怖症の刹那くんの呟きに、千秋くんは心底から呆れた、という感じでため息をついて落ち込んだ様な弟を見つめた。
「お前さ、もし伊吹があれだけお前を甘やかしてたのが、その顔も理由の一つだったらどうするんだよ。父さん似であれだけ甘やかされたと思うか?」
「母さん似でよかったな」
早い。手のひら返しが早い。
後、自分の父親の顔を軽く貶さない方がいい。刹那くんはともかく、千秋くんの将来生まれるかもしれないお子さんが、隔世遺伝で会長似だったらどうするのか。そもそも、人の容姿をそう簡単に貶すな、いくら父親とはいえ。
後、普段奥様と顔を合わせる時は、2人揃って借りてきた猫のようになって、奥様がいなくなれば、「母さんがいると厳しすぎて安らげない」とか文句を言ってる癖にこういう時だけは……!
「……夢のない話ですが、男性であれば、会長みたく、地位と年収があれば、女性は寄ってくることも多いのですが」
私は、2人に呆れた顔になりそうなのを耐えながらそう言った。2人の父である
私は会長がまだ社長であった時も秘書をしていたから、会長の愛人になりたい、という女性は山ほど見てきた。あわよくば、千秋くんと刹那くんの母である奥様と離婚させて、自分がその地位に、なんて思っていそうな女性も山ほどいた。
私は正直、あまり賛同できない現実の話だ。まあ、私が曲がりなりにも稼いでいるからだと思うから、男性の収入に惹かれる女性の気持ちがよくわからない、というのもあるけれど。
「俺、そういう女嫌なんだよね、本当に。物心ついた頃から見過ぎてさ。幼稚舎の頃、高校生に口説かれたことあるんだよ、金銭欲にギラついた目でさ」
千秋くんの発言に、ほんの少しだけ安心する。この発言を聞く限り、女の趣味はそこまで捻じ曲がって育ってはない様だ。まあ、実家が裕福だからと、いたいけな小学生に口説く高校生に会ったことがある、なんて、トラウマになってはいないか、心配なぐらいだが。
千秋くんの子供がまたこの会社の後継者になるのか分からない。でも、社長の子供やその伴侶が、努力も知らず、会社にたかる様なんて見てられない。千秋くんの子供が、甘やかされて、努力も知らず、自分の力ではなく親の力で威張る様など、私は見たくない。
「まあ、私も同じ女性として、あまりステータスばかり見る女性はおすすめできません。ちゃんと、仕事の頑張りは応援しつつ、千秋さんの素を見ても幻滅せず、受け入れられるような度量の女性が良いかと。例えば、辛い事があって涙を流す様な時でも、ちゃんと寄り添えて、思いやれる方が一番です」
「伊吹みたいな?」
「女性の話です、刹那さん」
まあ、話を聞いている限りだが、2人が探している伊吹くんは、相当な包容力の持ち主である。
入学当初、大学に行きたくないと駄々を捏ねる刹那くんを毎日優しく話を聞いてやりながら大学に共に通い、頭を撫でて、甘えてくるのを笑って甘やかして、でも勉強はきちんとやらせて、家事もできて、と、正直私も家にそんな人がいたらかなり有難いと思う。旦那も家事育児は私の代わりにしてくれたし、子供も正直私よりも懐いたが、でも1人でいるとぼんやりとしがちだったり、特に締め切り前は家事などは到底できなかったり、と私と2人きりの時は私が放って置けなくなるのだ。
まあ、頼りにされてる、なんて思えば悪くはないし、誰かの世話も私は嫌いではないが。誰かの世話が嫌なら、社長秘書なんてやってない。「この人私がいなきゃ駄目なんだから、私が一生側に居てあげないと」とか思ったのが、旦那に逆プロポーズをした大きな理由である。若かったな、私。後悔は微塵ないが。
「俺が大食いに挑戦しても引かない様な?」
「ああ、それはいい物差しかもしれません。千秋さん、相当食べますからね」
「普段はちゃんとセーブしてるよ。ジムにも通ってるし。大食いは週一と決めている」
千秋くんの胃は、かなり強い。
朝から揚げ物をたらふく食べても全然平気で、どんなに体調が悪い時でも普通にご飯は食べられる。食欲が湧かない時なんてあるのだろうか、というぐらいだ。肉体的なタフさも、社長に相応しいと思う。会長も胃が強いし、体力もあるから、会長譲りなのだろう。
とはいえ、共に暮らすのだから、千秋くんのそういう一面も、笑って受け入れるような人間がいいに決まっている。千秋くんと刹那くんは、奥様譲りの顔で、それだけを見るなら、毎日フランス料理とか食べていそうな雰囲気をしている。実際に接待や打ち合わせ、交渉中に、相手と食事をする、となればそんな食事が多い。けれども、2人とも若い男性なのだから、ガッツリメニューも大好きである。1000円あればお釣りが来る様なご飯屋もよく行くらしいし、千秋くんの趣味の一つは、「いつか行きたい、デカ盛り店や大食いチャレンジメニューがある店の収集」だ。ちゃんと、見た目や地位だけではなく、そんな千秋くんの事を無理せず受け入れられる人でないと。
私は、2人がまだ小さな頃から知ってるから、そんなお節介な事も思ってしまう。流石に、お見合いおばさんの様な事はしないけど、あの子とかどうですか、とか言いたいのを我慢する事もある。例えば、私の部下で、刹那くんとも同僚で、同じく社長室付きの
「食事……」
刹那くんは、会議室の中の椅子に座り、会議用長机の上に突っ伏した。
「伊吹のご飯が食べたい……」
現在の時刻は、午後十六時。この2人の本日の昼休憩は、十四時と、少し遅い昼休憩だった。だから、空腹になったわけではない。
「……あいつの筑前煮、美味かったな」
「うん。味噌汁好きだった」
兄弟は、しみじみと語っている。
「伊吹さん、和食が得意なんですか」
「うん。伊吹、おばあちゃんに育てられたから。クソ父は、伊吹の事を無視したし」
刹那くんは、起き上がりながら頷いた。
「それはそれは……」
伊吹さんの生まれは、少々複雑だ。
籤浜の社長の愛人の子供として生まれた。でも母親は伊吹さんを実家に置き、伊吹さんはそこに1人で住む母方の祖母の手によって育てられた。
籤浜の社長である、
社会的地位があっても、女性を妊娠させるだけさせて後は音信不通、というケースを知っているから、そういう輩と比べるなら、大分マシな父親だろう。中高と、千秋くんも通った、学費が高いが設備がいい私立校をわざわざ指定して受験させたという。伊吹くん自身は、育ての祖母の生活水準に合わせて生活をしていたそうだが、でも、ちゃんと婚外子でも教育にかけるお金はきちんとかける親だったのだ。
でも、千秋くんの曰く、「跡取りを押し付ける為だった」との言い分だ。本妻の子は、私もあまりいい評判が聞かなかったのも事実だし、伊吹くんが2人のそばにいない理由は、籤浜大志が本妻の子が亡くなった為、跡取りを押し付けてきたのを伊吹くんは嫌がり、逃げた為だ。その為、伊吹くんはもう20代の後半だというのに、きっとまともな職にも就けていない。若く貴重な20代の時間を、ただ、父親から逃げる為に費やしている。それは、とても、残酷な事で、酷い事だ、と思う。
けれども、私は、籤浜大志の事を、同じ2人の子を持つ親として、どこかで信じているのが正直な気持ちである。千秋くんと刹那くんには、言えないけども。
ちゃんと、金銭面だけとはいえ伊吹くんの事をちゃんと面倒を見ていたし、月一回は顔を見せる様にしていた。大学まできちんと出している。そんな人が、本当に酷い人だろうか。籤浜大志は、悪い噂が絶えなかった本妻との間の子だって、事故で亡くなるまで手元に置き続けていたのだ。散々迷惑をかけた筈なのに、家から追い出さなかったのだ。そもそも、伊吹くんの大学も、本人が行きたい学部を尊重して行かせてる。——そんな人が、本当に、千秋くんと刹那くんが言うほど、悪い人なのか、私には分からない。
だから、千秋くんと刹那くんからしたら既に決定事項の「籤浜の会社を潰す」という目的も、どこか賛同できず、でも、会長も黙認している以上、積極的に否定もせず、複雑な気持ちになっていた。私1人では、もう、目的を止められないから、こんな事を考えても仕方がない事なのは、分かるのだけれど。
私は、ため息をつきながら使い込んだ革のカバーがついたスケジュール帳を取り出す。今は3月。もうすぐ、新年度がやってくる頃だった。
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