第3話 イベント当日

 春凪の初の個人イベント当日。とあるオシャレなカフェのカウンター席に一人、他の人たちに比べて浮いている女の子がいた。キャラが大きくプリントされたTシャツ。カバンには、服と同じキャラクターの缶バッジやキーホルダーが大量に付けられている。さらに、スマホの待受、ケースも同じキャラクターだ。まさしく、イベント前の格好そのものだ。そんな姿をした神白蓮は、スマホで推しの声優、海白七凪(みしろなな)のSNSを確認しいていた。

「朝の投稿以降、更新していないわ」

 今の蓮の姿は、普段の姿からは想像もつかないような姿だ。もしクラスメイトが今の蓮を目撃しても、似たような顔の人もいるんだなぁ、と素通りしてしまうだろう。

 蓮はスマホをカバンにしまい、残っていた紅茶を優雅な仕草で飲み干す。

「ようやく、今日、ナナ様の顔が拝めるわ」

 蓮が推している海白七凪は、デビューして一年経っているが、素顔を明かしていない。SNSのアイコンは、デビューキャラのまま。それに、今までイベントがなかったため、その素顔を誰も見たことがない。SNSも全くもって投稿しておらず、動画配信もしていない。そのため、ナナファンの間では、何か事情があるのでは? と囁かれていたりする。しかし、今日のイベントでその素顔が明かされるのだ。

「イベント開始の時間まで、まだ一時間もあるわね」

 どうしようかしら? と考えた結果、蓮は近場のゲームセンターに行くことにするのだった。もちろん、道中に通行人から注目されることは言うまでもない。


「声優の海白七凪です! 本日はお世話になります! よろしくお願いします!」

 イベント会場に着いた春凪は今日お世話になるスタッフさんたちに挨拶回りをしていた。春凪は、お世話になる場所のスタッフさんたちには、一人一人欠かさず挨拶回りをするようにしている。

 関係者への挨拶を済ませた春凪は袖口から会場内の様子を伺う。客席にはまばらに人がいた。それを目にした春凪は、イベントに対してさらに現実感が湧いてきた。

(本当に個人イベント開催することになったんだ……。うわぁ、急に緊張してきたかも……)

 会場には特に豪華な装飾などはされておらず、左右に『海白七凪 デビュー一周年記念イベント』と書かれた紙が貼られた看板と登壇する予定のステージの壁に『海白七凪 デビュー一周年記念イベント』という垂れ幕が飾られている。今回のイベントは五十人規模の小さいイベント。それでも、春凪にとって初の個人イベントとなる。

「春凪ちゃん、緊張してる?」

「緊張してますけど、大丈夫です!」

「そっか。まあ、肩の力を抜いて気楽にね」

 春凪は緊張しているが、不安とかの緊張ではない。春凪は楽しみすぎて緊張しているのだ。春凪は緊張は不安からくるものではなく、成功させたい、合格したいという思いからくるものだと考えている。

成功したい、合格したいという気持ちがなければ、不安なんて生まれない。緊張して不安が生まれるのは、それほどまでに成功したい、合格したいという気持ちが強いからだと春凪は思っている。だから春凪は、いつも緊張を楽しんでいる。自分自身がそれほどまでに、挑戦したいものに対する気持ちが強いとわかるから。如何にも、前向きポジティブ思考の春凪らしい考えだ。そしてついに、初の個人イベントが開催される時間になった。

「ただいまより、声優、海白七凪のデビュー一周年記念イベントを開催します。開催に向けて諸注意をいくつか申し上げます。――」

 袖口で自分の登壇の合図を待つ春凪。心臓はドクン、ドクン、と早鐘を打っていた。

「では、登壇していただきましょう。声優、海白七凪さんです!」

 名前を呼ばれた春凪は、拍手と愛称であるナナちゃんという歓声に笑顔と手を振って答えながらステージ中央へと歩いていく。そして、予定の位置で立ち止まった春凪は客席の方へと向く。そして、客席の最前列に見知った顔の女の子が一人いた。

(あれ? 神白さん? 神白さんだよね?)

 春凪は客席にいる蓮の姿に信じられず、何ども瞬きを繰り返す。しかし、当然ながら現実なので、蓮の姿が消えることはなかった。

(えっ、何で神白さんがここに? もしかして、わたしのファンなの?)

 疑問が浮かぶが、どれも蓮本人に聞かないと答えがわからないものばかりだ。それは、蓮も一緒だった。蓮なんて、目を見開き、魚のように口をパクパクと閉じ開きを繰り返している。

(えっ、どういうことなの? どうして七海白さんがここに? もしかして、何かのドッキリ? まさか、七海白さんがナナちゃんなわけないよね? そんなことあるわけないわよね? 鬱陶しがっていたクラスメイトが推しの声優なわけないわよね? もし、仮に本当に七海白さんがナナちゃんだったら……)

 そう考えた瞬間、蓮の中でとてつもない罪悪感が芽生えた。例えるなら、カニがいる前で、同じ種類のカニを食べているような。むしろ、それ以上の罪悪感が。

(わ、私はなんてことを……‼︎ 推しの声優を睨みつけるなんて……! か、神に罰せられるべきだは! 推しの声優にしてしまった数々の無礼! 私はその罰を受けないといけないわ!)

 蓮の脳内はてんやわんやだった。脳内だけで言ったら、普段、優等生として過ごす蓮の姿からとても想像できないものだった。

「では、自己紹介と挨拶をお願いします」

「はい。声優の海白七凪です! 本日はわたしの一周年記念トーク会にお越しいただき誠にありがとうございます。今回のイベントはわたしにとって初のイベントとなるので、上手くできないところも多々あると思いますがそこはご了承ください。ファンの皆様にとって、思い出になるような楽しく幸せな時間をお届けできたらいいなぁと思っています。短い時間ですが、楽しんでいきましょう」

「はい、ありがとうございます。では、早速ですがトーク会を始めていこうと思います。七凪さんには後ろの椅子に座っていただきます」

 春凪は指示のもと設置された椅子に座る。

「最後にはファンの方からいくつか質問を設けますので、質問のある方は考えておいてください。では、始めていきましょう。まずは、声優になったきっかけを教えていただけますか?」

 打ち合わせ通りにスタッフさんが一つ目の質問をしてくる。春凪はそれに対してあらかじめ考えていた言葉で返す。

「多分、多くの声優さんは、アニメが好きだからとか声優の仕事に興味があったからだと思うんです。でも、わたしは少し違っていて、わたし好奇心旺盛で、興味を持ったことには後先考えずにすぐに挑戦するタイプなんです。それで声優に興味を持った時に、一般人でも受けられるオーディションを受けて合格し、この業界に入りました。だから、他の声優さんみたいに明確な目標もないので、今後続けていく中で見つけられたらいいなぁと思っています。もちろん、声優をやっていて楽しいです。自分とは違う自分に会えるので」

「続いて――」

 次々と質問に受け答えしていき、あっという間にファンの質問時間に入った。

「では、ファンの方々から質問をお受けしたいと思います。質問のある方は挙手をお願いします。……はい、四列目の左から五番目の席の方」

「はい。アフレコに臨む前にどれくらい練習してますか?」

「えっと……、平日だと三時間ぐらいで、休日だと七時間ぐらいです。もちろん、全時間を台詞の練習に使っているわけではないです。キャラ作りをするために、もう一度原作を読んだりする時間も含めています」

(ふぅ、答えられる質問でよかった……。ファンの方からの質問は何聞かれるかわからないから不安だなぁ……)

 そのあと、二、三人から質問を受け春凪の初イベントは終了した。蓮はというと、終始、話の内容が一切頭に入っていなかった。そして、帰ってから、また罪悪感を覚えるのだった。




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