第2話 目覚め

「やあ、元気かい?」

「………」

「中陰の君にこの質問はバカげていたね。ハハハハハハ……、面白くないか」


 何も見えない。

 それとも、何もない?


「ああそうか。君には声が出せないか。そりゃそうだよね、君には身体がないんだから、ハハハハハハハ……、いやぁ失礼した」


 ひどく不愉快な声。

 腹立たしくなるが、何もできない。


「まぁ僕に笑われたことなんて、君の刹那の記憶にすら残らないさ。これから君は007だ」

「………」

「たぶん君が最後だ。世界を、この星を進める者であってくれ」


 最後まですべては一方的で、何一つ言いたいことは理解できないまま。

 そして、この会話があったことも記憶から抜け落ちた。

 たった一つ、謎のワードを残して。









 ふと目覚めた。

 そこに広がっていたのは、ゴミの山。

 居眠りでもした後のように、上半身を起こす。

 その身体はやたら大きく、くすんだ青色の上下を着ていた。


 周囲には動物の骨らしきものが積み上がり、悪臭を放つ。

 思わず鼻をつまんで、手元に転がる腐った何かに気づいて身体をずらす。

 ああ、どうやら人跡未踏の山中に放り出されたわけではないらしい。これなら生きていくのもそんなに難しくない。

 ………。

 誰が?

 何となく、自分は人間…だと分かる。

 言葉も何となく分かる。

 だけど……、自分の名前も知らない何者か。


 007?

 ふと浮かんだ、意味不明な文字。

 何だよそれ、意味分かんねぇから。


「キィイイイイイイイーー!!」


 とりあえず物思いにでもふけろうと思ったのに、異様な叫びで中断。

 どこのガキだよ、大人の邪魔するんじゃねぇ………って。


「キィイィ」

「誰だお前」

「キィィイイイイ」


 ………前言撤回。

 何だこれ、猿みたいな謎の生物に囲まれてしまった。

 いや、木の棒持ってるし、しゃべってる…ような気もしてきたし、とりあえずこいつら、俺の知ってる人間じゃねぇだろ。


「まぁまぁ落ち着け。これは不幸な事故だ、いや正確に言うならまだ何も起こっていないだろ、だって俺はもうどこかへ去るんだからな、あ、去るって言ってもお猿さんじゃねーんだぜ」

「キィィィィキィィ」

「はっはっは、さらばだ諸君!」


 よく分からないが、逃げるが勝ちだ。

 この汚いゴミが人間のしわざじゃなくて、ちょっとだけうれしいよ俺。この世界の人間も捨てたもんじゃないってことだろ? まだ見たことないけどな、人間なんて。



 そして俺は走った。

 目の前の謎生物にフェイントをかけてすり抜けると、そのまま一直線。

 道なき道を疾走する自分はまるで青春だ。何言ってるのか分からない。

 はっきりしているのは、この身体はヤバい。

 謎生物をぶっちぎって、オリンピックだろうが余裕で金メダル。え? オリンピックって何? 自分の記憶が自分じゃない。こいつ何者なんだよ007。


「どうだまいったか謎生物め」


 どれだけ走ったのかよく分からないが、追って来る気配もないので適当に叫んでみた。

 身体と魂が離れたりはしない。そういう違和感はない。

 ただ、自分が誰なのか分からないだけ。

 仕方ないだろう?

 俺は居眠りしていた。それ以前のことは何も思い出せない。

 思い出せないのに、自分が口にする言葉が誰かに与えられたものだと知っている。そこに違和感がない自分は…、笑える。


「キィイイイイイ!」

「え? もう追いついたのか!?」


 そこにまた叫び声。

 それも、俺の前方から聞こえて来る。ヤバい、まさか回り込んだのか? なんて世界だ。超人になったと思ったら敵も超謎生物だった?


「キィィキィイ」


 …………。

 おかしい。

 何となく謎生物のいる方向は分かるのだが、そいつらは全く俺に近づいてこない。いや、むしろだんだん声が小さくなっていくような。

 もしかして、別の相手が見つかったのか?

 それは良かっ……………っ。



 例えるなら、救難信号のような。


 何の声も聞こえないし、言語ですらないのに、その音は俺を呼び寄せる。

 音ですらないのか? 誘蛾灯……、走り出す。

 藪の中をバカみたいな身体で突っ切った。


「これは…」


 轍の刻まれた道。

 そこには幌が破れた車、泣きわめく馬、そして――――。


「謎生物、お前らは敵なんだな」


 砂糖に群がるアリのようにギャーギャー騒ぎながら密集する謎生物。

 俺の姿を発見した奴らは一斉に動き、こちらに向かって来る。

 そして奴らがいなくなった跡には、血まみれになった何かが転がっていた。


「………え」


 謎生物は、人間らしきものを食べていた。

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